記事一覧
英語の話(サラリーマンの備忘録)
久々に気に入らないことがあったから記録しておこうと思う。
今年度、2022年度から英語の勉強を始めた。大学の頃、就職のために割と勉強していたから再開したと言った方がよいのかもしれない。その勉強を再開するに至った経緯が気に入らない。
事の始まりは、私が所属する営業部の唯一の後輩(Nとする)と営業部の大ボスの会話に端を発する。偶然、昼食のお店が一緒になった彼らは近況を話す流れとなったらしい。どうも
接待ゴルフの話(サラリーマンの備忘録)
今週の土曜日に顧客との接待ゴルフがある。金曜日の出張と抱き合わせだが、コロナ禍に於いて東京から県外まで出向いて行ってのイベントだ。この御時世に大層な企画である。
コロナを言い訳にしたが、単純に私の休みが削れることが非常に気分の悪い理由である。別にコロナ関係なく、平日ならいいけど休日を削って仕事など労働基準法違反ではないのか。そう思うなら監督署にでも行くか、きっぱり断るべきなのだが、その勇気もない
2031年の話(サラリーマンの備忘録)
冒頭から気分の悪い話だが、2021年は自分の周辺で亡くなる方が多い。ここ4〜5年ほとんどなかったので、今年は圧倒的である。
考えてみると10年前の2011年も自分の周辺で不幸が多かった。こういうのって巡り合わせなのだろうか。2031年は、みんな健康に暮らせているといいなぁ、と思っていたところで、2031年って自分自身が43歳なのかぁと気づいた。人の心配は勿論だが、自分も健康に過ごせるようにしない
電報を書いた話(サラリーマンの備忘録)
先日、高校時代の友人が結婚式を挙げた。
コロナ禍で人を集めるのが難しい状況で、賛否両論ある局面だったと思う。正解などない中、それでも挙式を行う判断を下した友人は立派だと思う。
挙式に招待いただいた小生は出席が叶わなかった。ちょうど、接待ゴルフの日時と重なってしまったためだ。もちろん自分自身の日程の確認不足が根本原因であるのだが、コロナ禍において友人の結婚式に参列するのは後ろめたい気持ちがある一方
メーカーの営業の話(サラリーマンの備忘録)
忘れないうちに書いておこうと思う。
私は製造メーカーの営業としてある会社に勤めている。営業というと一般的には飛び込みで会社を回ったり、名も知らぬ一般消費者に売り込みをかけたり、といった印象があるが、私はそのような経験はない。当社はいわゆる製造業における中間材料メーカーであるため、顧客は以前から付き合いのある企業がほとんどで、製品を売ることだけでなく、同じくらい実際にものづくりをする工場との調整の
朝顔を育てた話(サラリーマンの備忘録)
コロナウイルスの感染拡大で在宅勤務が開始されてから、早1年が経過した。往復2.5時間ほどの通勤時間がなくなったため、圧倒的に自由な時間が増えた。今のところ給与への影響も受けていない。日々の生活に影響を受けている人も多数いる中、贅沢な話であるが、金銭的にも時間的にも余裕が出てきている。
しかし、両親や友人と会うこともできないので、その時間もお金も持て余している。コロナ禍で気がついたが、人生を自分の
10年が経過した話(サラリーマンの備忘録)
久々に文章を書きたくなった。
今年の4月で社会人になって10年が経過した。転職も経験していないため、同じ会社に10年間勤めていることになる。さらに、細々した部署異動や部署名の変更はあるが、基本的に10年間同じ仕事(営業)をしている。
今更ながら、一つの組織に10年間も所属していることは人生で初めての経験である。人生の約3分の1に相当する。当初は仕事が嫌で嫌で仕方なく、東京の街もあまり好きになれ
大雪の話(サラリーマンの備忘録)
1ヶ月ほど前、故郷でシャレにならないくらいの大雪があった。
降雪量に対して除雪が追いつかず、道路は寸断され、雪の重みで潰れる家もあったようだ。田舎なので車を出せないと買い物に行くこともままならない人も多く、実際、今もそこに住む両親も徒歩で2〜3kmの道を歩いて買い物に向かっていた。私は関東在住だが、勤め先の本社は故郷の街にあるため(私は支店勤務)、物流の問題やそもそも従業員が出社できないなど、か
