〔公開記事〕後藤由紀恵『遠く呼ぶ声』(典々堂)
内なる声 川本千栄(塔)
遠く呼ぶ声は誰の声だろう。多くの別れが描かれたこの歌集の底に響く声、それは去って行った人の声でもあり、作者自身の声でもある。どちらも内なる声として歌の中に反響している。
・子を持たぬままに手放すままごとのような暮らしを五月の空を
・さらにまた遠くへ行こうとする声を呼びとめたかった真夜の食卓
終わってしまった暮らし。本物の家族になることはなく、ままごとのようであった、という認識が悲しい。共に暮らしていた人は遠くへ去って行った。呼びとめたかった、という言葉の裏には、そうはしなかった、流れのままに手放してしまったという思いが滲む。
・この先は海へと続いてゆくことを確かめぬまま途中下車する
・愛のさなかの声もまぼろしひったりと眼つむればいつしか冬野
主体は一人で暮らし始める。家と職場を往復する日々だ。通勤の路線が海へ続いていても、途中下車して職場へ向かうしかない。愛し合った記憶もその時発した自らの声も、今は幻に過ぎないのだ。
そうした地道に働く日常を描いた歌群に差し込まれる連作「春の呪文」は衝撃的だ。エジプトで新たに発見された二体のミイラ。その一体は神の歌姫であったという。連作は、その歌姫が主体に憑依したかのような歌と、主体の現実の日常の歌が対比する構成となっている。
・この身体ひとつがすべて洞ふかきところに灯る火を確かめて
・すなおなる身体はしたがうアラームの音の種類はさまざまにある
神に仕える身ながら人間の男性との愛に目覚め、身体の奥の火に従う歌姫。それに対して主体の身体は、毎朝時計のアラームに従い素直に起き上がる。共に二句切れで、二人の身体の差異が際立つ。
・声ならぬ声は火となりわが喉の金の小鳥を焼き尽くすまで
・丹田に力をこめて吐き出だす息なり声なりはるの雲雀よ
禁忌を犯し、自らの声に導かれるように破滅へと突き進む歌姫。主体はしかし雲雀と自らの身体を共鳴させて健やかな息と声を吐く。自分はこの人生を選択した、という諦念と共に、歌姫のように情熱に身を任せられなかった自らの生を、寂しく見つめ直す。連作を貫くキーワードはやはり「声」だ。またこの連作では、実生活を描いた側の歌も、職場の問題、通勤途上の人身事故、暗示的な雛人形の歌など、何層にも練られている。
・この世しかなきこの世にてしろき雪つめたくあなたにふれたのだろう
一度だけの生、一度だけのこの世。雪と、生の儚さが重なる歌を最後に挙げる。
(典々堂 2023.10. 本体2700円+税)
〔公開記事 『短歌研究』2024年4月号〕