noteを書くって、ぼくたちは、今日もここにいるよって、叫んでることなんだ。
ずっとずっと頭のどこかの片隅にあって。
それでも、それがいつまでもなくならなくて。
「デイト・ペインティング」という表現方法で、活動されている
昔からとても気になっていた芸術家、河原温さん。
彼のことを知りたいなって思っていたら、ある人から一冊の本を紹介された。
宮内勝典さんの『グリニッジの光を離れて』。
この中に知りたかった人、ほんとうは会ってみたかった人、河原温さんの
ことが描かれていた。
その後、著者の宮内さんのインタビュー記事に出会って、知った幾つかの
ことは、昔知ったことだというのに、まるで昨日、彼から聞いた話のように記憶の輪郭が鮮やかだったりする。
ABRIL 6 1967
と、キャンパスにスペイン語で描き、翌日になって朝起きるとすかさず、
I GOT UP AT 8.47 A.M ON KAWARA
と、スタンプして、知り合いの方に投函するらしい。
これを聞いた時、なんともいえない寂しさと、芸術家の孤高と呼びたいような入り混じった気持ちになったけれど。
拒みたくない想いもどこかにあって。その本を紹介してくれた人は、君がこれを好きなのはわかる気がするって笑ってた。
笑っていたけれど笑われたんじゃなくて。わたしもわかるからですよって、
言葉をつないでくれた。
6、7時間かけて日付を書き続けると、
I AM STILL ALIVE ON KAWARA
<わたしはまだ生きている>と、知人に電報を打つ。
河原温さんの行為にいちいち驚かないぞときめてかかるのだけれど、まだ免疫のないわたしは、河原さんに驚かされ続けて、どうにかなってしまいそうだった。
B.C. 998029 B.C. 998028
これを見た時、なに? 暗号? って思った。難解なクイズ問題なのかな?って。「東大王」の問題とかになりそうだ!
そしたら、これは、聞いて椅子から転げ落ちそうになったし。本当にちょっとガタンって足を踏み外しそうになったけど。
紀元前から数えた今の日付らしくって。それをタイプライターで打ち続けていたらしい。
読んでいると、ほんとうにくらっくらする。
まだありますよ!
それだけじゃなくて。
I MET
I WENT
と、あった人や行った場所を知るされた手製の本がこしらえられ。
河原さんがいつも読んでいるニューヨークタイムズの記事には、
I READ
と、赤鉛筆で記事を囲み、スクラップしてゆくらしい。
河原さんは、ギャラリーでもほとんど姿を見せることなく作品だけを創り続けたという。
昔、その記事を読んだときよりも、なぜか今の方がずっとずっと、
河原温さんを知りたいと思っている。亡くなっていらっしゃるのに、まだ
ニューヨークのどこかで、デイトペインティングをしていらっしゃるような。
日々はどうしようもなく、ingingで続いてゆくし。
いつも何かをやり残したことばかりで、どこかになにか大切なものを置き忘れたままになっているかもしれないと思うこともしばしばで。
いつからだろう。
東日本大震災からだろうか? 9.11からなのか?
今年のコロナのことも含めて。こういう極めて昇華された飾りのなさという表現形式を選んだ河原さんに今だからこそ、強く惹かれてしまう。
出会った人がかけてくれた言葉が、わたしの傷をかさぶたにしてくれた日。
美味しかったご飯を美味しいって、はじめて言った日。
馴染んでいた喫茶店が終わってしまったことを知った日。
たちまち耳が、虜になった音に心がもっていかれた日。
どれもどれも、昔よりも今のほうがかけがえなく思えてくる。
そして、時々うれしい時間を箱の中に閉じ込めておきたくなる。
それは、わたしが心の底から大切にしたい人たちが、ふえた証なのかもしれない。
今さっき、
この記事を書く時にON KAWARA と、キーボードのアルファベットにカチカチと触れて変換していた時、河原さんの温はONとOFFのONに見えてきて
河原さんの静かな行為が、とてもアグレッシブなものなんだと、いまさらながらズドンと胸の奥に衝撃波を感じた。
そして、河原さんの行為って、まるで誰かがSNSで発していることそのもののような気がしてくる。
ここにいるよってみんなが叫んでる。
わたしも叫んでるnoteの中で。
河原さんの温(あたたかいの温ってすてきな名前だ!)って、ONとローマ字表記したときにそのONは、河原さんのものだけじゃなくて、わたしたちが、そのバトンを渡されているようなそんなONだと思う。
今日も長いひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました!
今日は藤巻亮太さんの 「ing」です♬
どうぞお聞きくださいませ♬
起きました 読み続けました 愛しましたね
今頃は inngingの どこを走ってる?