「自由」な職業じゃなかったけど
子どものころ、プロレスラーに憧れました。みんな言いたいことを言って生きたいように生きてるなって。
私が作家を目指したのも「小説家=頭で戦うプロレスラー」と考えたことが理由のひとつでした。書きたいことを書いて自由に暮らせると信じていたのです。
でもそんなわけないですよね。
プロレスも小説も仕事。時には嫌なことも引き受ける。やりたいことをやるだけでOKな職業などない。やりたいことをやるためだから、やりたくないことにも耐える。耐えられるから生業にできる。そこが働くことの肝だといまならわかります。
と同時に、そんな擦れた大人のロジックで全て割り切れるものでもない。
棚橋選手の本当の気持ちはわかりません。ポリシーにそぐわぬ凶器三昧の危ない試合を会社のために引き受け、対戦相手に怪我をさせたことを気に病んでいるのかな、と想像はできます。でも第三者が軽々しく平易な言い回しに換えていい感情ではない。
ただ私も「こんなことがしたくて書店員になったんじゃない」と感じた経験はあります。前の職場でアイドル関連の雑誌やCD、DVDの予約受付に忙殺されたとき。俺はテレフォンショッピングのオペレーターでもアイドルグッズの販売屋でもないと叫びたかった。疲れ切った夜更けに虚無感を覚えました。「何で書店員になったのかな」と。
もし棚橋選手が「俺は竹刀で相手を殴り、高いハシゴの上から落とすためにプロレスラーになったんじゃない」「道場で練習して磨いたレスリングの技でみんなを楽しませたいんだ」と考えたのなら全身全霊で共感します。
私は同業他社へ移りました。でも彼は新日本を辞めない。そういう人です。辞めるのではなく変える。それが棚橋弘至の生き方なのです。
プロレスラーは思っていたような「自由」な職業じゃなかった。だからこそ昔よりもカッコよく映ります。棚橋選手、熱い戦いをありがとう。この世界にあなたがいてくれて本当に良かった。