【読書】[新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき
出版情報
著者:エドマンド・バーク
翻訳: 佐藤 健志
出版社 : PHP研究所 (2020/12/2)
文庫 : 400ページ
本書を紹介するにあたって
長くなったので、目次を設定しました。ご希望の箇所に飛んでください。
本書を読むきっかけ
茂木誠の『「保守」って何?』を読み、興味を持った。著者 エドマンド・バークは、フランス革命の初期に対岸のイギリスで「この革命は軍による強権独裁で終わる」とナポレオンの台頭を示唆し、「自分たちの理性を信じ切って、先人の知恵の結晶である国体を無闇に破壊しまくるとは、呆れてものも言えない」と、啓蒙主義、理性万能主義を毒舌で叩き切る。読む人によって、また読む時々によって、さまざまな感想があり得る書物なのである。
その振り切った毒舌ぶりに喝采を送る人もいるだろうし「自由・平等・博愛」や「基本的人権」を否定しまくる姿勢に嫌悪感を抱く人もいるだろう。
だがよく読むと、バークは『自由・平等・博愛』『基本的人権』そのものを否定しているのではない。「『自由・平等・博愛』『基本的人権』のためなら何をしても良い」と考える革命=急進派の危険性、「『自由・平等・博愛』『基本的人権』のため」といいながら自らの利益と相反する人々の『自由・平等』も『基本的人権』も顧みず、財産のみならず命すら奪うという革命=急進派の自己矛盾と自省力のなさに警鐘を鳴らしまくっているのである。
実際に読んでみると
バークはとにかく革命に吠えまくり噛みつきまくる。イギリスに革命の火の粉が飛んでこないように、躍起になっていたようだ(革命が起きた当時、イギリスではフランス革命はかなり好意的に見られていた)。その攻撃的な姿勢は、出版当時はバーキズム、今風に言えばバークる、と揶揄されるほどp21。この攻撃性に付き合わされて、早々に疲弊してしまう読者もいるだろう。私はそうだった。ところが…中盤以降は俄然読みやすくなる。それはバークの噛みつき方がトーンダウンするから、ではない。フランス革命でさまざまなものをぶっ壊した結果「誰が得をしたのか?」を、バークが明確に指摘するから、だ。
本書の成り立ち
本書はもともとフランス革命を論理的に論じようとして書かれたものではない。知り合いのフランス人青年との文通の中で書いたものをまとめたものである。フランス人青年はシャルル=ジャン=フランソワ・デュポンといい、国民議会のメンバーだった。革命がどんどん過激になる中で、革命を肯定し、背中を押してもらいたかったに違いない。それまでバークは国による統制反対派、アメリカ独立賛成派だったからだ。ところがデュポンの意に反して、バークは革命に大反対の姿勢を貫くのだった。
訳者の佐藤健志は、本書は「綿密に構成された論考」ではない、カリカチュア=戯画であるという。同時代人が革命の初期に事実誤謬もありながら、オンタイムで書き上げたもので、同じ同時代人に、革命の根本的な危うさを、大袈裟な筆力で訴求しようと試みている。
また本書は、「原著の全訳ではなく、『急進的改革への風刺的批判』という特徴が際立つ部分を中心に再構成したもの」だとのこと。原著は膨大で、章分けもなされていない。時代遅れな箇所も少なくない。そこで現代人に役立つものとするために大胆な再構成をすることにしたようだ。
それでは、本書の主な主張を見ていこう。その前に、参考としてフランス革命と本書に関係する簡単な年表を掲載しておく。
本書の主たる主張
本書を読んで、バークを主張を一言で表すならば「急進的で抜本的な改革は根本的に間違いである」となるだろう。また革命で得をしたのは一部の知識階層(啓蒙思想家)と結びついた金融勢力だ、とも彼はいう。おや?何やら現在の世界のありようとも通じる洞察ではないだろうか?(地球温暖化を喧伝し昆虫食を推進するダボス会議、世界経済フォーラム、我那覇真子氏によるYoutubeレポート…)
ご存知レヴィ=ストロースもフランス革命なかりせばフランスはヨーロッパで覇権を取り得た、という趣旨のことを述べている(『月の裏側』p56-p57)。そろそろフランス革命に対して多角的な視点を持つべき時なのかもしれない。
「急進的で抜本的な改革」という言葉とイメージはカッコいい。だが、この社会は複雑に絡み合った有機体だ。簡単にブッ壊していいものでは、ない。「社会の変革には熟練し卓越した政治技術が必要だ」という主張は、とかく抵抗勢力や利権を守りたい側の主張のように受け止められるが、本当にそうだろうか?複雑に絡み合う社会構造をできれば「痛みを最小限に」良き方向に変えていくのが真の変革であり政治技術なのではないだろうか?
