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寺生まれの無神論者と考える、現代宗教の在り方②
これは記事の続きです。前回の記事はこちらから
こんなことを書くと、宗教は必要なのか、という疑念を持つ人もいるだろう。断言しよう。宗教は必要である。くどいようだが、宗教は本来人間が幸せでいるための道具である。人によっては宗教は収入源であり、希望であり、自制心を保つためのストッパーにもなりうる。死への恐怖を誤魔化すこともできれば、上手くいけば政治などに利用することもできる。今皆さんの頭にはとある政党が浮かんでいるであろう。政教分離原則には反するが、それは宗教を正しい方法で利用できていると言えるのではなかろうか。左向きなのはいただけないが。
他にも某宗教には施しの精神、というものがある。その信者の資産家達は発展途上国に学校を建てたり、多額の支援を行ったりと、戒律を動機として社会に大きく貢献している。
まだあるが長くなるしあまり良くない話にも繋がるのでやめておこう。
④個人的に理想と思う信仰
皆さんは中学校の国語で、「握手」という作品を読んだことがあるだろうか。もし読んだことがあるのならば、その作品の登場人物の一人であるルロイ修道士を覚えていることだろう。彼の台詞の中に、当時の私の宗教観に、大きな衝撃を与えたものがある。残念ながら当時の教科書は失くしてしまったためうろ覚えで申し訳ないが、ルロイ修道士の死期を悟った主人公に死ぬのが怖くないか、と問われたとき彼は、そのために長い間神様を信じてきたのだ、という内容の返答をする。
私はこの台詞を初めて見たとき、これぞ理想の信仰だ!と興奮したのを鮮明に覚えている。死に対する恐怖を、俺は神を信仰してるから大丈夫、と思い込むことで、理性を保っているとまではいかずとも、それにより緩和されるストレスもあるだろう。これは宗教を恐怖心の受け皿、つまり道具として、狂信的でもなく、また生臭くもない、適度で効率的に信仰していると言える。これが本来在るべき信仰の姿であると私は考える。
仏教について少し考えてみよう。般若心経をめちゃくちゃ簡単に表現すると、物事にこだわるな、的な感じだ。これは日本の仏教と矛盾しているのではないか。
死者のために墓標を立て、高い金を払って葬儀を行い、命日ごとに決まった儀式を行う。元来仏教に盆という概念は無い。日本特有のものである。これは般若心経の教えとは相反する行為である。
もちろんそれによって私は生活出来ているわけであるからフォローさせて頂くと、この点もまた、宗教の役割である精神の安寧を保つ、という役割がある。お墓参りに行けば亡くなった大切な人に会える。もちろん心の底から信じていなくとも、そう思うだけで救われることもあるのだ。
日本に仏教が広まったきっかけを考えてみよう。聖武天皇は鎮護国家の思想の下、仏を畏敬する民を、ある種の恐怖によって縛り付けていたと考えることもできる。
廃仏毀釈も、天皇の権威をより一層強固なものにする目的があった。
第一天皇制自体、天皇を現人神という神とする、宗教である。
フランスの絶対王政が成り立ったのも王位が神から与えられたもの、という認識があったことが大きい。天帝を崇める中国の皇帝も然りである。
このような歴史を鑑みると、政教分離はほぼ不可能であるように思う。某政党がなければ自民の政権は厳しいだろうし、統一教会(ここではあえて実名を出させていただく)の件でここぞとばかりに自民を叩く野党はナンセンスだと個人的には思う。
誤解しないで頂きたいが、旧統一教会のことを擁護する意思は微塵もない。あれは悪質なカルトであると糾弾する。
私が言いたいのは、政治を行うにあたって、宗教との癒着はやむを得ないのだということである。もちろんズブズブなのは考えものだが、 多少メタ的な考えで、与野党共に、そこは見て見ぬふりをするのが良いのではないかと思う。特に日本は。
⑤後書き
みんなのアンケート結果見てたら興奮してきちゃってたくさん書いちゃいました。ぶっちゃけまだまだ書き足りないですがあまり良くないことを書く前にやめておきました。宗教は便利です。盾であり収入源であり踏み台にもなります。しかし、先程述べたように一部の狂信的な信者達は本当に何をするか分かりません。どんな立派な文章の戒律も人命には絶対に勝りません。周りにそういうやつがいたら近づかないようにしましょう。
てかわりと冒頭で、特定の宗教や宗教家を批判する意思はないと言ったが、見直してみるとめちゃめちゃあったわごめん。
日本人は愛国心が薄いと言われています。それは宗教も関係していると思うのです。日本では国家神道が国教に定められていますが、仏教徒が多数派を占めています。しかし皆さんは仏教や神道を信仰している、という自覚をあまり持っていないと思われます。例えばフランスでは、日本でいう道徳のかわりに聖書を学ぶ授業があります。信仰心は愛国心にも繋がるのではと勝手に思っております。
まあ個人的にはこういう緩い宗教観が大好きなわけでありますが、またまた興奮してきて止まらなくなりそうなのでこのくらいでやめておきます。ありがとうございました。
…長い!よくこれを限られた総合の時間に発表しようと思ったなと、自分の事ながら呆れます。これを早口で捲し立てた後、満足気に辺りを見渡すと、副担任以外の全員が、口が半開きで背景に壮大な宇宙が見える状態になっていました。まあ普段おちゃらけたバカ丸出し男子が、唐突に宗教の話をしだしたらそりゃそうなるかもしれませんが、とてもガッカリしたのを覚えています。PVを伸ばすためには、おそらくこの段階でこんなニッチな分野の長文を載せるのはナンセンスなのでしょう。
しかしnoteであれば、興味を持ってくれる方がいてくださるはずだと思い、当時の自分の弔いの意味も込めて発表することに致しました。長く稚拙な文章に最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。次からはもう少し取っ付きやすいものを上げますので、是非また我が隠れ家に遊びに来てください。