『シアンクレール今はなく』川俣水雪
第一歌集
高野悦子、高橋和巳などの影響を受けながら、独自の歌世界を作り出している。深い教養と思惟に裏付けられた歌の数々。特に戦後民主主義に対する思いは熱い。
失恋?と書いてノートを閉じているシアンクレールいつもの席で
書いてノートを閉じている主体は高野悦子。作者が強い影響を受けた『ニ十歳の原点』の一コマだろう。彼女は階級闘争に敗れて自死を選んだという解釈があるが、私は失恋によるものと思った。作者もそうではないか。
駈けてくる君すれすれを飛びゆける出町柳の燕であるか
鮮烈な恋の歌。「君」は作者を目指して駈けて来る。その「君」の頭上をすれすれに飛ぶ燕。どちらもスピード感に満ちている。はずむような心が伝わる。「出町柳の」の「の」が、大胆な省略をはらんでいるのが歌に合っている。
隠しもつ紙飛行機でゆくはずの夜のリスボン戀唄哀し
ポルトガルの伝統的な恋の歌「ファド」。日本人にもとても馴染みやすいのだとか。リスボンに行くことも、ファドを聞くことができなかった、と取った。上句がとてもしゃれている。「隠しもつ紙飛行機」、その「紙飛行機でゆくはずの」リスボン。叶わなかった旅のはかなさも感じる。
あをによしパリの都に散る花の「フランシーヌの場合」哀しも
あをによし、とくれば奈良の都、と来るはずが「パリの都」。枕詞のひねった使い方が面白い。「フランシーヌの場合」は大ヒットした歌だが、反戦歌というよりは歌謡曲的に流行っていたと記憶する。歌詞は今読めば結構深い。作者にも時代的共感を越えた共感があるのだろう。
千年の午睡より醒めおおどかに水惑星を翔ぶ銀ヤンマ
スケールの大きな歌。蜻蛉類は水が無ければ繁殖できないのだが、この歌では銀ヤンマが地球の海規模の水を背景に詠われている。一匹の儚い虫の生命に永遠を見る作者。
窓側は少年の席風うけて噴火湾沿い南をめざす
鹿児島湾だろうか。海越しに見える活火山。初句・二句の把握がいいと思った。「少年」は自身のことでもあり、旅を愛する全ての若者のことでもある。旅情を感じる一首。
都市名はサイゴンでよし 天国のホ―おじさんがやさしく諭し
他国の建国の英雄が神格化されがちなのに比べて、ホー・チ・ミンは今でもベトナム人にとって親しい「ホーおじさん」なのだ。おじさんの名前を冠したホーチミン市の旧称はサイゴン。現地の人は誰もホーチミンとは呼ばずサイゴンと呼んでいる。天国のホーおじさんが、それでいいよとやさしく見守っているのが、作者に感じられたのだ。
〈テロ対策特別警戒実施中〉廃線跡の無人駅舎の
大がかりな特別警戒。そんな廃線跡の無人の駅舎に、どんなテロが起こるというのだろう。過疎の駅にも、機械的にポスターを貼っていく警察組織に対して作者は皮肉な眼差しを向けている。再び自然に呑み込まれかけている、小さな駅を想像した。
冬薔薇 回覧板で監視せし町内よりも狭きニッポン
コロナ禍での自粛警察を思わせる。この歌はコロナ騒動よりも前に詠まれた歌。ということは日本人の心性は何も変わっていないということだろう。戦時下での隣組が実に今でも続いているということなのだ。冬薔薇の寒々とした姿が歌の内容を象徴している。初句字足らずの閉塞感。*「冬薔薇」は「ふゆそうび」と読むのでは、とご指摘をいただきました。たしかにその通りだと思います!
たそがるる二十世紀の街角の時代閉塞 啄木死ねず
石川啄木の評論「時代閉塞の現状」を踏まえた歌。ずいぶん昔に書かれた文章のような気がしていたが、1910年、二十世紀になってからの文なのだ。大逆事件の起こった時と、日本社会はたいして変わっていない、という作者の把握だろう。これでは啄木も死ぬに死ねないのだ。
里山と呼ばるる辺り一面に梨の花咲き一村老ゆる
里山という言葉は美しい。誰もが日本のふるさと的な農村を思い浮かべるだろう。しかし実際には里山を持つ村は過疎に苦しんでいる。梨も昔のようには売れない。若者の減り続ける村で、梨の花ばかりが美しく咲いている。
差入れの鯛焼いつも余るよう買いくる人よヒヤシンス咲く
何への差入れだろうか。買ってきてくれる人は気前が良く、いつも余るように買ってきてくれるのだ。その鯛焼きを囲んで気の置けない仲間と楽しくお酒を酌み交わすのだ。ささやかな楽しみの象徴のようなヒヤシンス。
水仙は揺れていたのか偶然の通過駅にはすぎぬけれども
駅のホームの花壇だろうか。あるいは駅のはずれの草地だろうか。どちらにしてもローカル線の駅だろう。通り過ぎてしまった後で、今のは水仙だったのだろうかと思い返す作者。「揺れていたのか」という振り返りに余韻がある。
わが生のうすむらさきの持ち時間荒神橋の亀石わたる
自分の人生の残り時間のことを考える。日没後の空に似てそのイメージはうす紫色なのだ。薄暮の中で鴨川の亀石を渡る。一つ一つ、跳んで踏みしめて。「荒神橋」という固有名詞が効いている。
ほんとうは持ちこみできぬ一枝の金木犀の間にあいしこと
病室にお見舞いに行ったのだろう。植物の持ち込みができないほど、相手は弱っていた。しかし、作者は持ち込んではいけない金木犀を一枝持ち込んだ。病人は、きれい、いい匂い、などの喜びの言葉を発したのだろう。向こうの世界に旅立つ病者に、何とか好きな花を見てもらえた。間に合ったのだ。
静人舎 2019年11月 1800円+税