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〔公開記事〕沖ななも『百人百樹』(本阿弥書店)

樹々と向き合う     川本千栄

 もしも私の友人知人に、短歌に興味はあるけれど何を読んだらいいか分からない、という人がいたら、そっとこの本を差し出したい。読み終わる頃にはその人はきっと私と同じぐらい短歌が好きになっているだろう。
 植物を詠んだ歌は人間を読んだ歌よりも風通しが良く清々しい。それでいて、「樹」は植物の中でも長命で、人の生に寄り添ってくれるものであり、選ばれた歌には温かみが感じられる。そのバランスが絶妙だ。
青桐(あをぎり)の下にたれかを待ちながら土曜日はひまさうな自転車 永井陽子
 〈桐とは言うがアオイ科。キリ科の桐とは違う。(…)持ち主不明の自
転車に人格を与えているのだが、自分自身を投影しているか。〉
 まず、青桐とはどんな樹なのかという説明があり、歌の解説がある。一読、絵が頭に浮かぶ歌だが、著者は、目で見た風景を描いた写生の歌としてではなく、自転車に人格があり、それがさらに作者の投影だと読む。その読みに、読者は一歩深いところへ誘われる。
宇宙にはバオバブの根がみなぎって幾度も生まれてくるゆめの蟬 井辻朱美
 〈根が上のほうにあるような姿もある、とすれば宇宙に根が漲っている(見えないけれど)かもしれない。地中にいる筈の蟬だって生まれるかもしれない。〉
 一見、読みが難しい歌。しかし著者は、バオバブがどんな形態の樹なのかを説明し、作者がどんな宇宙を描いているか、さらになぜそこに蟬が現れてくるのかを納得させてくれる。
 一樹に一首、それもおおよそ現代歌人だけでこのバラエティを揃えた著者の読書量に圧倒される。自分も樹と謙虚に向き合い、もっと樹の歌を詠みたいと思わせる本だ。
(本阿弥書店・二〇〇〇円)
〔公開記事〕『現代短歌新聞』2024年4月号

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