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言葉の変化を考えてみたい─静寂の美学①
はじめに
以前、大正9年生まれの曽祖母の日記について書いた記憶がある。
日記の中での曽祖母の言葉遣いでいくつか印象的なものがあった。
思へば
〇〇のやう
〇〇かしらん
今風に直すと
思えば
〇〇のよう
〇〇かな
であろう。
また、生前中の話し言葉も古風だった。
「〇〇でございましょ」
「こちら/そちら/あちらへいらっしゃい」
服を買ってきたりすると
「新しくあつらえたの?」
新しく買ったの?
おはぎを作ってくれたときは
「おはぎをこしらえましたからこちらへいらっしゃい」
おはぎ作ったよこっちにおいで
孫やひ孫らに注意を促すとき
「〇〇してはいけません」
やや強めのときは「〇〇してはなりませぬ」
だった。
曽祖父は
「これ!〇〇してはならぬ」
「ならぬものはならぬ」
こら、ではなく、これ。
彼らの時代劇のような表現が子どもながら面白く、怒られている最中にも関わらず、僕と兄貴らのひ孫は真似をしたりもした。
いま、思い出すと、「すごい」や「本当に」と彼らが言うのを聞いたことがない🤔
まことに
とても
大変
非常に
これらを使い分けていたような気もする。
祖父もややその傾向が残っている。
「○○かしら」「〇〇してはいけないよ」など。
ちなみに親父や僕は「〇〇したらダメ」
これは曽祖父母がそう習ったのだろうからしょうがないが、言葉遣いがややまどろっこしさも否めない。
上品ぶっているわけでも、勿体ぶっているわけでも、冗談でもなく、彼らは書き言葉も話し言葉もそのようであった。
簡素化される日本語
明治以降、西洋文化が一気に広まり、大きく文化が変化した。明治以降、文学者たちも積極的に話し言葉で本を書き残すようにもなった。
戦後GHQの指示による日本語簡素化は果たしてそれを決定打とするかどうかは勉強不足のためまだわからない。
表向きの意図は日本国民の識字率向上だったようだが。
大衆的なメディアや小説、歌で使われる言葉も変わり、単純化、簡潔化されたり、以前使われていた言葉が極端な表現をするために異なる意味で使われるようになって、それがスタンダードなものになったり。
この変化は祖父たちにとって「言葉遣いが乱暴、下品」と映るようだ。
都市計画の無計画さも昭和から目立つ。
建築物に関して言えば、日本家屋は(数奇屋造りなどは昔から富裕層の家屋だが)西洋化どころか廃れつつある。高度経済成長以降の早くて安いツーバイや建売のためのプレカットが主流となっていったところが大きいだろう。
言葉遣い同様、「粗い」。
つまり、何が言いたいのかというと、
新しい言葉を「取り入れる」ではなく古いものと「すり替える」「置き換える」あるいは「簡易化、省略化」、「異なる意味へ変える」あるいは「使わなくなる」。
それも恐ろしいほどのスピードを持って。
ニュース番組でもドラマやバラエティに映画や歌といった生活に身近なところでもそれはそうであり、スピードを加速させる。
せめて小説くらいは、と思えども、小説の言葉もそれに近しい。
現代に侵食される古典と均一化
光文社古典新訳文庫をはじめ、新訳はもちろん最新の研究によって新たに解釈が発見されたことで新訳を出してもらえるのはとても楽しみにしているしありがたい。
しかし現時点で使われている言葉遣いにされてしまうと、書かれた時代より現代よりの時代設定に見えてしまう時もなきにしろあらずで、おっかなびっくりしながら読む。
古典は少しでもやはり時代を感じさせてくれる方が僕は好きだ。
こうしてニュースや小説すらも言葉がどんどんと「現在」に侵されていくのはどことなく切なさと侘しさを感じる。
言葉が簡易化あるいは省略化されて行ったり、文化や街並みが画一化されていくと感性までもが均一化されそうな気が個人的にしてしまう。
風雅の真髄が感じられる文化、街並みはある特定の場所や特定の芸術に限られがちになってしまった。
多様性、多様化と謳われながらも、一部の事柄に関しては簡素化によって均一化されてしまってもいるように思うのは僕だけであろうか?
