【節約生#643】絶対に朝型にするルール
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
働きすぎは美徳ではなく悪徳
健康的で文化的な生活ということばに憧れがあったのかもしれない。
働き方の情報は体を壊したころから真面目に見るようになった。最近、連続勤務の体験の語りを集めた情報を目にした。何十日も働き詰めの人の体験談が胸をついた。
誰もが追い詰められた感覚であった。自分の体を他人が動かしているような感覚を語る人もいた。どちらも自分が経験したことでもあった。
結局、私自身は40日連続での勤務の2回目の最終日近くで倒れた。
思えば自分しかやる人がいないから・・・という感覚が悪かった。事実ではあったけれども、ただそれだけのことである。自分が復帰できたのは運がよかったけれども、仕事を休んでいる間は単にそのサービスが休止になっただけであった。復帰できなければサービスを休止してその間に求人を出すだけ。
倒れたとしても気遣われることはなかった。
かつてはみな体を壊すぐらいまでに長時間働いていた時代があったのかもしれない。それが働くことを美徳化したのだろう。
働くことは美徳かもしれないが、過ぎたるは及ばざるが如しである。むしろ社会には悪影響を与える。自分は障害が残るところであった。働き手が減るだけではなく、介護が必要になればさらに人手が必要になる。
過労は美化してはいけない。
過労を求める文化も許してはいけない。
絶対に朝型にするルールと節約
節約のために生活を朝型にシフトしている。毎日節約情報を集めたり、出費の計算をしたりする時間をとっている。毎日決まった時間を確保する必要があった。
朝に時間をとるためには、夜の過ごし方から変えないといけない。現在は厳しい12時間ルールを定めている。
もともとはEUのインターバル制度を目にしたことで思いついた。
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000200828.pdf
仕事終わりと次の仕事の始めの時間の間隔を開けなければいけないという精度がある。ヨーロッパの場合は11時間。連続勤務をしていたときは、どうであったかもう覚えていない。夜遅くに酔っ払いながら帰宅して気がついたら朝であった。そもそも2時や3時の帰宅が通常のことであった。
日本の場合は制度化というよりも、助成金で試しているみたいである。
11時間はある意味最低限である。
自分の場合はさらに厳しく、自宅を出る時間の12時間前に布団にもぐりこむというルールにしている。8時に出かけるなら夜8時、7時に出かけるなら夜7時というかなり異常な行動だとは思う。
そんなに早く横になって眠れるのかという疑問もあるかもしれない。そもそも眠らなくても良い。眠くなったら自然に寝る。そもそも過労の時は体を休ませる時間がなかった。12時間前に横になれば、さすがに睡眠時間は確保できるだろうし、朝も早く起きることができる。朝にだらだらしたとしても充分に節約のために時間を確保できる。
この12時間ルールを思いついてから、朝に無理をすることがほとんどなくなった。起きれないのは疲れているからでもる。12時間前に横になるということは、それまでに仕事も用事も済ませてしまわなければならない。自然と過労を防ぐことにもなる。
どうしても遅くなることがあるかもしれない。事実昨夜は夜9時まで会議があった。9時20分には横になった。だから今朝出かけるのは9時20分までずらす。就寝時間がずれるなら自宅を出る時間をずらすしかない。かなりハードではあるけれども、体を一番にするためである。
おかげで予定を毎日管理することになった。
働きすぎていた時は予定を見てもいなかった。ただ眼の前の仕事をしていただけであった気がする。
夜は散財をしやすい。
疲労は判断力を失わせるし、衝動に対する耐久性を低減させる。何よりも誘惑が多い。外で一滴でもお酒を飲んだらもう節約はできなくなってしまう。
12時間ルールにすると、夜はさっさと帰宅しなくてはいけなくなる。体を守るつもりであったけれども、財布にもやさしい。
いつまで続くかわからないけれども、12時間ルールの習慣を続けたい。
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