[書評] チ。-地球の運動について-
みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。
前回、あまりの衝撃に作品を読み終える前に
書評を書いてしまった。
全8巻のうちの3巻目だったから、
半分も読んでいないことになる。
あれだけ「これは とんでもない作品だ!」
なんて ひとりで大騒ぎしておいて、
読破してみたら「…え!?こんなもん……?」
なんて読後感だったら、さて どうしたものか。
私の始まったばかりの書評家人生を
天動説 VS 地動説 論争並みのインパクトで
左右しかねない大問題だったが、
結果的に それは杞憂に終わった。
だいじょうぶ、ちゃんと名作であった。
地動説をめぐる物語
本作は15世紀、地動説が異端とされた
P王国を舞台に展開していく。
また全4章のうち、最終章では
P王国からポーランド王国に舞台は移る。
私も長年勘違いしていたのだが、
現実の歴史においては
地動説は必ずしもキリスト教世界では
異端として迫害されていたわけではないらしい。
天動説や地動説といった言葉は、
天文学に深い興味を示さなかった
私のような人間には
歴史の教科書くらいでしか接点がなかったから、
どうしても ガリレオ・ガリレイ の
宗教裁判のイメージが強い。
(そういえば「それでも地球は動く」も
ガリレオ自身の言葉ではなかったとか…)
P王国とかC教とかいう名称は大人の事情 政治的な配慮かと思っていたが、
なるほど あくまで
「地動説が異端とされた世界」
というフィクションという意味があったのだ。
「チ」の意味するもの
Wikipedia によると
ということらしい。
大地の「地」、地動説の「地」であることは
手に取る前から容易に想像はついた。
加えて「血」と「知」においては
作中でも強調されるシーンがある。
なかでも私は「知」の部分について
特に大きな感銘を受けたように思う。
作中で『地』動説の研究を志した者たちは
自らの『血』(命)を懸けて
『知』の探求に突き進んだ。
世界中では紛争が絶えないとはいえ、
少なくとも この日本において
平和な日常を享受する私たちにとって、
「知」に命を懸けることがどれほどのものか
想像できるだろうか。
学校や職場といったコミュニティですら
ちょっとした違いから
いじめやハラスメントが起きるのに、
本作品の世界では「考え方の違い」は
「生存を許されるか否かの違い」となる。
思考・思索を大切にする者として、
その「知」に全てを捧げる想いには
胸を打たれるものがある。
地動説を通じた ” 哲学ロマン ”
本作品には、「知識」「言葉」「考えること」
に関する印象的な対話が描かれている。
また、第3章の終盤の「歴史」に関する
ラファウのセリフも素敵だ。
私はあまり名言集の類は好かぬが、
この作品は随所に示唆に富む言葉が
散りばめられた
まさしく「名言集」だと思う。
印象的な言葉を挙げだしたら、
少なくとも片手では足りぬ。
羅列するだけなら簡単ではあるが、
紹介するなら私の感激についても語りたいし、
それを読者に飽きさせずに読んでもらうには
些か私の文章力が足りない。
そういえば
「証明の記述には余白が足りぬ」とか宣って、
300年以上も人類の頭を悩ませた
高名な数学者がいたような気がする。
数学者の話はさておき、
私が思うにこの作品のコアは
「地動説」や「天文学論争」
そのものではない。
あくまで それらを通して描かれた
壮大な「哲学ロマン」である。
まとめ
作中の印象深い言葉については
やはり紹介したい気持ちも捨てがたい。
それはまた機会を改めるとしよう。
代わりと言ってはなんだが、
ここでは最後に Wikipedia より
この作品のキャッチコピーを紹介しておく。
「命を捨てても曲げられない信念があるか?世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか?」
こんな人にオススメ!
・天動説や地動説に興味がある人
・中世欧州世界の考え方に興味がある人
・「文字」や「言葉」を大切にする人
・「文字が使えるのは当たり前」
「本や情報に触れられるのは当たり前」
と思っている人
・「考える」ことを大切にする人
・キャッチコピーに興味を惹かれた人
こんな人には合わないかも…
・拷問などの痛々しい表現が苦手な人
・頑なに地動説を認めない人
・キャッチコピーを見ても何も感じない人
お読みいただき、ありがとうございました。
いつも応援いただき ありがとうございます。いただいたチップは、新たな学びの糧として 書籍代や有料記事購入に活用させていただきます。