主婦と兼業

今橋愛と花山周子の主婦と兼業をこちらに移転しました。 主婦と兼業について→https://note.com/brainy_impala376/n/nd21f03dc512a

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マガジン

  • 鑑賞◆小倉百人一首◆

    今橋愛と花山周子で「小倉百人一首」の鑑賞をしています。 毎週月曜日に更新します。 ※奇数番号の歌を花山が偶数番号の歌を今橋が担当していますが、ときに狂う場合がありそうです。また、花山は順番通りでありますが、今橋は書きたいものから書いていくので、番号が前後しています。

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    主婦と兼業の活動のお知らせ

最近の記事

86番 嘆けとて月やはものを      西行法師

今橋愛記 86番   嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな                          西行法師  今回も先に翻案を載せます。 願はくは花の下にて春死なんその如月(きさらぎ)の望月のころ   西行 の翻案。 咲くとこも                 散るとこも見といてあげると        いう声がする                 ひかりのなかで   今橋 愛                            

    • 94番 み吉野の山の秋風②          参議雅経

      み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり                                  参議雅経 今年の夏もとても暑くて ほんとうに暑かった。 その頃から わたしは94番の中に入りこんだ。というか み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり           この歌をたたき台にして 源氏物語 夕顔の巻に行き、 そこのあれこれに魅了され いろいろなことを思って、 だけどそういわれてみれば。と 夕顔の巻をもうずいぶん前にも読

      • 94番 み吉野の山の秋風①          参議雅経

        今橋愛記 み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり               参議雅経 所載歌集『新古今集』秋下  今回は翻案を先に。 吉野の秋、 衣を打つ砧の音に対して、 この夏、テレビ大阪の天神祭の番組から。 天神さんは天神祭の事で、 河内おとこ節を歌っているのは、もちろん中村美津子。 天神さんの夜のテレビジョン きらきらと 河内おとこ節ひびきわたるよ   今橋 愛

        • 40番しのぶれど色に出でにけり①   平兼盛

          しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで  平兼盛たいらのかねもり  40番 しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで 平兼盛  この歌と 41番 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見 は、歌合で競って なんかかんかあって、 恋すてふ(すちょう)が負けた。みたいな知識くらいまでが ある。 そこいら辺、恋事が人にばれたときの心に、 より沿っている歌、言葉はどれか。 前回花山さんが書いているのを読ん

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        • 鑑賞◆小倉百人一首◆
          66本
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          4本

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          41番② 恋すてふわが名はまだき      壬生忠見

          花山周子記 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見 〔所載歌集『拾遺集』恋一(622)〕 40番 しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで 平兼盛 41番 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見 この二首は天徳内裏歌合で平兼盛の勝利となったけれど、その後も長くどちらの歌がいいか議論されてきたという。好みにもよるだろうし、負けた方の忠見の歌を擁護する声も根強いようだ。 でも、わたしはそれより先に、

          41番② 恋すてふわが名はまだき      壬生忠見

          68番② 心にもあらでうき世に         三条院

          今橋愛記 心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな               三条院 〔所載歌集『後拾遺集』雑一(860)〕  というのも作者、三条院は、お気の毒な天皇でらした。 長いあいだ皇太子のまま 即位がなかなか叶わず36歳での即位であった。 そうして天皇になられてからも  わずか五年で天皇を退位し、そしてその翌年にはこの世をも去られるのだった。 詞書(ことばがき)には  例ならずおはしまして、位など去らむと思(しめしけるころ、月の明かり

          68番② 心にもあらでうき世に         三条院

          41番① 恋すてふわが名はまだき

          花山周子記 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見〔所載歌集『拾遺集』恋一(622)〕 今日の一首は、 40番  しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで 平兼盛 と並び「天暦御時歌合」の折りに「忍ぶ恋」のお題で出されたことで知られる。 「歌合」というのはこれまでにも少し触れて来たけれど、左右に別れてお題の歌を出し合いその優劣を競うもので、古今集の時代の少し前、紀貫之がまだ青年の頃に初めて行われた。有名な歌合はいくつもある

          41番① 恋すてふわが名はまだき

          68番① 心にもあらでうき世に         三条院

          今橋愛記  伏し目がちな歌。 ほんとうは この儚い世を もう生きておりとうはないのやけれど  もし生きながらえてしまうんやったら  だんだんに見えなくなっている この目で 今、見ている  夜更けの月が 恋しく思いだされることだろうよ。 同じ月を歌ったものでも  嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな                           86番 西行法師 わたしが涙を流しているのは月、あなたのせいだよ。と  月にその顔を見せるように

