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雲とミミズ、そして春
今日は母の誕生日。せっかくだからと久しぶりに母娘でカフェに出かけたのだが、なぜか話題は正岡子規になった。
「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如し」
随筆『仰臥漫録』に記された有名な言葉だそうだ。
夏の雲は岩のように大きくそびえ、どっしりとしている。秋の雲は砂のように低く流れ、儚げに動く。二つの季節の雲の質感と動きを対比的に描いた表現である。正岡子規は、自然をありのままに描く「写生」を重視したが、晩年は病床に伏して過ごした。
「子規はずっと病床で寝ていたから、空ばかり見ていたんだって」
母が言う。季節は移ろい、雲は変わる。それでも自分は変わらず同じ場所にいる――子規は何を思いながら空を眺めていたのだろう。
その姿が、ふとここ一年の自分と重なった。
パニック障害で仕事に行けなくなり、友達に会えなくなり、外に出られなくなった。体は思うようにならず、良くなっているのかも分からない。人生に迷い、部屋にこもっていた私が、そのとき唯一できたのは庭の草取りだった。
夏には蔓が繁り、花が一斉に咲く。秋にはたくさんの植物が種をつける。そして草が枯れ、急に寂しくなる冬の庭。季節が移り変わるなか、私はいつもそこにいた。
今朝もいつものように草取りに勤しむと、スイセン、ムスカリ、チューリップの芽が顔を出していた。春が近づいている。
ふと視線の先にミミズを見つけた。そういえば冬の間、ずっと見ていなかった。調べると、ミミズは地中深く潜って冬を凌ぐのだという。ということは、土の中から姿を現した今、この小さな生き物もまた、春を知らせているのかもしれない。
変わりゆく季節の中で、子規は雲を見上げ、私は土に目を向けた。どこにいても、何をしていても、季節は確かに動いている。
私もまた季節を見つめて、一緒に流れていけばいいのだ。焦らなくて大丈夫。