そのようなことを昨日ぼんやりと眠る前に考えていた。
話し言葉と書き言葉の離反
ところで、余談である。
この言葉の変化、特に新しい言葉や教育や国語愛護に危機感を持つのは今に始まったことではない。
曽祖母らが学生の頃(曽祖父は既に支那方面で軍の任務に就いていた)、昭和13年、日本の民俗学者、柳田國男さんが国語教育について危機感を持たれていた。
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曽祖父は陸軍の学校で語学や数学などを学んだそうだが国語の授業はわからない。戦後、戦前戦中の話は、我が家で少しタブーな話題だったらしい。(祖父談)
曽祖母は女学校時代の国語についてはお習字と着物の縫い方を習ったことを父に話したことがあるらしい。しかし、国語の授業でどうこうというのは聞いたことがないようだ。
曽祖父も森鴎外が好きだったが、授業ではなく、当時は本で読んでいたようだ。
冒頭の曽祖母の日記に戻るが、日記とは個人の心情が書き連ねてあるものだ、と僕は思う。
なので、無意識的に「かしらん」と心の中で思ったのであろう。「かな?」とは思わなかったのだろう。「思う」ではなく「思ふ」「思えば」ではなく「思へば」が自然だったのであろう。
品がある日記、曽祖母も品があった。
なほ、言の葉遣ひはいとやむごとながらさる。かくて、曽祖母にとりて話し言葉と書き言葉全く離反されたらざらずや?と我は思ふのにさうらふ💫
そもそも話し言葉と書き言葉は平安時代初期まで同じであった。それらの離反の強度がはっきりとしたのは鎌倉時代まで遡る。
清少納言の随筆は話し言葉で、吉田兼好のものは書き言葉である。
雅文体のエロティシズム
僕の好きな文体は文語体と雅文体(擬古文)なのだが、やや当たり前ではあるけれど、文語体は当時、漢文であろう。
文語体には悠久のロマンを、雅文体には澄み切った硬質な、けれどもしっとりとした花びらのような、空気感の中にはんなりとしたエロティシズムを僕は感じずにはいられないのである。
全体の内容以前に、文章から滲み出ているのを僕は感じとても好きなのだ。
例えば、鴎外『舞姫』の冒頭を思い出してみて欲しい。
A「石炭をば早や積み果てつ。」
a「石炭を早くも積み終わった。」
両者文脈は同じであろう。
しかし断然Aの方が情緒豊かかつ澄み切った空気と普遍的で、かつ、静寂な佇まいのあるエロスが感じ取れるのにaはAと比較すると、無味乾燥に思てならない。
もうひとつ、僕のもっとも愛する一節、泉鏡花『湯どうふ』から。
洒落れた湯どうふにも可哀なのがある。
私の知りあひに、御旅館とは表看板、實は安下宿に居るのがあるが、秋のながあめ、陽氣は惡し、いやな病氣が流行ると言ふのに、膳に小鰯の燒いたのや、生のまゝの豆府をつける。
……そんな不料簡なのは冷やつことは言はせない、生の豆府だ。見てもふるへ上るのだが、食はずには居られない。
ブリキの鐵瓶に入れて、ゴトリ 〳〵と煮て、いや、うでて、そつと醬油でなしくしに舐めると言ふ。
──恁う成つては、湯豆府も慘憺たるものである。…… ……などと言ふ、私だつて、湯豆府を本式に味ひ得る意氣なのではない。
一體、これには、きざみ葱、たうがらし、大根おろしと言ふ、前栽のつはものの立派な加勢が要るのだけれど、どれも生だから私はこまる。……その上、式の如く、だし昆布を鍋の底へ敷いたのでは、火を強くしても、何うも煮えがおそい。
ともすると、ちよろ 〳〵、ちよろ 〳〵と草の清水が湧くやうだから、豆府を下へ、あたまから昆布を被せる。
即ち、ぐら 〳〵と煮えて、蝦夷の雪が板昆布をかぶつて踊を踊るやうな處を、ひよいと挾んで、はねを飛ばして、あつゝと慌てて、ふツと吹いて、するりと頰張る。
人が見たらをかしからうし、お聞きになつても馬鹿々々しい。
が、身がつてではない。
味はとにかく、ものの生ぬるいよりは此の方が増だ。
時々、婦人の雜誌の、お料理方を覗くと、然るべき研究もして、その道では、一端、慢らしいのの投書がある。