それには過去に学び、現状をよく知り、慎重にあらゆる配慮を重ねていく…そのような姿勢が求められているのではないか?
変革への評価
バークが述べる変革への評価は下記の通りである。日本での最近の変革と呼ばれるものは、下記の条件に合致しているだろうか?
イギリス革命とフランス革命の比較
フランスに先立つこと150年。イギリスにも市民と国王の対立があった。ピューリタン革命から名誉革命への流れである。ざっくりいえば、国王の重税に議会が反対することから端を発したピューリタン革命は、王の処刑→クロムウェルの独裁、さらにクロムウェルの死後、チャールズ2世を王に迎えることで幕を閉じた。その後、すったもんだがあって、議会はチャールズ2世の長女の夫をイギリス王ウイリアム3世として迎え入れ、議会は「権利章典」を提示、王は「君臨すれども統治せず」の立憲君主制を受け入れた。
つまり、イギリスは150年も前に『王殺し→独裁』を経験し、王も議会もお互いを必要とし歩み寄る立憲君主制を確立し騒動を解決していたことになる。バークはそれを高く評価していた。
権利が正しく守られるためには根拠が必要
基本的人権は、(どのような政治状況・社会状況・経済状況であっても)人が生まれながらに持つ権利だという。これが国家権力に対する革命権に由来することを知っている人は、いるだろうか?
現実問題として、チベットやウイグルの人々に人権は与えられていないし、戦闘地域にいる人々の人権も保障されていないに等しい。
つまり人権は「与えられる」ものであり「保障」されるものなのだ。
日本人の人権は日本政府が保障し、日本政府によって守られている。
そのことを自覚している日本人がどれほどいるだろう?法治国家は「当たり前」ではない。
バークは次のようにいう。
イギリス人の権利はその時々の政権=王様との間で勝ち取ってきたものだ。王様が世襲される限りは、勝ち取ってきた権利も保障される。王朝が入れ替わって連続性がなくなれば、今までの権利は保障されなくなる可能性がある。そういう緊張を孕んでいるとバークは訴える。これはイギリスの保守の形だ。日本では、国の形も国民の権利も「外から与えられた感」がある。だが、それでいいのだろうか?日本にも権利の根拠となりうるものは、ないのだろか?
理性なんて薄っぺらなものではなく過去の叡智から学ぼう
例えば災害に関しても、千年前の災害を現在に活かせなかった例があったように思う。現在の人間の数よりも、どう見ても過去生きてきた人々の数の方が多いのだ。その知恵を活かさないのはもったいない。
日本人にとって基本的人権あるいは自然権は『与えられたもの感』が拭えないし、バークのいうように権利は世代を継いで相続されるもの、という感覚も薄い。では、次のような古代の日本の神々の祈りの文言に、バークのいう『人間のあり方をめぐる深い思索のうえに定められた方針』や『大自然のあり方にならったもの』という感覚を見出すことはできないだろうか?『青民草がますます青々と茂り繁栄しますように』『千人の人が死んでしまうなら、千五百人の人々が生まれますように』(この文言は古事記にあります)
しかも上の祈りは神と契約を結んだものだけに向けたものではないのだ。もちろん人生には不条理なことだらけではあるが『神様とは人の幸せを願わずにはいられない存在』。そういう漠然とした信頼感を日本人は共通して持っているように思うのだが、どうだろうか?
私は上のようにいう神様がいたこと自体がとてもステキなことだと思う。
『あなたも私も同じ人間』『身分や所得の大小によって一方が一方を搾取するだけの関係ではうまくいかない』。
江戸時代は身分社会だ、と言いながら、武士の身分も売買されていたし、それぞれの身分の家へ養子に入ったり入られたりしていた。仏教の教えも「死を前にすれば身分も財産も関係ない」と大昔から説いている。『人間のあり方をめぐる深い思索のうえに定められた方針』として、これらはある程度日本にも根付いていたのではないだろうか?
こういった空気のように当たり前の『信頼感』や『考え方』を次世代に繋いでいくこと。
革命によって、理性によって行き着いた考え方で、すべてを塗り替えていく、よりも、もともと日本にあった考え方を繋いでいく方が、しっくりくる。それが日本の保守なのではないだろうか?
