小林よしのり「学歴秀才が日本を劣化させる」について考える
小林よしのり「学歴秀才が日本を劣化させる」について考える
よしりんは、「小林よしのりライジング」という有料ブログをやっている。
ボクはお金を払ってないから、全部読めないけれど、
この最新号のテーマは、東大法学部をでたボクにとっても、非常に関係があることなので、
無料部分だけ読んでみて、考えてみようと思う。
よしりんのいいたいことは、学歴秀才は、テストで点を取ることだけ考えているために、社会にでてからも、テスト的に正しい答えをのべるにとどまるということみたいだ。
これは、確かに痛烈な批判である。
じゃあ、転じて、アメリカとかは、どうか?日本みたいに、学歴秀才がアメリカを劣化しているのだろうか?
それはおそらく違うだろう。
どっかの本でよんだ、ある女性の話。日本の学校で、作文を書いたら、「変なことは書くな」といわれて、自己肯定感を失っていた彼女。しかし、
アメリカに留学してみたら、「アナタの文章は非常にユニークで素晴らしい!」と大絶賛され、
自己肯定感を取り戻す・・・、みたいな話だったな。
アメリカでは、人と違うことを言うことが評価される。
実際、教授にケンカを売れる人しか、大学では研究者になれない仕組みになってるしね。
しかし、日本では、それは評価されない。
だから、日本では、学歴秀才はみんな同じことを言う。テストでは100点満点の唯一の答えがあるのだから、社会でもそれを追い求めようとする。
だから、学歴秀才はみんな同じことを言う。
そして、よしりんの意見は、大抵、少数意見になってしまう。
そして、
大衆は、学歴秀才の意見に権威性を認める。
だから、
よしりんは、学歴秀才の見解と戦ってきたわけだ。
よしりんの著作は、たいてい、そういう構造を持っている。
・・・というわけで、今回の「小林よしのりライジング」の記事は、
よしりんのアイデンティティーに関わる、非常に彼にとって重要なテーマだったのだ。
ひるがえって、ボクを見るに、
ボクは結構偏屈なところがあって、高校時代も、先生に、「それは違うんじゃないか?」と授業後に議論を吹っ掛ける学生だった。
確かに、テストのときは、100点満点の答えみたいなものを、書いていたが、それは方便だった。
だから、ボクは、よしりんの意見に賛同する。
よしりんに洗脳されているのでは?とアナタは思うかもしれない。
しかし、