ヴァージニア・ウルフのダロウェイ夫人。
昔、フィリピン人の母が英語版を持っていた。
子どもの頃だったせいもあり、内容をほとんど忘れていた。
本はどこにあるのかわからなくなってしまったらしい。
僕の好きな翻訳家の新訳が出ていたので日本語版を読んでみた。
何となく、ダロウェイ夫人の時代よりスマートな現代風になっている。
おそらく、ウルフはその方の訳と僕の感性がしっくり来なかったのだろう。
ウルフ以外はその方の日本語の文章がとても好きなのだ。
Kindleに英語版があったので購入し、読み始めると、出だしで心を掴まれた。
時間の流れだけではなく、五感の──意識の流れ──全てを感じるままに、文章にのせて、僕に断片をいくつも見せては消えてゆく。
詩のような、とても美しい文章の断片たちが集められて砂のように手からこぼれ落ちていく。
そんな感覚を覚えずにいられない。
おそらく、一見すると、スノッビーな貴族の散歩中に思いついたり、思い出したりしたこと、同性愛を綺麗事を並べ立てているだけのように感じる読者もいるかもしれない。
無垢なままの情熱── キリスト教に従っての愛の範疇に収まりきらない──を静かな情熱に変えることのできる大人たちに、僕は感じた。
その情熱のコントロールは、綺麗事だけではなく、どこか気怠い。
文章が少し古いイギリス英語独特の言い回しにも感じるからか、ダロウェイ夫人は確かに品のある気怠い女かも知れない。
気怠さと上品さに巧妙に隠されている、ダロウェイ夫人の死の影と根底にある純朴さと愛と情熱。
純粋な愛と情熱が死の陰によって押しとどめられている。
僕はこの文章がとても好きだ。第一次世界大戦の終戦後、当時のコロナのようなスペイン風邪の症状が出ている主人公。
やっと終戦になり、愛でるものが壊されなくてすむ時間がやってきたとおもったら、彼女の病とともにだ。
愛するものの記憶や手触り、香り、五感全てを使ってかき集めようとする。
彼女の一日はその断片を集めるのに費やされたのではないか?気怠さは病いからなのだろうか。
それでも絶望感ではなく、ただただ純朴で汚れのない郷愁と、平凡でありたい、とるにたらぬ日常の現実を噛みしめたい、という主人公の願いのような、静かな情熱を感じさせられる。
ひとえに、それは、ウルフの文才と感性から読み手の僕に感じさせてくれているのもある。けれども、コロナ禍であったり、妻や僕の友人たちが住む国で紛争が起きていたりする中、この主人公の振り撒く断片たちが強く僕に訴えてくるものがある。
時代の流れの中で作品の解釈が異なりパンデミック前よりも、今、ウルフの作品が再評価されている理由が何となく分かる気がする。理不尽な死が遠いものだったパンデミック前と近しくなった今で異なる。また、紛争地域に関係者がいたりすると確実に価値観が変わる。これは経験しないとわからないと思う。大きく変わるのだ。
誰もが人生を愛している。誰もがである。
理不尽な死が想像のものなのか、そうではなく現実のものなのか、ダロウェイ夫人のさまざまな記憶と思考、感情の断片から、立場が変わった場合の事象の捉え方、見方が変わることを痛感させられる。
あまりに儚く、強く、硬質でノーブルな郷愁と残像が幾つも飛び込んできては次の瞬間に時間軸を超えてまた別の残像が現れる。それも音楽とともに。 エレガントと情熱が混じり合うウルフのそんな文章にもっと触れていたい。
強く美しいものは、ありきたりな言葉だけれど、優しい。
タナトスは脆く儚く美しいのではなく、強く生を希求するからこそ美しいように思える。
クラリッサのいる風景。
新鮮な朝の窓を吹き抜ける空気、曇り空や雨の午後、誰かへの情熱、気怠さとともに現実と交差する。
その全てはタナトスの先で抱擁され、生あるところへ静かにたゆたう。
歳も性別も超越したところで光彩を小鳥が歌うように放つような、そんなチャーミングな美しさは生へのポジティブな讃歌をクラリッサが体現しているからだろう。
ウルフの美しい詩の断片のような文体を読んでいると、こぼれ落ちていかないように、書写せずにはいられない。
美しさの基準は人それぞれであろう。
全て超越した普遍的な美しさ───不滅の美しさ
それを言葉によって再現することは非常に難しいが、言葉によるイマージュの再現を詩は担う。
そして詩は哲学と小説とを包括した言葉の結晶だと僕は思う。
ある美しいシーンから他の虚構のシーンが生まれエクリチュールとして羽ばたく。
クンデラの不滅のアニエスもそうして生まれたが、ウルフのエクリチュールはもっと鋭利な感覚で、もっと直感的に、シーンを音楽や喧騒、あるいは静寂とともにこちら側へ提示してくる。
僕は、読んでいて映像と音楽が頭の中で鳴り響く作家が何人かいる。
プーシキン、ブルガーコフ、タブッキ、サラマーゴ、クンデラ、イシグロ
ウルフもそのひとりだ。
素晴らしい作家を知り、読むことが出来るのは幸せだと思った。
僕は美しいものが好きだ。