革命によって誰が得をしたか
バークは革命で得をしたのは一部の知識階層(啓蒙思想家)と、彼らに結びついた金融勢力だと言っている。
金融勢力は没収した土地を債権アッシニアに変えていった。そしてついには、その債権を貨幣として流通させ、あまつさえ税金として納入させる手段としたのである!正直なところ私は、アッシニアとモーゲージ証券はどう違うのかわからない、というくらい金融オンチだ。特に何もいうことはできない立場ではあるが、訳者 佐藤 健志を含むMMT(現代貨幣理論)の理論家たちはアッシニアを『債権が税金の支払い手段となることで貨幣となった。信用貨幣論=現代貨幣理論の正しさを証明する一例』としている。
もう一方の啓蒙思想家たちはどういう人々だったのだろうか。
現代に置き換えれば、学生が革命や社会変革の担い手になるのに相当する、といったところだろうか?あるいは明治維新との対比では、吉田松陰や、もっと範囲を広げれば、本居宣長や水戸藩の大日本史編纂も明治維新に(大いに、あるいは何らかの形で)貢献したといったところだろうか。(ちなみに大日本史は二百数十年かかって明治になってから完成したそうだ)。
(ちょっと、だいぶズレているかな?むしろ明治維新とフランス革命の違いのポイントになりそう、なのかな?引き続き学びたい)。
暴力への帰結
バークはフランス革命は、軍が台頭し強権独裁に終わる可能性を示唆している。
少し説明が必要なのは、王が革命派から指示される件だろう。この頃はまだ国王は存命しており、建前上、行政府の長は国王だった。だから国民議会は王に命じて軍隊を動かすことになる。その国王は幽閉同然の身なのだが(この時はまだ幽閉されていなかった)。なんたる皮肉!
こうして今までは最終手段であった軍がはじめから用いられることになる。そして己の権力に気づいた軍はやがて暴走し始めることとなるだろう。
地方自治が強くなりすぎる弊害
フランス革命政府は、フランスを小さな共和国に分断した。まるで、外国からの侵略者のように。
そして、自治体は軍を掌握するに至る!
現在の日本では自治体が軍を掌握する事態を想像することは難しい。だが、もしかしたら、自治体の権限は適切以上に強くなっているのかも知れない。戦前は自治体は総務省が管轄していた。GHQによって、国は自治体の管轄権を失った。1990年代以降も国から地方へ権限がどんどん移譲されたようだ。また、例外規定は設けられているが、原則自衛隊の災害派遣は県知事レベルの要請がないと行わないことになっている。総理大臣の権限で派遣するのは例外中の例外のようなのだ。左翼首長による先住民族宣言や維新系首長が広域での自治権を目指しているのも、ある種日本の分断工作のようにも思われてくる。自治体の権力を強めて国を分断することがフランス革命時から行われてきたとは。この辺りのことは(他のこと全般もだが)まだまだ学ぶことがたくさんありそうだ。
軍隊の統帥権
まるで大陸における文化大革命時のように、将校は吊し上げを喰らったり、部下に反抗されたり、士気が下がったり、軍規が大幅に乱れたりした。自治体が軍を弄んでいることについても書かれている。陸軍大臣の報告によると…。
これで、フランスは革命中にもかかわらず、他国と戦争までしているのである!この軍規の状況で!(1790年に本書が出版された後、1792年のことである。フランス革命戦争)
本書を読んで
平均的日本人なので、フランス革命についてはサボりにサボっていた世界史の授業と、漫画ベルバラ程度の知識しかなかった。本書を読むと、本書が大袈裟な筆致で人心を揺さぶるために書かれたカリカチュアだとしても、フランス革命の狂乱ぶりと、出鱈目さぶりが迫ってくる。
世の中が混乱している時ほど、また世の中が悪い方向に向かっていると感じられる時ほど、急進的で抜本的な改革によってスッキリ良い方向に向かいたい、と思うのが人間だし世の常だ。だが、そういう改革を始めたが最後、泥沼から抜け出せない…そんな例をいくつも実際に見てきたように思う。
本書は決して読みやすい本ではない。また論旨もまとまって書かれているものでは、ない。だが、今日日本で起きていることを理解する上でも、本書を読むことは決して無駄ではないように思われる。いや、むしろ、日本が置かれている状況をよりよく理解するのに相応しい読書となるような気がしてならないのだが、さて、みなさまはどう判断されるだろうか?
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
こちらの方がページ数が多いので、原著通り、あるいは、原著に近い形で訳されているのでは、と思います。
フランス革命と明治維新を日仏の学者が比較??しているそうです。面白そう。2018年出版。明治維新150周年記念。
『世界史の窓』によるフランス革命の説明
先週の投稿に、お祝いをいただきました。みなさまのおかげです。ありがとうございます。よかったら読んでくださいませ。
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