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異文化理解

境界の時間がない

今すごく悩んでいます。
それは、

メリハリのある生活ができていない

ということです。
朝が来て、夜が来て、
もう少し寝たいと思ったら、もう朝で、
やるかと思ったら、もう夜で。

空を見るたびに、太陽の位置が自分の期待と違うことに驚いてしまう今日この頃。もちろん地球は一定のスピードで動いているので、不規則なのは私の生活なのですが、「なんでもうそこにいるんですか!?」と理不尽にも太陽にツッコミをかましています。

先日、「夕刻」という仕事とプライベートを分ける時間において、日本には儀式や儀礼がないため、気分を切り替えることができず疲れがとれない、という面白い本を読みました。

私たちの現代日本社会は、のべつまくなしに日常の仕事の時間が全体を覆っており、朝起きてから夜寝るまで、「境界の時間」がどこにも設定されていません。

青木保『異文化理解』(2001)岩波新書

混成化する文化を見据え、真の相互理解の手がかりを探っていく『異文化理解』(岩波新書)という本です。

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儀礼の意味

異文化を理解するためには手がかりが必要です。そのひとつが、儀礼や儀式、そして祭りなどです。

青木保『異文化理解』(2001)岩波新書

著者は、儀礼の意味をただちに理解することは難しいといいながらも、その儀礼を理解しようとすると、社会のある構造が見えてくると述べています。

成人式に出席した当時は、「なんで何十万もお金をつかって振袖を着て、写真を撮って騒いでいるんだろう。明日から生活が変わるわけでもないのに。」と疑問がありました。

しかし、この著書を読んでから、大人と子どもの境目の時間を"儀式"として設定することで、社会構造上のメリハリをつけているのかもしれないと思うようになりました。

「境界の時間」という文化を理解することで、今まで理解できなかった儀式や儀礼に意味を持たせてくれる感じかして、少し嬉しくなりました。

グローバリゼーションの中で異文化を認める

外から伝えられてきた異文化をどう捉えるかは、大きな課題になります。(中略)
 そこで留意すべきことは、グローバリゼーションと、文明、文化の衝突論と、どちらに与するべきだというような二者択一の議論にしない方がいいということだと私は思います。

青木保『異文化理解』(2001)岩波新書

実は、私は二者択一の議論が好きです。
なぜなら、立場を明確にして論をぶつけることで、お互いのメリットデメリットが浮き彫りになり、そのぶつけ合いの末に折衷案を一緒に考えることで「相互理解」ができると考えるからです。

昨今のSNSを眺めていると私のように二者択一の議論が好きな人が多いのではないかと思います。しかし、ぶつけ合いをするのは得意ですが、折衷案をまとめるまで進んでいるケースはあまり見ません。私自身も、自分の大事にしている考えを持っているときは、折衷する気にすらなれません。

自分の大事な考えをもっている分野で、外から来た異文化的な考えを、二者択一の議論をせずに受け入れる

どう考えても難しさの極みですが、二者択一の議論を始めた時や傍観者になっている時に、ふと思い出せるよう、頭の隅においておこうと思います。

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自文化の中に異文化を見る

「自文化の発見」にはもう一つ、自文化と思っているものを一度異文化として捉えなおすという意味もあります。

青木保『異文化理解』(2001)岩波新書

境界の時間がなくメリハリがない私生活を異文化と捉え「夕刻の時間の儀式」をつくってみる

まずは「境界の時間」を考えることから
異文化理解をはじめよう

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ぶらっくこーひー * 読書
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