記事一覧
備忘録*贖宥状の勘違いから始まった宗教改革&イエズス会&異端審問
横道にそれてばかりで、いつまでも終わらないリンカーン大統領暗殺シリーズ?ですが、今回も補足の記事です。
よかったらお付き合いください。
前回の記事
*****
「リンカーンの暗殺はイエズス会に責任がある」と述べた元カトリック司祭の言葉のように(詳しくは次回)、イエズス会がさまざまな陰謀に関わっていると認識している人が多いようなので、それはなぜなのか?
AIに理由をまとめてもらいました。
イ
備忘録*『我がアメリカのいとこ』⑤カトリック陰謀事件&排斥危機とスペインの黒い伝説
1863年11月9日、ジョン・T・フォードは、ワシントンD.C.に1,500席のフォード劇場をオープンしました。
のちにリンカーンの暗殺現場になったため、フォードは共謀を疑われ1カ月以上も拘束されたそうです。
リンカーン大統領の暗殺者ジョン・ウィルクス・ブース(以下ブースと記す)は、ジョン・T・フォードの友人でもあり、フォード劇場のこけら落としで上演された記念すべき劇の主演でした。
その日はリ
備忘録*きつねの紋章のトッド家の歴史
スコットランドを起源とするトッド姓は、主に北イングランドとスコットランドに見られます。
珍しい名前でキツネを意味する「todde」に由来します。
おそらく祖先はハンターだったか、あるいは王室の領有地でキツネ狩りのためにキツネの飼育をしていたかもしれません。
*****
イングランドでリチャード2世が「人頭税」(百年戦争 (1337年 - 1453年)の戦費を調達するために12歳以上のすべての人
備忘録*イングランド・スコットランドの王政復古(1660)と名誉革命(1688)
日本で「島原の乱」(1637年)が起きた頃、スコットランドでは「スコットランド内戦」と「主教戦争」が同時進行で起きていました。
そして1641年には、アイルランドでも蜂起が起こったため、イングランド、スコットランド、アイルランドの三王国戦争(1639–1653年)とも呼ばれています。
*****
三王国戦争のきっかけとなったスコットランドの内戦は、1625年にイングランド兼スコットランド王に
無原罪の聖母*バラ窓の秘密&燃えた尖塔*ノートルダム大聖堂復活記念③
カトリックでは伝統的に、聖母マリアはその母であるアンナの母体に宿った瞬間から「アダムの罪(原罪)」から保護されたと信じられています。
これを無原罪の御宿りとして、1854年に12月8日を無原罪の聖母マリアの祭日と定めました。
7日夜の開会式は、パリ司教がノートルダム大聖堂の西正面「最後の審判」の彫刻下のドアを、司教杖で3回ノックするところから始まりました。
「我らが貴婦人」を呼び起こすようなノ
大聖堂の二重の意味*キリスト教と錬金術*ノートルダム大聖堂復活記念②
尖塔が焼け落ちるショッキングな火災から5年。
ついに、パリの貴婦人が整形手術が終わり、復活しました。
自らの灰の中で生まれ変わるフェニックスのように。
*****
すごく美しくなりましたね。
以前の写真と比べると、ぶっちゃけ明るすぎないか?が第一印象でした。
(でも、写真と実際に目で見る明るさは違うかも)
教会は薄暗いぐらいがいいと思っているんですよね。
祈りを捧げる場所だから。
前回の
19世紀フランスを分断したドレフュス事件とエミール・ゾラの裁判
やっと!!ネタニヤフの戦争犯罪に対して国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出されました。
ICC、ネタニヤフ氏とハマス幹部の逮捕状請求 米など猛反発 | ロイター
「ネタニヤフ首相らがイタリアに来たら逮捕しなければならない」ICCの逮捕状発行受け伊国防相(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
ネタニヤフ氏をほんとに逮捕する国があるかは別として、(ぶっちゃけ逮捕状が出たからと言っ
備忘録*19世紀イタリア統一運動とナポレオン3世*リンカーン大統領暗殺
19世紀の中盤(1848年以降~1850年代初め)、天王星と冥王星が牡羊座から牡牛座にかけてコンジャンクションを形成していました。
この会合周期は、およそ113年から141年というかなり緩みのある間隔です。
現在の私たちは、1965年頃に乙女座で始まったサイクルにいます。
*****
19世紀、イタリアでは国家統一を目指して革命運動が始まりました。
18世紀のフランス革命後の混乱を収拾したナ
アナーニ黄金時代の教皇とフィレンツェを追放されたダンテの話
前の記事でフランス王フィリップ4世のアナーニ事件のことを書いたので、昨年から下書きのままだった「アナーニ」について調べたことをUPします。
ローマの東約60kmに位置するアナーニ(Anagni)は、古くはアナグニア(Anagnia)と呼ばれていました。
ローマ帝国時代には皇帝の避暑地となり、中世にはローマ教皇がしばしば滞在した教皇の街でした。
紀元前のアナーニは、ヘルニキ族Herniciの土地
13世紀*エドワード1世のスコットランド征服とジャック・ド・サン・ジョルジュの城
我ながらいつ終わるのだろう?と思うボルチモア男爵シリーズ(笑)のスコットランド・ステュワート家編に関連したスピン記事です。
イングランド王とスコットランドの城リンリスゴー宮殿の初期の姿は、エドワード1世がスイスから呼び寄せたマスターメイソンのジャック・ド・サン・ジョルジュが建てた要塞城だったそうです。
エドワード1世がジャックを知った経緯はよくわからないですが、ジャックと父親のジョン(ローザン