あと何回会えるのか、という話(サラリーマンの備忘録)
コロナウイルスの感染拡大が騒がれ始め1年が経過した。
以前も書いたかもしれないが、私は地元から離れた大学を卒業した後、Uターン就職のつもりで故郷の会社に就職した。結局Uターンは叶わず、現在も故郷を離れ東京にいるのだが、出張等々の仕事で月に3〜4日程度は故郷に滞在する仕事があった。おおむね同じペースで両親とも顔を合わせていたように思う。
しかし、コロナウイルスの感染拡大による移動制限や自粛で、最
文化祭の話(サラリーマンの備忘録)
芸術的なセンスがない。小学校の頃から全く。絵にしても工作的なものにしても。小学1年生の頃、さつま芋掘りの絵を描き、市内だったか地区内だったか、何らかの賞をもらったが、それがピークであった。先日見返してみたが、子供らしい元気一杯の絵であった。決して技術が評価されたわけではない。
芸術センスが足りていない、もはや子供らしさではカバーできない、ということにすでに気づいていた小学4年生の頃、近所に高速道
ソロキャンプを始めた話(サラリーマンの備忘録)
2020年にソロキャンプが流行したが、その2年ほど前から私もソロキャンプを始めた。すでに人気は出始めていたが、世間より若干早く始めたことに優越感を感じている。ただ、きっかけは御多分に洩れず、お笑い芸人のヒロシさんのYouTubeから興味を持ったからである。極めてミーハーな始め方と言える。
中でも焚き火が楽しくて仕方ない。幼少期はアウトドアは大して好きではなく、家でゲームをしている方を好むタイプの
サッカーを辞めようと思った話(サラリーマンの備忘録)
学生時代、サッカーをやっていました。
中学校では弱小チームに所属していましたが、私の進学した高校はなかなかサッカーの強いチームでした。県ベスト8前後、運がよければ全国大会も可能性があるのでは?、と夢を見られるレベルの実力でしょうか。
中学生の頃とはレベルが違いすぎるので、正直、高校でもサッカーを続けるかどうかは悩んでいました。サッカーを続けるきっかけになったのは、偶然、サッカー部への入部希望者
登山を始めた話(サラリーマンの備忘録)
大学4年の9月、22歳を迎える直前のことでした。
サッカーの試合中、右膝の前十字靭帯を断裂するという大怪我を負いました。お医者さん曰く、全治6ヶ月間ということで卒業論文の制作を控えていた私は、長期間の入院やリハビリに耐える自信がなく、手術をせず保存療法という治療方法をとりました。今も靭帯は切れたままで、卒業式のように直角に曲がると膝に激痛が走ります。
日常生活に支障はないものの、サッカーはもち
新入社員の頃の話(サラリーマンの備忘録)
今からおよそ10年前の話です。
石川県で4年間の大学生活を終えた後、なんとなく地元に帰って親孝行しようか、程度の気持ちで故郷である新潟県にUターン就職を決めました。田舎ならのんびり暮らせそうだし。
就職先は実家から徒歩5分程度、地元ではそこそこ有名な会社でもあり、就職先としては申し分ありません。両親も大いに喜んでいました。気楽な大学生活を終え、社会へ飛び出すことへの不安に溢れる中、入社の日を迎
右肘を骨折した話(サラリーマンの備忘録)
2002年5月3日のことである。
当時、日韓ワールドカップ開幕を直前に控え、故郷、新潟県の片田舎でもベッカムヘアーの学生が発生するほどにサッカー熱が高まっていた。ソフトモヒカンという髪型だったが、彼らは2021年現在、どんな髪型なのだろう。ちなみにインスタを覗いてみたが、ベッカムは2021年になっても信じられないくらいダンディーだった。
話が逸れたが、あの当時、私もサッカー部に所属し、その魅力
noteを始めてみた(サラリーマンの備忘録)
こんにちは。初めてnoteというものに文章を書いているのですが、これであっているのでしょうか。
東京でサラリーマンをしているbroken_kneeと言います。30代の男です。一番最初の投稿なので一般的には自己紹介をする流れだと思われますが、30代の独身男性のプロフィールなど、あまり興味もないでしょうから割愛します。
その代わりに、ごく普通のサラリーマンである私が今なぜ筆をとっているのか、初心を