春のお花見①~「藤」の葛井寺
昨日、ちらりとつぶやいた「安土城址」を早く記事にしたいところですが、それよりも先に回ったお出かけ先をまとめてみたいと思います。
立て続けに出かけるとネタは豊富にあるのですが、落ち着いて記事にする時間がないという、なんとも皮肉な現実にぶつかります。
ゆっくりと思い出しながら、時系列に記事にさせていただきます。
さて、今月上旬にレキジョークルでお花見を開催しましたが、見事に散った後で新緑を愛でるハイキングとなりました。
今年は季節が進むのが早すぎて、八重桜もあっという間に咲き、もう終わろうとしています。
そんな時、レキジョークル第一号メンバーのチコさんからのLINEで、近場で「藤」と「つつじ」を見に行くお誘いがありました。
2日前の急な事だったので、結局みんな都合がつかず、私とチコさんだけでお花見のリベンジをしました。
歴史好きの2人のこと、しっかり地元の郷土歴史博物館もスケジュールに入れ込み、歴史探究には抜け目はありません。
2人の歴史紀行は、11年前の京都幕末紀行に始まり、大阪や神戸など約2年間続き、それが「レキジョークル」の原点となり今に続いています。
そういう意味では、懐かしい感覚がよみがえる紀行となりました。
この日はチコさんが車を出してくれたので、私を迎いに来てくれて、とても楽なスタートとなりました。
この日は主に3か所を回ったのですが、全てを1記事にまとめ上げるにはボリュームがあり過ぎるため、3回に分けて投稿させていただきます。
藤の「葛井寺」
自宅から近いというのに、気になりつつも一度も行った事がない寺の一つに「葛井寺」があります。
ついに4月21日に念願が叶い、当寺一番のウリの季節に訪れることができたのです。
🌺今年は花のタイミングが難しい
お目当ての藤は盛りを少し過ぎていて、枯れかけているものもあり、一週間早ければ圧巻だったことでしょう。
今年は季節の移り変わりが早く、桜と同じく藤も例外ではなく、例年よりも鑑賞タイミングが難しい春でした。
それでもまだイキイキと垂れ下がる藤が、頭上で揺れる姿はなんともいじらしく、見ていて思わず顔がほころびます。
🌺ご本尊は国宝「千手観音座像」
こちらは京都の「仁和寺」を総本山とし、弘法大師・空海を宗祖とする真言宗のお寺です。
境内には弘法大師が手彫りしたと伝わる井戸もあるらしいのですが、この時は全く気付かず、写真すら撮っていません。
始まりは奈良時代からともいわれていますが、少なくとも平安時代初期には創健されていたようです。
ご本尊は国宝の「千手観音座像」で、この日は拝めませんでしたが、毎月18日に御開帳され、お姿を拝めるそうです。
元々、「千手観音」とは観音菩薩の一尊であり、千本の手の掌に目を持ち、どんなに小さな救済も見逃さず救うという観音様なのです。
形状としては、それらの手は背面にびっしりと手が出ているのが一般的です。
🌺西国三十三か所霊場・第五番
「葛井寺」は西国観音霊場、第五番です。
寺内には他の西国三十二霊場すべての寺院から勧請した石仏がずらりと祀られていて、ここに来るだけで全ての西国霊場をお参りする事ができます。
🌺ここも楠木正成にゆかりがある
楠木正成が「湊川の戦い」で戦死した後、遺された三人の息子の正行・正時・正儀たちは、この地で10倍もの戦力の
幕府軍と戦い大勝したそうです。
「非理法権天」と書かれた旗をこの松に立てかけたと伝わります
旗を立てかけただけ??
限りなくフェイクに近い伝承だと思えます。
この松は三本葉になっていて、兄弟三人の力を合わせて戦えば必ず成就するという願いを込めた例え話に尾ひれが付き、後世にまで伝えられたのでしょう。
例えば毛利家の「三本の矢」の伝承のように、一人なら微力だが、兄弟三人寄れば強くなるというみたいな。
「三人寄れば文殊の知恵」
ということわざもあるので、どんな不利な状況においても、一人だけの知恵や力ではたかが知れたものですが、3人以上だと新たな活路が見つかるものです。
ことわざの真意には頷けますが、この松の伝承は疑わしいものがあります。
「そんなん嘘や!誰も見てないやろ」
と、私の第一声は、間髪入れないツッコミでした。
しかし、このあたり南河内エリアには、楠木一族を大切に祀る人々の強い思いが、間違いなく後世の私たちにまで届いています。
三本葉の松と言えば、弘法大師・空海の聖地である「高野山」にもあった「三鈷の松」と同じですね。
やはりこちらも空海ゆかりの真言宗だけあって、もしかしたらこの高野山にちなんだ松をわざわざ植えたのかもしれません。
三鈷の松⇒三本葉⇒三人兄弟⇒楠木兄弟
おそらくこのような連想で話が二転三転したのではないかと思います。
🌺灯篭は二代目
奈良の東大寺と同じように、本堂の真正面に灯篭があります。
石碑には聖武天皇が寄進したとありますが、本当でしょうか?
そうだとしたら奈良時代のものになるので、その割にはキレイに残っています。
地元ボランティアガイドの方の説明によると、これは2代目で、初代のものは、敷地内の隅っこにひっそりと保管されていました。
ですよね~
長い年月にさらされただけで、かなり風化するはずですので、もっと角も取れ、色も焼けていないとおかしいです。
こちらは紫雲石でできていると伝わり、鎌倉時代の優秀な石灯篭として、昭和24年大阪府の重要保存品として保護されています。
🌺謎の人物井真成
故人の略歴や功績などを石に刻んだ「墓誌」が現地で発見され、国号が日本と記してあるものとして最古のものという貴重な発見がありました。
憶測では井真成は中国名で、日本名は「葛井」か「井上」かと考えられるのですが、どちらも確証はありません。
どちらの姓も渡来系氏族のものである可能性が高く、彼の出身地がこの「葛井寺」のある藤井寺市である可能性が高いそうです。
遣唐使として選ばれただけあって、優秀な人物で、中国で多大な足跡を残したものの帰国寸前で命を落とし、ついに故郷に帰る事は叶いませんでした。
その無念の魂をここに葬った記念石碑がありました。
1200年以上もの歳月を経て、魂だけは日本に帰ってきたのです。
石碑は真新しすぎて実感はわきにくいですが、この逸話を知ると、思わず手を合わせたくなります。
これも地元ボランティアの方の説明がなければ、気にも留めなかった石碑です。
それにしても古代にこの地で勢力を示した「葛井氏」のゆかりの寺としてこの「葛井寺」があり、そこから地名としての「藤井寺」へと繋がったのかと思うと、その影響力はとてつもなく大きいものを感じてしまいます、
私の紀行における裏テーマとして秦氏がありますが、今回、「井真成」を知ることで、当時の日本と渡来人との関係の深さをさらに思い知ることができました。
日本人の祖ともいえる渡来人、現在の中国か?朝鮮?韓国?とは先祖を同じくするもので、始まりは同じでありながら、そこから枝分かれした民族の一つが日本人だと妙に納得したのでした。
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