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『虹を見つける達人』逢坂みずき

第一歌集。368首。宮城県出身の作者、二十代での第一歌集。震災を体験し、その後の日々を生きる。日常の空間の手触りから詩を見つけ出す。虹という詩を見つける達人である。

いい子だよ、がんばつてるよ、正しいよ、とひたすら言ふインコください

 インコは人間の言葉をただ物真似して繰り返しているだけ。意味は分かっていない。それでもいいから、ひたすら励ましてくれるインコが欲しいのだ。一人の部屋にそんなインコがいてほしい。一人では心が保てないから。

ああさうか努力したつてだめなんだ向かう岸まで石は届かず

 大変そうなことを楽々とこなしてしまう人がいる。あるいは努力に努力を重ねて成し遂げる人がいる。一方で努力しても届かない人がいる。そしてそれに気づかず、「努力しなさい」と言われるままに努力している人も。今、自分は分かった。努力しても出来ないことがある。石切りの水が水面に消えていくように。

毎日会ふわれらの孤独な部分みな自分で洗ひし服を着てゐる

 大学で毎日会う友達。毎日会うのだから孤立はしていないのだが、孤独な部分を抱えている。三句句割れで「部分/みな」と切れると読みたい。「部分」で切れて、放り出すように読みたいのだ。その後の、自分で自分の服を洗う、とい内容は当たり前なのだが、こう言われると独り暮らしの寒々しさが感じられる。

サラダ油が臭い最後の学祭ではじめて入る人文社会科学部(じんしや)2号館

 大学の学園祭の屋台では、安物の食用油を何度も使い回すため、結構匂いがする。しかしそれも後からは嗅覚に結び付いた思い出に変わる。学内には専攻が違えば入ることがほぼ無い学舎がある。「人文社会学部」という長い名称を「じんしや」と縮めて呼ぶのも学生らしい。多分その建物に入るのは最初で最後になるのではないか。

ストーブの効いた部屋から雪を見る 出会ふまへ他人だつたのか僕らは

 暖かい部屋から寒い、雪の降る戸外を見る。下宿で一緒に食事をしているのだろうか。一字空けの後の下句の感慨が心に沁みる。出会う前は他人に決まっている、そんな当たり前がもはや信じられないぐらい、僕らは今、他人ではないのだ。

どれくらゐ一緒にゐたつて足りないよまた水張田を見ませうここで

 離れがたい人と共に水張田を見ている。心が満たされる時間だ。一緒にいる時間が足りないのだが、離れて行く瞬間が近づいている。また水張田を一緒に故郷の、ここで見ようと語りかける。次の水張田、それはその時が来年であることを指している。

もうできないことと今ならできることどつちにしろできなくて 粉雪

 もっと年若い時はできたのに大きくなる過程でできなくなってしまったこと、逆に大きくなった今ならできること。しかし、そのどちらもやはりできない。気力が無いのか、時間が無いのか。そのできなさが悔しかったり辛かったりはしない。できないんだ、と淡々と受け止める。降りながら消える粉雪のように。下句の「どつちにしろでき/なくて粉雪」という句跨りのギクシャクさが心情に合っている。

自転車で行ける範囲に友達はもう誰もゐない真夏日の午後

 自転車で行ける範囲は小・中・高校生の行動範囲。しかし高校を卒業後、進学・就職して、もう誰もその範囲内にいない。真夏だからお盆の帰省だろうか。自転車で走っても誰にも会わないのだ。震災の影響もあるのかもしれない。作者の走る、静かな広い土地を思う。

戒名に「鯨」の字ありよく知らぬ親族(うから)の墓へも線香供ふ

 その親族は鯨捕りの漁師か、あるいは解体した鯨の一部を売ったり加工したりして生計を立てていたのだろう。昔は一頭の鯨が捕れると沿岸の幾つもの村が潤った。豊かな暮しを保証してくれる「鯨」の文字を戒名に持つのは命を掛けて鯨を捕った漁師ならではかもしれない。しかし、鯨が捕れて一帯が沸き立った瞬間も遠い過去となった。作者はあまり知らない遠い親族に線香を供えて祈る。静かな時間が流れている。

居酒屋を出ると小雨が降つてゐた帰り道もうみんなばらばら

 居酒屋で楽しく飲み会を終えた。外に出ると小雨が降っている。飲み会の余韻を楽しむことなく、みんな足早に去って行く。一人一人ばらばらに、自分の生活へと。作者の物足りない、語り足りない心が見えるようだ。寂しいとは言わないまでも。

身籠れてしまふからだの寂しさの あをき山百合のつぼみが疼く

 上句は序詞と取れる。しかし単なる詞ではない。山百合のつぼみの疼きは即、身籠れてしまう身体の疼きでもある。身籠「れてしまふ」という把握がいい。たとえ自分が望まなくても行為をすれば身籠ることもあり得る。今の何かが欠けたような感覚が、山百合のつぼみの疼きと呼応するのだが、その結果、身籠ってしまえばそれは求めていた充足感とは違うものなのだ。その欠落感が満たされることがないことを作者は知っている。

本の森 2020年7月1日 1200円+税


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