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「代わりにやってあげる」から「相手を信頼して待つ」へ
先日のことです。
仕事で手が空いた私は、ある作業がまだほとんど手つかずであることに気付きました。
その作業は、大体いつも「①まず現場に行った人が各自で行う→②そのまとめを後処理担当者が行う」という流れ。
そのうちの①がまだ全員は終わってない状況だったわけです。
今回の後処理担当者は私。
「①が終わってない人の分も私がやっちゃおう」
と思ったのだけど……
隣の人に
「先回りしてやっちゃうのはあなたの悪い癖だよ」
と言われました。
そのとき私はイラッとして、後でノートに気持ちを書きまくりました。
そして自分を労って認めてあげたわけです。
「自分のお仕事をちゃんとやろうとしてエライね〜、あなたの言い分ももっともだよ」
って。
そこで自分を認めて受け入れてあげられたからか、私のイライラした気持ちは程なくしておさまり、落ち着いて考えられるようになりました。
すると。
「もしかしたら、これは『お母さんが我が子可愛さに、我が子の通り道の障害物を全部どけてあげる』ことと同じなのかもしれん。」
と、気付いたわけです。
先回りして「やってあげる」というのは、本人がやるべきことを奪ってしまうことであり、相手の成長を阻害することになるのかもしれない、と。
と同時に、自分がやる必要のないことを自分から引き受けることは、自分を蔑ろにする行為でもあるのかもしれない、と。
何らかの事情でできない時は、本人が自分で誰かに頼めばいいのだ、と。(場合によっては私に)
もちろん、お母さんが我が子の通り道の障害物をどける必要のある時もあるでしょう。
小さい子であればあるほど、気をつける必要のあることもきっと多いはず。
でもまあ、我々は大人なので……
自分のことは自分で、だし、自分のことでないことはやらなくていいのかもしれないな、と思いました。
信頼して待てばいいのだな、と。
もし②の作業が急ぎの場合は「①を早くやって〜」と本人にせっつきに行けばいいものね。
こうして、私は今日またひとつ自己犠牲を手放せました。
この気付きと、隣の席の同僚に感謝。
他人の人生を肩代わりしてる暇なんてないものね!
自分を大事にしよう😌
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