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当社の訪問看護ステーションは、毎年、看護学科の学生さんが在宅看護実習に来られているご縁があり、今回大学より講師依頼をいただいた。 先日、「在宅看護方法論」の外部講師として1コマ講義を担当させていただいた。 コロナ禍が始まってからの数年間、看護学生さんは以前と同様の臨床実習の機会を持つことや、在宅看護の実習場所の確保が難しい状況が続いてきた。 コロナによって、十分な経験を積むことができないまま国家資格を得る。 そして、看護師として現場に出ていくことへの不安や心配はぬぐえないだ
訪問看護で必ず確認すること。 ステーションから利用者さんのお宅までの「距離」だ。 新規利用の相談も「すみません、遠方なので対象範囲外です。」 日々の訪問でも「わぁ、遠いですね・・」 なんて発言が、事務所内でチラチラ飛び交う。 遠い=大変? もちろん、訪問の効率や生産性を考慮すると、移動距離は短く・件数は多く。 移動距離が少ない方がスタッフの負担も少ない。 その分利用者さんのお宅でエネルギーを使ってほしい。 訪問看護での訪問先の「遠い」事情はさておき、最近、私の中で「遠い
先日、3年と9ヶ月、一緒に働いてきたスタッフの最後の出勤日だった。 彼女はひと呼吸おいてから、 「私はこの会社に入社する前は、しばらく看護の世界から遠ざかっていました。ここに入社して訪問看護を始めた事は、私の人生にとっての大きな転機でした。 『利用者さんの側で近く寄り添える訪問看護って素晴らしい』 と思うことができました。 私はこれからも、もっと訪問看護を学びたいと思います。 ここを出て、違う場所でもっと色々なことを経験し学びたいと思います。 来月から〇〇で訪問看護師として
12月31日。 2020年は、今までに無い様々なイレギュラーを経験した年だった。 「やめること」を選んだこともそうだ。 今年、私が入学準備をすすめていた「2020年度 認定看護師教育課程」はコロナの影響で開講中止となった。 *~*~*~*~*~ 認定看護師は、訪問看護師を始めた頃から長年の目標だったが、結婚・転居・出産・子育て・子どもの受験や進学・仕事と機会をうまく捻出できず、そのままになっていた。 年齢・体力・タイミング的にもこれが最後の機会と、昨年1年かけて準備し受
「ねえ、まか。『無知はひとをころす』ということを覚えておきなさい。」当時高校生だった私に、先生が言った。 当時、高校生の私には先生の言葉が理解ができなかったが、30年以上経た今でも折に触れ、心の奥底から意識へ浮かび上がってくる言葉の一つだ。 その言葉と共に、先生の容姿もなぜかはっきりと覚えている。 小柄で色白、黒縁の眼鏡にショートヘア、襟付きのチェックのシャツにアースカラーのチノパンツ、聖書の授業が専門なのになぜかいつも白衣をフワッと羽織っておいた。 女性だったけれど、女性
こんにちは。久しぶりの投稿になってしまいました。 訪問看護という仕事柄、身近な問題として2月は新型肺炎の対応に追われてしまいnoteを開くのも久しぶりとなった次第です。 病気を持たれた方への自宅および施設への訪問看護を行うという仕事は、ご利用いただく利用者さんにとっても、私たちスタッフにとっても配慮と工夫が必要となります。 今回は、私たち働く側の工夫について、実際行っていることをご紹介します。(少しでも参考になれば幸いです) ①事務所近隣在住スタッフの自宅からの直行直帰体
今回の退院時カンファレンスは2時間に及んだ。 私はカンファレンスの後、病室で待つYさんにご挨拶をし 「それでは、次はご自宅でお会いしましょうね。今日はありがとうございました。」と病室を後にした。 病院玄関を出た頃には、すっかり日が落ちていた。 自宅退院をされ訪問看護を希望される方の支援として、入院中に病院に伺い、退院に向けてのカンファレンスを行うことがある。 病院の主治医・病棟看護師・理学療法士・ケースワーカー、ケアマネジャー、訪問看護ステーションスタッフ、訪問診療の医
訪問看護を希望して入社し1年半頑張ってきたけれど、想うところがあり退職を決断したスタッフから、先日、退職届を受け取った。 「看護師として働くことを見直したい。」 「でも、生活するためには働かなければ。」 思いがぐるぐると何周もしているようだった。 私が訪問看護に関わる様になって20年あまりになる。 今までたくさんの看護師さんと一緒に仕事をしてきた。 今も訪問看護師を続けている人。いろいろな事情で訪問看護から離れる人。 仕事を選ぶ理由、続ける理由、辞める理由は人それぞれだ。
「もう、私、仕事を辞めたい。」 数年間、一緒に訪問看護をやって来た同僚からの言葉。 彼女は訪問看護を志して入社し、一緒にやってきた仲間。 今でも彼女は 訪問看護が好き。 訪問看護は楽しい。 というのに。 力になりたいと願うほど、力になれない。 支えになりたいと願うほど、自分の非力を知る。 誠実に向き合えば向き合うほど、傷つく。 命の重さを知れば知るほど、持ちきれなくなる。 訪問看護って、ほんとはそうじゃない。 自宅で過ごしたい方がいて 訪問看護を必要とされる方
先日、行政の福祉課と市内の訪問看護ステーションの意見交換会で、「訪問看護師の量的拡大」について、それぞれの訪問看護ステーションさんの実情を伺う機会があった。 要するに 「おたくの事業所は、訪問看護師が足りてますか?」 「訪問看護の広報や事業所の案内、看護師の募集はどうしていますか?」 という事だ。 市内ステーション15ヵ所ほどの管理者クラスの、私よりも人生の先輩の方々が勢揃いの中、各ステーションの実情は3つぐらいのパターンに分かれた。 ○チラシ等で募集しても訪問看
今ではわたくし、原付に乗り訪問看護をする「原付ライダー」ですが、昔はフルフェイスのヘルメット、黒の革パンツ、ブーツ。テントと寝袋を持ち国内をツーリングする「250ccライダー」でした。行く先々で、風の感じや空気の匂いが変わるところがとても好きでした。 ずいぶん前、私はバイク走行中に車と衝突し、事故に遭遇し、全身打撲・頸椎捻挫・骨折2か所。1カ月の入院を余儀なくされました。2週間は仰臥位のみのベッド上安静。側臥位もダメ。ギャッジアップは食事の時のみ30度まで可能。という指示が
モクレン(木蓮)の花が咲いているのを見かけると、ひいおばあちゃんのことを思い出します。 私が子どもの頃、祖祖母も一緒に暮らしていました。実家の離れに住んでいて、その離れの前の植え込みにモクレンの木がありました。春になると紫色の花を咲かせていました。 祖祖母はもう90才近かったので、身の回りの手伝いが必要で、祖母(実娘)が世話をしていました。物忘れや、思い違いも頻繁にあったように思います。食事をしたことを忘れる、お風呂の中で寝てしまう等は珍しいことではありませんでした。