          68番① 心にもあらでうき世に         三条院

          39番 浅茅生の小野の           参議等

          花山周子記 浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき 参議等  〔所載歌集『後撰集』恋一(577)〕 「浅茅生」はまばらに、あるいは短く生えている茅(ち・ちがや)。わたしが小学校に上がるときに引っ越してきた公団団地は、広大な湿地帯を埋め立ててできたまだ新しい団地で、あちこちに広い空き地が残されていた。中でも団地の中心に置かれる広場にはスーパー建設予定地の広い空き地があり、一面に茅がなびいていた。それはまるで童話の中に出てくるような草だった。白い狐の尾っぽのよう

          39番 浅茅生の小野の           参議等

          28番 山里は冬ぞさびしさ

          今橋愛記 山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば 源宗千朝臣 〔所載歌集『古今集』冬(315)〕 「かれぬと思へば」の「かれぬ」。 離れと枯れとが掛かっている。 これだけを知れば、上から読んで歌意も読んだら、 ああそうか。と一見わかりやすい歌だなあと思う。 「思へば」とあるので、 作者が、山里の冬のさびしさを「ほんとうに」実感として受けとって作ってないのかな?  とちょっと思ったりもする。    あるいは山里で暮らすようになってそこで過ごすはじめての

          28番 山里は冬ぞさびしさ

          37番 白露に風の吹きしく          文屋朝康

          花山周子記 白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける  文屋朝康 〔所載歌集『後撰集』秋中(308)〕 まだまだ2023年の東京は暑いけれど、そんな今読むと今日の一首はまるで秋を先取りしてくれているようで、一層いいなあと思う。 秋の草の白露に風が吹く。すると露が光りながら散っていく。 それを糸を通していない玉が飛び散る様子に見立てている。 露を玉に見立てるのは当時流行の発想であった。 35番⑤で、36番清原深養父の歌で『古今集』の歌は最後になると書いたが、

          37番 白露に風の吹きしく          文屋朝康

          22番 吹くからに秋の草木の                             文屋康秀 

          今橋愛記 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀 〔所載歌集『古今集』秋下(249)〕 漢字の「山」と「風」とをくっつけると「嵐」という字になる。 そんなとんちを歌にしている。 最初何を言っているのか分からなくて、じーっと見ていたらやっと意味がわかる。                                                あたりまえといえばあたりまえのことをこういう言いかたで むべ、らむ など使っておさめられると、へーと 

          22番 吹くからに秋の草木の                             文屋康秀 

          35番⑤ 人はいさ心も知らず          紀貫之

          花山周子記 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之    〔所載歌集『古今集』春上(42)〕 観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日われには一生  栗木京子 現代短歌のあまりに有名な、もはや小倉百人一首に収録されていてもおかしくないような歌である(実際に古典と思われていたと作者が言っていた気がする)。 この歌の下句について小池光が、 思ひ出はわれには一生君には一日 だったらこんな名歌にはならなかった、というようなことをどこかで言っていて、本当にそう

          35番⑤ 人はいさ心も知らず          紀貫之

          82番 思ひわびさても命は               道因法師

          今橋愛記 思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり                    道因法師 〔所載歌集『千載集』恋三(818)〕 82番は歌よりも作者のほうにぎょっとするのだった。 「法師」なので出家をしているが、出家時は80歳を超えていたそうだ。 出家以前には、神社に毎月「いい歌を詠みたい」とお祈りに行っていたのだともいう。この人がいい人だったら、このエピソードだけが残っただろうに。 歌合わせで負けた時には、判者のところに行って涙を流して申し立てた

          82番 思ひわびさても命は               道因法師

          35番④ 人はいさ心も知らず          紀貫之

          花山周子記 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之    〔所載歌集『古今集』春上(42)〕 さて、この歌も漢詩からの発想の摂取が指摘されている。 劉廷芝(651ー679)の詩である。 直訳の必要もないほどシンプルな詩だけど直訳すれば、「毎年毎年花は相似た姿である 毎年毎年人は同じではない」ということで、わたしはこのかたちのままで味わいたいが、ほとんどの書物ではもっと砕いて、花の姿は変わらないが人は移り変わっていく、と意訳している。ある種の普遍的な

          35番④ 人はいさ心も知らず          紀貫之

          72番 音に聞く高師の浜の            祐子内親王家紀伊

          今橋愛記 音に聞く高師の浜のあだ浪はかけじや袖のぬれもこそすれ  祐子内親王家紀伊〔所載歌集『金葉集』恋下(469)〕 1102年、堀河院艶書合という歌合で詠まれた歌。藤原俊忠が 「人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ」 と送ってきた歌への返歌が72番である。 俊忠の歌は、思ひありその浦風に波のよるこそ あたりが、ギャザーのようにその波の揺れを際立たせながら、同時にそこに意味も重ねてきて、 最終的にその波がざわわわーとこちらに届く塩梅。 このけそう

          72番 音に聞く高師の浜の            祐子内親王家紀伊