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いまの人生は「一度目」か、それとも

「村上RADIO」をご存知ですか?

あの村上春樹さんがDJを務め、毎月の最終日曜に放送されています。選りすぐりの名曲に耳を傾け、朴訥な語りに身を委ねる。日曜日の夜は毎週ぐったりしているゆえ(職場が最も混む)後日radikoで聴くことが多いのですが、いつも楽しませてもらっています。

ラストで春樹さんが紹介する「今日の言葉」もオススメです。先月は↓でした。

「人生って二回あるべきなのよね。一度はリハーサル、二度目が本番、でも現実には一度しかないから、それでなんとかやっていくしかないわ」

アメリカのある女優がインタビューで話していたとのこと。

二度目が本番。どうでしょう。

かつて中途半端にニーチェを齧ったせいか「二度目もリハーサルかもしれない」「三度目も四度目も五度目も、永遠にリハーサルが続くことだってあり得る」「ならば、すべてのリハーサルが一期一会の本番だったという見方もできる」なんて感想を抱きました。

一方、アトラスの「ペルソナ」シリーズみたいに最初のプレイデータを引き継げるRPGだと、二度目がラクなのも事実です。さらに二度目以降じゃないと挑めない相手がいたり、入手できないアイテムがあったりする。

いまの人生は自分にとってもちろん一度目。だけど、実は過去に生きた見知らぬ誰かの何度目かを兼ねている。そんな可能性もなくはない。ならば、いま私が読書や趣味を楽しめているのは、誰かが一度目に耐えてくれた賜物かもしれない。

そんなことを考えました。

もし春樹さんが三島由紀夫の「豊饒の海」を読んでいたら、いつかこういうテーマで話をしてみたい。この四部作を昨年読了した際、書き続ける過程で三島のなかの「転生」や「生まれ変わり」に対する姿勢が悲観的な方へ変遷したのではと感じました。

詳しくは書きませんが「春の雪」「奔馬」の二作を統べる何かと「暁の寺」「天人五衰」におけるそれがどうにも合致しない。文体とかではなく。作者の人間的成長ゆえか、もしくは疲弊に伴う一種の諦観なのか。

ぜひ皆さまの目で確かめていただきたいです。

とりあえず現状の私は「いま」がすべて。かけがえのない「いま」を堪能します。

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