たとへば、豚の肉を細くたゝいて、擂鉢であたつて、しやくしで掬つて、掌へのせて、だんごにまるめて、うどん粉をなすつてそれから捏ねて……あゝ、待つて下さい、もし 〳〵……その手は洗つてありますか、爪はのびて居ませんか、爪のあかはありませんか、とひもじい腹でも言ひたく成る、のが澤山ある。
淺草の一女として、――内ぢやあ、うどんの玉をかつて、油揚と葱を刻んで、一所にぐら 〳〵煮て、ふツ 〳〵とふいて食べます、あつい處がいゝのです。──何を隱さう、私は此には岡惚をした。
いや、色氣どころか、ほんたうに北山だ。……湯どうふだ。が、家内の財布じりに當つて見て、安直な鯛があれば、……魴鮄でもいゝ、……希くは菽乳羮にしたい。
しぐれは、いまのまに歇んで、薄日がさす……楓の小枝に殘つた、五葉ばかり、もみぢのぬれ色は美しい。
こぼれて散るのは惜い。手を伸ばせば、狹い庭で、すぐ屆く。
僕にとっては、エロスの源泉のような一節であり、これを声に出して読むと、僕は次のような静寂な佇まいを持つ情景が見えてくるのだ。
湯どうふがぐつぐつと煮えたぎり始める土鍋の中で身悶え、口に持っていかれ、喘ぐようにしてつるりと入る様である。このとうふは芯のあるふくよかな女性で、長襦袢の襟がややはだけている。
そして、玄関先の土間には金糸刺繍の草履がちょこんと履き捨てられてもいる。
外の冷たい空気がすりガラスの引き戸からほんの僅かに入ってもくる。
料理をこしらえる妻とその夫。
と、僕はかなり妄想が膨らむのである。
こうした、エロティシズムがなぜ、時代を超えて五感に伝わってくるのか?
鴎外や鏡花が天才だから、というのもあろうけれど、やはり、文体なのだ。
運命によって〈諦め〉を得た〈媚態〉が〈意気地〉の自由に生きるのが〈いき〉である。
昔から日本はエロい、もとい、自然に対しても人に対しても優雅で耽美な文化だった、粋な文化だったのだ。
古い本から静寂の美学─古い本、街並みのある環境
この文体は語り継がれるべきであり、これらからさまざまな想像ができる楽しみを僕だけでなく、子どもの世代にも引き継いでもらいたい。
それには、やはり、家庭でこうした文章に慣れ親しむ、学校で現代文のみならず、古い言葉を読み書きするという時間がしっかりと取られていて欲しいなぁ、とも思う。
学校というよりも、身近にそうした環境が、「古い本がある」ということが大きく影響するかも知れない。
古い言葉は丁寧すぎてまどろっこしい、と思われるのは慣れ親しんでいなかったり、想像が湧き起こらない、時間がせせこましい、などなどあるかも知れない。
硬質さを兼ね備えたしっとりとした言葉は決して短絡的でも暴力的でもなく、叙情的な日本の美の静寂を持つ文化そのものの要素のひとつではなかろうか?
こうした文体はやがて使わなくなり、読めないひとたちが増えて廃れてしまう。
こんなに素敵な文体を、だ。
これは何も言葉に限ったことではない。
都市計画、古い街並みの保存や活動、自然環境の保全など住環境もそうであろう。
古さが新しさに侵食されて塗りつぶされることなく、共存する街並みは、居心地も良く、街の人びとも街を愛している。
幸い、僕が生まれ育ち住む街には、歴史的建築物の保存及び活用に関する条例がある。
こうした条例が広がることに期待する。
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いにしへの
晩夏にかの巻
眺むれば
憂き世の現
物語らふ
───まことの言の葉忘るべからず
僕は言葉使いを改めて気をつけねばならぬのです。
品のなさを僕は常に露呈している。ややもすると無意識のうちに、ぞんざいな僕の言葉への態度。
感性で受け止めたものをもっと丁寧に表現しないと。
言葉の変化を考えてみたい。
そしてその時に感じたのは、照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれ/\の習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか、と云う一事であった。
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