私のアトピー闘病記録
こんにちは!
アトピー改善アドバイザーのちーちゃんです。
今日は
私のアトピー闘病記録
をテーマにお話ししていきます。
この記事の一番の目的は自身の備忘録として。
もしどなたかの参考になることがあれば、とても嬉しいです。
【生後3カ月】
アトピーだと診断される。
私の母も同じくアトピーで、私の発症は遺伝ではないのか?と言われていた。
※母は私を妊娠する前、重度のアトピーで、アトピー治療「丹羽療法」で有名な土佐清水病院(現 土佐丹羽クリニック)に入院していたこともある。
【幼少期〜高校生】
●アトピー
実家に暮らし、年に一度、土佐清水病院の分院に通い、丹羽療法の軟膏を処方してもらっていた。
そのうちに、ステロイドを含む軟膏もある。
実家で暮らしてきた期間は、アトピーは非常に軽度で、痒すぎるストレスはあまりなかった。どちらかと言うと、慢性鼻炎の方が酷かった。市販の鼻炎薬は手放せなかった。
●食事
他の友人と比べて、知りうる限りで食べるものには気を使ってきたつもり。
アトピーに悪いと言われる清涼飲料水、インスタントラーメン、酸化した油で揚げたスナック菓子、ピザ、乳製品、ラーメン、マーガリンなどは、極力控えていた。
また、チョコレート、コーヒー、青魚を食べると湿疹が出るので、個人的には食べないようにしていた。
丹羽療法では、上記に加え、肉類を一切厳禁としていたが、それは守っていなかった。
加えて、丹羽療法が提案する健康食品(丹羽療法実践者は摂取を義務付けられている)SOD様食品、ルイボスTXは続けて飲むのを拒み、殆ど飲んでいない。
これらは、薬ではないが、毎日無期限で飲み続けるというのに疑問と面倒臭さがあって、続けられなかった。
ちなみに、食品添加物や農薬、水道水については両親含め知見がなく、一切気にしていなかった。
それゆえ、パッケージ化された調味料(麻婆豆腐の素や〇〇鍋の素など)スーパーやコンビニ弁当、お惣菜、冷凍食品、菓子パンは全く気にせず食べていた。
両親共に働いていたし、私も学業や習い事に明け暮れるほど忙しかったので、そんなもんだと思っていた。
【大学生】
●アトピー
上京し、慣れない地で一人暮らしが始まった。周りのあまりの優秀さにストレスを覚え、一時的に痒かったが、そこまで酷くならなかった。
パンを食べると、肌がパサつくなということに薄々気づき始めた。
●食事
友達と外食するか、自炊をしていた。
東京に住み始めたこともあって、今まで食べたこともない外国料理やおしゃれなスイーツも食べてみた。
自炊に関しては、自分一人が食べるだけなので、特にこだわってはいない。冷凍焼き餃子には、お世話になった。
また、パン屋でアルバイトをしていたので、新作のパンや残りもののパンを食べることもあった。
【フランス留学】
●アトピー
学生マンションでの一人暮らし。
硬水の水質で、水が合わないかも?とも思ったが、意外と大丈夫だった。
日本の生活とあまりにも違ってストレスは多かったけど、アトピーは気にならない程度だった。
●食事
和食を基本に作っていた。
しかし、あまりにパンとチョコレートが美味しいので、パン屋巡りと食事をチョコレートで代用するという無茶苦茶な生活も送ってみた。バターたっぷりのクロワッサンやパンオショコラ、板チョコも、好きなだけ食べていたが、全く身体にボロは出なかった。
20歳を迎えてアルコールを解禁したところ、アレルギー(異常な火照りと痒み)だということが分かり、以後ワインをはじめとするお酒は一切やめた。
【社会人1年目】
●アトピー
航空業界に入り、担当路線は国際線で、不規則な生活が始まる。
理不尽な人間関係で仲間がどんどん鬱や適応障害で脱落していきながらも、なんとか勤務を続ける。
入社半年頃から深夜便も担当するようになり、昼夜逆転生活が始まる。
深夜便の方は比較的平和な人間関係だったが、昼夜逆転生活はアトピー体質に全くあわず、アトピーは史上最悪の状態になる。
丹羽療法の軟膏が効かなくなり、漢方に走る。漢方は苦くてマズく、夜勤や体力仕事で疲れ切った身としては、煎じる手間も惜しく、継続断念。
漢方って、正直効いてるのか効いてないのか全然分からないと思ってしまうのは私だけだろうか。
丹羽療法も漢方も効かないなら、しょうがないから普通の皮膚科に行ってみた。
ベリーストロングレベルのステロイドを処方され、炎症のない場所にはプロトピック軟膏を塗っていた。
ケロイド状態、接客業なのにとても人前に出られるような状態ではない自分を鏡で見ては、何回も泣き崩れそうになった。
一般の皮膚科が処方するステロイドを塗り続けると、皮膚が次第に薄くなって紫色になるのを感じた。
塗るのを怠ると、また直ぐに痒くなってしまう。
