全てに寄り添う必要はない|コラム
思考上の実験をしましょう
"上の人に良い顔をするのが上手な人" を思い浮かべてください。
アルバイト先やパート先の店長、部活の先輩、会社の上司。
どんな人が思い浮かぶでしょうか。
さて、ここからが思考上の実験です。
今からあなたは、その "上の人に良い顔をするのが上手な人" です。
"上の人" に誘われ、アルバイトやパート、部活、或いは仕事終わりに3人で食事に来ました。
正面に "上の人"、横には同僚或いは同級生が座っています。
同僚或いは同級生は、手元のメニューと睨めっこをしています。
あなたは "上の人" が奢るつもりなのかを確認し、それによって選ぶメニューを変えなければならないと考えます。
ただし直接的に訊いてはいけません。
そこで、この場にいない "上の人の上の人" の今日の行動について、できる限り肯定的な意見を投げかけます。
すると "上の人" は、同じく肯定的な反応を示すか、否定的か、或いは無関心を装うかのいずれかでしょう。
あなたは知っています
あなたは、知っています。
これだけで "上の人" が "上の人の上の人" にどのような感情を抱いているのかが分かる。
その上、上下関係を意識させることで、
『好きなの食べて。今日は奢るから』
といった類いの言葉が出やすくなることも。
そうでないにしても、当初の狙いであった奢るつもりの有無は高確率で分かるはず。
『メニュー決まった?今日は持つよ』
案の定、想定したセリフが出てきます。
そうとなれば、二番目に安いメニューを頼めばOK。
もっと高いものを選んでも良いだのと軽い押し問答が有ったり無かったり。
そこは、いかようにも受け応えて気持ち良くさせれば良いのです。
その間もその後も、同僚或いは同級生は相槌と愛想笑いをするばかりで役に立ちません。
あなたは腹をくくります。
気持ちよく進む話題を探りながら、場を弾ませることに努めます。
あなたはイラ立ちます
翌日。
同僚或いは同級生がきっとこう言ってくるでしょう。
『 "上の人" を掌で転がしていたね。』
あなたは
『あなたが気が付かないから、代わりにやっているだけ』
という言葉を飲み込んで、
『そんなつもりは無いけど』
と応えます。
少しイラ立ちながら。
あなたにチャンスが訪れます
いずれあなたに何らかのチャンスが訪れます。
時給アップなのか、レギュラー奪取なのか、昇進なのか。
これは努力の結果であって、このチャンスをモノにするかどうかはあなた次第なのです。
あなたは、周りが良く見えていて、何をすべきかが良く分かるのです。
自信があるのです。
成果が出たならば、それは当然あなたの実力なのです。
あなたは嫌われています
ある時気が付きます。
どうやら同僚や後輩、或いは部下たちに嫌われているのです。
『あの人は上に良い顔をしているだけだ。』
『下に見せる顔とは大違い。』
そして、あなたを悩ませる存在が現れます。
実力に間違いのない新人です。
ただし気遣いができていません。
あなたは、事あるごとに新人へ指摘をします。
せっかくの実力を活かす為にも、周りをもっと良く見て、最適な行動をとるべきなのです。
あなたの評判が決定付けられます
ほどなくして実力に間違いのない新人は辞めていきました。
この出来事があなたの評判を決定付けます。
『出る杭を打ってまで、上に良い顔をする人。』
それでも、上の人たちはあなたを非難することはないのです。
『誤解をされて可哀相だね。』
寄り添う必要がありますか?
思考上の実験は以上です。
いかがでしょうか。
"上の人に良い顔をするのが上手な人" に寄り添うことができましたか。
被害者経験があれば、寄り添えないでしょう。
先入観が無ければ、そういう見え方なのかと思うかも知れません。
極論ですが、見知らぬ誰かにまで寄り添う必要があるのでしょうか。
それが正しいのであれば、徹底的に寄り添うべきだと思います。
その場合、上の世代の方に対し『価値観が古い』なんて批判は発生しないはずです。
その価値観の中で生きてきた世代なのですから、その価値観にも寄り添わなければおかしいです。
価値観の大転換は悲劇
世の中は辛いことに溢れていますが、そのひとつが価値観の大転換ではないでしょうか。
歴史を見れば、明治維新、太平洋戦争、バブル崩壊…と沢山あります。
その都度、地位や財を失うばかりか、罪人のような扱いを受ける人まで居ました。
そんなひとつひとつに寄り添えるでしょうか。
とても精神が持ちそうにありません。
手の届く範囲、気持ちの通ずる範囲に留めて寄り添えば、十分ではないでしょうか。
むしろ、それこそが難しいから、本当の平和が訪れないのでしょう。
ビジネスに絡め捕られてはいけない
価値観の転換は大きなビジネスチャンスでもあります。
新しい価値観に意気揚々としているつもりでも、聞こえの良い言葉に絡め捕られ、ビジネスの一部として消費されてしまい兼ねません。
どんなに便利になっても、どんなに世界が身近になっても、大切な人やモノを良く見て、私たちは進歩し続けなければならないのです。
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