アナログ派の愉しみ/本◎デカルト著『方法序説』
書物からオーラを
奪い去ったのはだれか
正月元旦に北陸地方を襲った大地震で、咄嗟にわたしの脳裡をよぎったのは、金沢工業大学の図書館に被害はなかったろうか、と――。なぜなら、同大学は長年をかけておもに理系分野の稀覯書の蒐集に取り組み、世界的にもきわめて貴重なコレクションを所蔵しているからだ。わたしは数年前、東京・上野の森美術館で開かれた展覧会でその一端を目の当たりにして驚嘆したことが忘れられない。
あれは平日の雨模様の午後だったにもかかわらず、会場は多くの老若男女でごった返していたところを見ると、好事家のあいだで金沢工業大学の活動については知れわたっていたのだろう。そこには、活版印刷が発明されて以降の歴史的名著が時代順に並べられ、古代ギリシアの学問を再発見させたユークリッド『原論』にはじまり、地動説から天動説への文字どおりコペルニクス的転換を引き起こした『天球の回転について』、ケプラー『新天文学』などを経て、ダーウィン『種の起源』やアインシュタイン『一般相対性理論の基礎』までの、初版本がひしめきあうさまはまことに壮観だった。
それらを眺めながら、わたしはただもう平伏する思いで一歩一歩を運んでいったのだけれど、ふと、自分だけでなく周囲の参観者たちも徐々に足取りが速まり、しまいには小走りに近いほどになっていくのに気づいた。一体、どうしたわけか? 前半の15~17世紀あたりの展示に対してはみな熱心なのに、後半の18~20世紀になるにつれていっぺん関心が薄れていくようなのだ。確かに、活版印刷がはじまって間もないころの書物は工芸品に近く、さまざまな趣向が凝らされ見栄えのするものが多いのは事実だが、それだけが理由とは思えない。わたしはもう一度、はじめからコースを辿り直して理解した。
どうやらその分水嶺は『方法序説』にあるらしい、と――。
フランスの哲学者、ルネ・デカルトが1637年に発表したこの著作は、正式には『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学』(1637年)という長ったらしいタイトルで、「方法序説」とは序文の部分に過ぎず、むしろ最大の学問的功績は、本論の「幾何学」において新たな確立を見た解析幾何学(座標をもとに図形と方程式を結びつける、中学で習ったアレ)であったとされている。すなわち、この一冊はたんに自己の見解を論述しているのではなく、トータルで世界そのもの、宇宙そのものをまるごと解明することを目的に執筆されたのだ。
21世紀のわれわれから振り返ってみたときに、壮大な野心だと言うべきか。あるいは、誇大妄想だと?
しかし、おそらくはこの展覧会の観覧者のだれもが実感したのは、そのデカルトに至るまでの、ユークリッド、コペルニクス、ケプラー……など、世界や宇宙のまるごとの解明を目的としてこの世に生みだされた書物がいずれも燦然とオーラを放っていることだ。ところが、『方法序説』以降、その影響のもとに執筆されたニュートンの『自然哲学の数学的原理』などをわずかな例外として、次第に書物のオーラが色褪せていったように見えるのだ。たとえダーウィンやアインシュタインの業績が革命的だったにせよ、その著作の顔つきは現在の本屋に並ぶふつうの専門書と大差ない。これは一体、どうしたわけだろう?
『方法序説』において、神の存在証明に先立ってデカルトが書きつけた命題はあまりにも有名だ。
Cogito, ergo sum.(われ思う、ゆえにわれあり)
これについて、後世のアメリカの皮肉屋アンブローズ・ビアスは『悪魔の辞典』(1911年)のなかで、こう直すといっそう真実に近づくと茶化してみせた。
Cogito cogito, ergo cogito sum.(われ思うとわれ思う、ゆえにわれありとわれ思う)
なるほど、ついに神より前に人間が立ったときに導入されたコギトは、以後、人間がみずからの理性によって思考を進めていくにつれて、cogito cogito cogito ……と際限なく増殖していくだろう。そこした積み重ねが、より厳密な科学的真理を獲得させるのと引き換えに、神のもとで世界を、宇宙をまるごと解明しようとしてきた野心は萎えて、そのぶん書物からオーラが失われていったという成り行きだったのだろう。かくして、もはやわれわれを平伏させるような書物は出現しないことを、あの展覧会は逆説的に教えてくれたのではなかったか。
ネット情報を眺めるかぎり、金沢工業大学は能登半島地震で大きな被害をこうむることなく、むしろその直後から被災者に避難場所を提供するととともに、今回の地震のメカニズムをめぐって果敢な調査・研究に挑んでいるようだ。ここに蓄積された人類の英知を糧として、将来に向けていっそうの発展を願わないではいられない。
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