【公演回顧】2023年10月中旬以降鑑賞分

昨年終盤は、私生活のゴタゴタで行った催しのレビューを殆どできなかった。なので年初の機会にいくつかピックアップして振り返る。


要約

別ブログにInstagram投稿を並べたもの。

2023年(令和5年)10月13日(金)ティアラこうとう小ホール
Tiara Monthly Concert  Vol.244「伝承の調べが紡ぐ世界」

近年、大正時代における西洋文化受容の検証が盛んになっている。
なかでも注目度が高いのは、欧米の文学作品を当時の作家が単なる翻訳ではなく、日本語で再構築したもの。
北原白秋が1920年代初頭に著した「まざあ・ぐうす」もそのひとつ。英国の童謡詩「マザーグース」の骨子は守りながら、日本の文物を絡めたり、大衆芸能のリズムを取り入れるなど自由に組み立てている。

この北原白秋版「まざあ・ぐうす」を作曲家・打楽器奏者の會田瑞樹が、音楽付き舞台に仕立てたのが、組曲「北原白秋のまざあ・ぐうす」。
「組曲」と名付けられているが、1時間に届く大作でそれぞれの詩作のプロットに合わせて朗読、歌、寸劇、ダンスが入れ代わり立ち代わり展開する。
結構気を張って見ないといけないので休憩なしの通しだと若干疲れた。でもパフォーマンスの作りはしっかりしているので抜粋上演の機会は今後もあるだろう。

2023年(令和5年)11月5日(日) 吉例顔見世大歌舞伎夜の部

1.松浦の太鼓
2.鎌倉三代記
3.顔見世季花姿繪「春調娘七種」「三社祭」「教草吉原雀」

松浦の太鼓はこれまで二代目中村吉右衛門と二代目松本白鸚のを見たが、今回の仁左衛門が一番しっくりきた。吉右衛門や白鸚だと雰囲気がどこか知的なので、赤穂浪士の連中は敵方の目を欺くために笹売りに身をやつしたり、遊興にふけったりしているのだと見抜けないことが不自然に感じた。
今回の仁左衛門の役作りだと教養はあるのだが、どこか「天然」な御前様のキャラクターが無理なくできていて、楽しめた。

鎌倉三代記は時蔵の三浦之助義村の武者姿が、叔父の錦之介そっくりで近年の萬屋の隆盛と二重写しになり感慨。
また佐々木高綱を演じる芝翫の明快で分かりやすい凹凸のきいた口跡に、これは現代受けするなと人気を納得できた。

2023年(令和5年)11月25日(土)京都コンサートホール
第27回「京都の秋 音楽祭」
京都市交響楽団 第684回定期演奏会
指揮:シルヴァン・カンブルラン

〜曲目〜
モーツァルト:交響曲第31番「パリ」
-休憩-
ブルックナー:交響曲第4番(コーストヴェット校訂1888年稿〔かつての「改訂版」とほぼ同じ〕)

最近演奏、録音の機会が増えている版だが、生理的になじめない。
後半楽章のカットは、仮にブルックナー自身が、音楽的趣向の変化もしくは出版されるなら受容しやすくという背景から是認した結果だとしても、良く言って「普通の」音楽になっている。
これなら極端な話、ブルックナーじゃなくていい。
リヒャルト・シュトラウスでも聴いていた方が余程楽しい。

もうひとつの疑問は、取り上げる指揮者の多くが、この稿に盛り込まれた仕掛けをおすまし顔でなぞるだけで、積極的に生かしていないこと。
せっかくティンパニやシンバルの追加、テンポ変化の記入があるのだから、フルトヴェングラーとまではいかずとも、特徴が際立たないと面白くない。
カンブルランほどの指揮者にはあてはまらないが「流行っている」「こうでもしないと演奏(録音)するチャンスがない」ゆえかもと勘ぐってしまう。
ちなみにカンブルランはかつて読売日本交響楽団で同曲を取り上げた際もこの版を用いたので考えは持っているようだ。

2023年(令和5年)12月7日(木)
東京交響楽団 第137回 東京オペラシティシリーズ
指揮:秋山和慶

〜曲目〜
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲
ベートーヴェン:交響曲第9番

2024年は秋山和慶(1941~)にとって指揮者生活60周年、恩師齋藤秀雄没後50年という節目の年。いまなお日本各地で活動し、約40年音楽監督を務めた東京交響楽団とは年末年始に「第九」と「新世界より」で共演する。恒例の公演はいつもほぼ完売だ。

かっちりした拍節感を基礎におきながら、筋肉質の押し引きのある響きは、四角四面に終わらない舞台上の職人芸の妙味を漂わせる。

全てのアーティストに改めて感謝。

※文中敬称略

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