「やめること」を選ぶ時
12月31日。
2020年は、今までに無い様々なイレギュラーを経験した年だった。
「やめること」を選んだこともそうだ。
今年、私が入学準備をすすめていた「2020年度 認定看護師教育課程」はコロナの影響で開講中止となった。
*~*~*~*~*~
認定看護師は、訪問看護師を始めた頃から長年の目標だったが、結婚・転居・出産・子育て・子どもの受験や進学・仕事と機会をうまく捻出できず、そのままになっていた。
年齢・体力・タイミング的にもこれが最後の機会と、昨年1年かけて準備し受験・合格し、受講の為の準備を整え、今年5月より「週末学生」の予定だった。
不安もあったけれど、結構、私はウキウキしていたのだ。
開講中止の連絡が来たのは開講数週間前の4月だった。
10月になり「2020年度の入学許可を取得している者は2021年度以降の入学資格がある」という内容で次年度以降の入学の意思確認をする通知が来た。もちろん辞退すれば、入学資格は失われる。
カリキュラムはで645時間・実習あり、約1年かけて学び、終了翌年度に認定試験を受ける。しかも、コロナの状況下では来年度開講の確約は無いうえに、開講されたとしても実習が行えなければ、実習はさらに次年度へ先送りの可能性がある。
元々、認定看護師は認定試験合格後5年間の活動実績を経て、初めて認定看護師として認められる長丁場だ。
「長すぎる・・・」
「私は一体いくつになるんだ?」
人生100年時代の1/2が過ぎ、私は思ってしまった。
いくらやりたかった事とはいえ、学びにこれから1年も2年も・・もしかしたらそれ以上かかる。それから活動をして5年・・・。
今の私は、学びだけに時間を費やすわけにはいかない。
「10歳若ければ迷わずチャレンジしたのに」そんなことすら思った。
結局、時間とは「命の時間」なのだ。
無駄にせず、有効に使いたい。
私は次年度の入学辞退届を提出し、「やめること」を選んだ。
*~*~*~*~*~*~
今まで私は、進路や仕事など自分でやると決めたことは、やってきた。
もちろん、私の想い以外の様々な理由で断念せざるを得ないことも確かにあった。
だけど私は「やらなくてはならない事」ではなく、
「誰かにやるように言われた事」でもなく、
「やってもやらなくても良い、自分自身に選択肢がある事」については、
自分で「やる」と選んだことを辞めることはしてこなかった。
今回だって、別に誰かに「やれと」言われたわけでも、
誰かに「やめろ」と言われたわけでもない。
やっても、辞めても良い。
辞めて誰かにとがめられたり、迷惑をかけることでもない。
それでも最初、私は自分でやると決めたことを辞めることに、ものすごく抵抗があった。
何か「負けた」みたいで悔しかったし、心が弱い自分が嫌だった。
*~*~*~*~*
(そもそも訪問看護関連で私がしたい事)
・私が訪問看護を始めた時代から変わらないもの、大切にし、より深める必要があるものを私の経験から伝えること
・私自身が変化し多様化する社会や健康課題を捉える視点や、最新のエビデンスに基づいた専門的な知識・技術を常に学ぶこと
・過去の経験のみにとらわれず、私自身も変化すべきところは変化をすること
・現場のスタッフ、これから訪問看護を始めたい方の役に立つこと
「なぜ受講したいのか、資格を取ってなにをしたいのか」を考えた時に、私は「訪問看護師を始めた頃から長年の目標」ということにこだわりすぎていたし、入学する事そのものが目標になっていた。
入学にこだわることで選択肢が「入学するか・しないか」の二択になっていた。
そして「そもそも」に戻って考えた時に、今の時代は学びや実現のための手段や方法はたくさんあり、選択肢も他にもあることに気付いた。
なので、辞めることは、負けたり、意志が弱いなどということではなく、私の人生の選択の一つとして、今回は『「やめること」を選ぶ』ということなのだ。
「何かを始めることも、何かを辞めることも、それは、私がよりよく生きるための選択」
「もっと早くに気付けよ。」という自分自身の声が聞こえてくるが、
今年1年コロナ禍にあって、私にとっては思いがけない拾い物だった。
今までよりちょっとだけ、ゆるりと緩やかに暮らしていけそうな気がする。
皆様、よいお年をお迎えください。
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