いつだって私は"to be continued"
"できている"、より"できていない"が自分の強い味方になる場合がある。
もちろん、何かを成し遂げた、乗り越えられた、そのような折には、心の奥底から自分で自分への祝福と賛辞を送るべきだ。
そこには遠慮も引け目もまったく必要ない。
それは盛大に、大袈裟くらいでいい。
(そもそも、誰かに言うわけでもないし。)
でも、そればかりでいいのか。
人は命終わるまで、変わりつづけられる。
成長しつづけられる生き物ではないか。
その機会は宝石のようにキラキラ、ごろごろと輝きながら、いつもそこに転がっている。
そう考えてみれば、自分の余白と伸び代を、忌み嫌うのではなく、喜んで歓迎したい。
"ここまで来て安心"とか、ホッとする気持ちは捨てなくていい。
大事にだいじーにしたらいい。
なにも、急かされるような焦るような気持ちに、おびやかされなくてもいい。
"不安であれ"とも言っていない。
私は私を空虚感の海に突き落としたりしない。
ただ、めいっぱい自分を自分で褒めた先には、また歩き出す、そんな自分でいたいと思う。
それを具体的に言葉にしてみると、
"終わりがなく果てしなく追われるようで苦しい気持ち"ではなく、
"これからどんな風に未来を描けるか、自分を変えていけるかを想像すると、ワクワクして楽しみな気持ち"である。
だから、"完成なんかしちゃわない方がいいんだよ。むしろいびつで不恰好で未完成なあなたがいい。"って私は私に言ってあげる。
傷つくのがこわいこともあるかもしれない。
でもけがをすれば処置をすればいい。
私はきっとその傷を癒やしていけるから。
信じてみて。信じていてほしい。
私は弱くて強い。
だからいつも強くなれるチャンスを得ている。
私が最近念頭に置いている"マイナスはプラス"ということ。
そうだとしたら、弱さは即強さであるからだ。
弱さを優しさや強さに変換することができる。
ピンチはチャンス。
私は終わらない。
ドラマ・映画・書籍等の物語が"つづく"、"to be continued"となっているように。
そう、私はいつも"to be continued"なのだ。
ゴールはスタート。
小さな目的地を、一つ一つ楽しみながらクリアして、深呼吸と伸びをして、疲れたら休息を思う存分とって、生きていくんだ。
最終目的地は、まなこ閉じるそのとき。
そのときまで、私はどんな風に、自分を成長させていけるだろうか。
これからどんな自分に出会えるのだろうか。
やっぱり、生きるのってすっごく大変だけど、その反面すっごく楽しいもんじゃない?って今思っている。