丁度コロナが蔓延し始めて、夜勤がなくなり、幸いにも症状が落ちついてきてくれたので、アトピー治療として一般の皮膚科に通うことをやめ、丹羽療法に戻した。
●食事
最低限は自炊しており、弁当も持参していたが、決してバランスよく食べることはできていなかった。
冷凍食品や混ぜるだけで出来る調味パッケージに頼ったり、パンなどを食べることも少なくなかった。
【社会人2年目〜6年目夏】
●アトピー
航空業界を離れ、月曜から金曜の日勤の会社に転職し、生活リズムが整った。
自分が心からやりたい仕事や環境ではなかったので、精神的に病んで休職したり、そのストレスが肌に現れることもあった。
保湿剤は市販のクリームを使いながらも、冬は敏感な首や目の周りが荒れやすく、ステロイドは毎日塗っていた。
●食事
社会人2年〜3年目は実家に暮らし、【幼少期〜高校生】の時期と同様の食生活を送る。
社会人4年目以降は同棲を開始。共働きながら、平日は私が料理をする。
栄誉や調味料のこと、添加物や農薬のことなどは相変わらず知らず、食べたいものは自由に食べる。
夫と出会って辛いものを好むようになり、アトピーの刺激になるとは分かっていながら、唐辛子を積極的に食べてしまっていた。
【社会人6年目夏〜今】
●アトピー
会社員をやめたことにより、通勤や仕事で感じていたストレスから一切解放された。
一方で、アトピーを本気で治すために、無意識にも刷り込まれてきた常識の間違い、現代医療や薬の闇に気づき、怒りから来るストレスを強く感じてきた。
この怒りのエネルギーが強いからこそ、私は同じようにアトピーやアレルギーで苦しむ人を救い、テレビばかり見て自分の頭で思考する習慣を意図せず奪われてしまった人たちに警笛を鳴らしたいと思い、それがこのブログを通じた発信の原動力になっている。
食事を除く面では、洗剤を合成洗剤からせっけん洗剤へ、水道水から浄水器へ、化繊から天然素材へ、シャンプーから湯シャンへ、化繊ナプキンからオーガニックコットンナプキンへ、化粧と日焼け止めをやめるなど、様々な工夫をしてきて、身体が軽やかになるのを感じてきた。
脱ステを2024年11月に開始し、第一波は11月後半(顔全体や首の腫れ)、第二波は1月前半〜(顔全体、首、腕全体、膝裏、太もものガビガビゴワゴワ→皮膚再生)を経験中。
このブログを書いているのが第二波の真っ只中にありながら、これぞ脱ステ症状というものに向き合っている。
これは単なる炎症でも、皮膚の生まれ変わりでもないことを実感している。
脱ステにより皮膚の落屑が見られ、日中も寝ている時間も皮膚がポロポロ剥がれ落ちる。
コロコロが手放せない。
これまでやってきたように入念な保湿は、やる意味がないというより、皮膚が分厚すぎて保湿しても皮膚に浸透しない。
皮膚表皮のみならず、肌全体が再生に向け闘っているので、無理に保湿はせず、普段はそっとしておく。
今は肌がガビガビ見栄えが悪いけど、そんなの気にしたらキリがないと思って割り切る!
今やるべきことは、
絶対治したるで!!と強く決心すること、
皮膚が生まれ変わって嬉しい!!
アトピーだから今こうしていろんな気づきを得られて良かった!!
綺麗な若々しい肌になったら絶対オシャレする!!
と未来に輝く自分を想像すること。
●食事
2024年8月から本格的に食養生開始。
小麦、乳製品、白砂糖、植物油脂をやめた。
あらゆる調味料を見直して本物を選ぶこと、食品表示を見て買うこと、懸念すべき添加物について知ること、日々デトックスする意識、財布と相談しながら出来る範囲で有機栽培を選ぶこと、など。
いくら便利でおいしくても、
お惣菜や弁当、冷凍食品に頼ることもやめた。
手間がかかっても、面倒くさくても、自分で食材を選んで作ること、それを家族に提供することを重視した。
食事=エネルギーを頂くという思想を持っている。
マイルールで外食はオッケーにしているが、
避けるべき食品や素材は可能な限り除去し、罪悪感なしに食べるようにしている。
最後に
アトピー歴=年齢の私は、アトピーがいつも隣り合わせでした。
アトピーは一生連れ添うものだと思っていたけど、アトピーを治せると知ったときは目が飛び出そうなくらい驚きました。
アトピーのことで様々悩んだり、辛い経験もしてきたりしたけど、それらも踏まえて今の自分がいます。
苦しんできたからこそ、
もう一生悩みたくないって強く思えるし、
自分の身内や友人知人にアトピーやアレルギーで悩む人がいなくなってほしいなと強く願っています。
アトピー完治まであと数カ月だと思う。
もうそう宣言しときます!笑
明るい未来を想像して。
同じくアトピーで悩む方々、一緒に乗り越えていきましょう!
皆さんの暮らしが快適で笑顔に満ちたものになりますように♡