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もういちど、わたしをやり直せる場所へ。

もうどこにも帰りたくない夜ってある。

今は夜何処かに遊びに行くことも

ほとんどないけれど。

何年か前、ひさびさにそういう

時間が訪れた。

たぶん冬の終わりだった。

友人とふたりで見ていた大磯の海。

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路地を抜けて海岸へとすこしずつ

ちかづくたびに潮の匂いが漂ってきた。

海のそばで住んだ経験を持つ人間は

そこに海がみえなくても近くに海の

ありかを匂いで感じることができるん

だよと、誰かに聞いたことをその時

思いだしていた。

そしてわたしも生まれてはじめて海の

匂いのする街に越してきたことが

うれしくなっていた。

そのお店は居酒屋さんだったけど。

銅板でつくられた大きなシーラカンスや

さかなたちが、間接照明のあかるさに

包まれたお店の天と地のあいだを

泳いでいた。

耳をすますとかすかなゼンマイの音を

たてているのがわかる。

銅や銀のからだをもった生き物たちは

みんなすこしずつずれた時間を

もちあわせてそこにいた。

友だちの好きな曲が、スマホからこぼれ

だすと、そのお店がどこかの海や森のずっと

奥深い場所に思えてくる不思議な瞬間。

まるで今日のために用意されたかのような

にじんでくるようなギターの調べだった。

「ととや」っていう名前の沖縄料理の

おいしいそのお店には、浜に落ちている

漂着物で作られたオブジェが飾ってあった。

あおっぽいみどりいろの半透明のガラスで

つくられた<とんぼ>たち。

捨てられたガラスがとてつもない時間を

積み重ねながら波にゆっくりと磨かれて

あらたな生を得て、ここにたしかに

生きていた。

ものが捨てられて拾われていのちがつながる

確率っていったいどれぐらいなんだろう。

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そんなことが少しだけよぎった。

ものがそこに在ることも

人がそこに居ることも

きっとそれはなにかを失い、

なにかを残してきた

現在のかたちであるのかもしれないと、

わたしは酔った頭のまま漂うように

感じていた。

街は建物だけが立派だったとしても

街にならないんだろうな。

この「ととや」のご夫婦のように

漂うものたちの大切に生きる場所を

ふたたびつくろうとする想いがある

人たちが暮す街って、いいなって思った。

もういちど何かをやり直せる場所。

失敗したことも経験に活かせるような

そんな住んでいるひとたちが、街のことを

どこかで擬人化して好きになれるような街。

街を人にたとえたくなるようなそんなキャラの

街があったらいいと思う。

今私が住んでいる街、わたしは嫌いじゃない。

でも一度だけ嫌いになりかけたことがあった。

近隣の隣り合った街に負けない様にと、

人気争いしようとして挑み始めた時だった。

そういうのはあまりすかん。

有名な街に住みたいわけじゃないよ、と。

理想の街に答えはないけれど。

ほんとうはもっと知りたいんだ

あなたのこと。

そんなふうに思ってこの街に越してきた

はじまりの頃のことを今思い出していた。


トリプルの 雨粒の色 街路樹染めて 
海原の 果てまでひらり 雲が拾って


       貝殻の画像はぱそたくさんから拝借しました。
         素敵なお写真ありがとうございます。

砂浜に落ちていた貝殻のフリー素材  https://www.pakutaso.com/20200151006post-25111.html

   
   

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ゼロの紙 糸で綴る言葉のお店うわの空さんと始めました。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊

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