告発本『朝日新聞政治部』を読んで
『朝日新聞政治部』(鮫島浩著、講談社、2022年5月27日刊行)を読んで、身震いするほど面白かったので感想を書きたかったのだが、さまざまな事情で表の顔(顕名)では書けないため、こちらにアップさせていただく。
本書は、2014年のいわゆる「吉田調書」報道で「捏造記者」のレッテルを貼られ、昨年、朝日新聞を退社した鮫島浩さんによる手記である。鮫島さんは元政治部デスクで、2013年に新聞協会賞も受賞したエリート記者だった。そのこともあって発行前から本書の注目度は高く、発売から1か月足らずの 6月21日時点ですでに4万部を超えるという人気ぶりである。
私は書店でたまたま本書を見つけ、帯の「すべて実名で綴る内部告発ノンフィクション」というコピーにつられ、思わず買ってしまった。確かに朝日新聞の内実には興味があったのだが、本の中身にはそれほど期待していなかった。なぜなら、この類の告発本は自己主張や自己弁護が中心になりがちで、中身に乏しい場合が多いからである。
しかし、本書はそうではなかった。
冒頭にも書いた通り、非常に面白い。しかも、ためになる。本棚の目立つところに挿し、人にも勧めるべき本と思った。朝日新聞政治部だけの話にとどまらず、日本の報道のあり方、政治や権力のあり方、ジャーナリズムとは何かについて深く学べる、濃密なノンフィクションである。
ここでは本書を読むとどう「ため」になるかを4つ挙げさせていただこう。
1.ニュースの作られ方と読み方が分かる
まず、本書を読めば、新聞がどのように作られ、新聞記者はどんな仕事をしているのかをリアルに知ることができる。新聞報道の強み、限界についても分かるだろう。新聞や新聞記者に興味がある人なら絶対に読むべき本だし、それ以外の広くニュースや社会に関心がある層にも読んで欲しい本だ。
現在、新聞は「オワコン」のオールドメディアとして扱われることも多いが、Yahoo!やGoogleなどのポータルサイトのニュース記事も、新聞をはじめとするオールドメディアの記事提供がなければ成り立たない。新聞の取材や記事作成のしくみを知ることは「ニュースの作られ方」を学ぶことであり、社会を読み解くために役立つ。
とくに政治記者の仕事や、政治ニュースが作られる仕組みについては、とても詳しく書かれていて興味深い。これを読めば、「ニュースをどう読むべきか」が、分かるだろう。政治において、ニュースは政局における情報操作や観測気球としても使われている。ニュースは、発信者の意図を探りながら読まなければならない。15年近く政治部に所属し、デスクまで務めた鮫島さんの記述は、具体性に富んで迫力がある。
2.政治家のリアルな姿から「政治とはなにか」や「人の扱い方」かが分かる
本書には、鮫島さんが番記者として接した政治家や大物官僚との交流が描かれている。例えば、民主党創成期の菅直人さんと国のかたちについて議論したり、経済財政担当大臣に任命されたばかりの竹中平蔵さんと構造改革の作戦を立てたり、大物大蔵官僚で総理秘書官を務めた細川興一さんと大衆居酒屋で論争したりと、驚きのエピソードが満載で、興奮させられる。また、鮫島さんの相手の懐に入り込む術も、とても勉強になる。記者以外の仕事でも、きっと役に立つだろう。
私は、政治記者になることはできず、いわゆる「サツ回り」(若手記者の修業期間)の段階で外に出されてしまった人間である。そのため、これらの部分を羨望の気持ちで、ちょっぴり胸の痛みを感じながら読んだ。私も、鮫島さんのような経験をしてみたかったと思う。
つい個人的な思いがもれてしまったが、ほかにも宮澤喜一さん、河野洋平さん、古賀誠さん、与謝野馨さん、町村信孝さんなど錚々たる政治家が登場する。いずれも日本の中枢における権謀術数の中で生きてきた人たちだ。彼らのリアルな姿や生々しい言動は、人のあり方、人の扱い方、発言の重みや危険性などについていろいろと考えさせられ、とても勉強になる。
例えば、戦前の大蔵官僚出身で自民党きっての頭脳派とされた宮澤さんの飄々とした佇まいと態度は、いかにも昭和の大物政治家という印象で泰然としているし、菅さんの軽々な言動、それに対する鮫島さんの思いは、「市民政治家」として大成した菅さんの限界を如実に現わしている。政治家人生の最後に自民党を裏切るかたちとなった与謝野さんについては、こんな器の大きい人だったのかと、少々意外だった。
このうち特に、古賀さんとのエピソードは圧巻である。私は、古賀さんの政治信条は好きだが、世間一般の古賀さんのイメージは悪い。いかにも「抵抗勢力のドン」のような印象の政治家である。本書にも「古賀氏はやっかいな政治家だった。国会では取材を一切受け付けない。記者会見もない。すべて裏の動きだ。それでいて陰の実力者なのだ。」と書いてある。
古賀さんの番記者の扱い方が、ふるっている。
一例を示すと、毎週土曜日、地元福岡に帰った古賀さんは、夕方、ついてきた番記者をカラオケスナックに集め、懇親会を開く。記者全員に順々にマイクを回し、3巡目したところで、自分もようやくマイクを握る。それまで一切、政治の話をしない。古賀さんが歌い始める頃、福岡空港まで行って飛行機で東京に戻れる限界の夜 8時が近づく。その日のうちに帰りたい記者は、1人ひとり抜けていく。その後、もう東京には戻れない時間を見計らって古賀さんはようやくマイクを置き、残った記者を相手に、堰を切ったように記事になるような政界の裏話をしゃべり出すというのである。
物腰は丁寧な様子だが、すごく意地悪で、陰険である。しかし、これは「本気のやつしか相手にしない」という姿勢でもあるだろう。実に古賀さんらしいふるまいである。普段はエサを与えないが、時たま、しかも狙って大きなエサを与える。番記者は大きなエサを欲しがって取り巻かざるを得ない。そうして番記者を掌握し、情報操作に利用する。古賀さんは他の状況でも、似たような手法を使うだろう。これが古賀さん流の権勢の作り方なのだと、感嘆させられた。
古賀さんは、2003年の小泉首相との権力闘争の勝負どころで「模様眺め」という痛恨のミスを犯し、徐々に権力を失っていった。本書に書かれたさまざまなエピソードから、古賀さんがなぜ権勢を持つに至ったか分かるような気がするし、なぜそれ以上の権力を握れなかったかも分かるような気がする。
「鮫島さん、人間はね、騙すより騙されるほうがいいんですよ。何回でも騙されなさい。それが財産になるんです。そして、いざという時が来たら、相手の目を見て言うんです。今度こそは本当ですよね、と。その時のために騙され続けるのですよ」
本書にある古賀さんのこの言葉は、箴言と思う。
古賀さんは、基本的には誠意のある政治家だろう。しかし古賀さんは多分、「いざという時」が来て、目を見て言っても騙しそうな気がする。相手にそう思われてしまうところが、結果「1年間、幹事長をしただけ」という、古賀さんのキャリアにもつながったのではないだろうか。古賀さんのエピソードは、人が権力を持つために何が必要か、最後まで成功するためには何が大切かについて、考えさせられる。
3.日本の権力構造の移り変わりと流れが分かる
また本書を読めば、ここ 20~30年の日本の権力構造とその動きを知ることもできる。1999年、政治部に着任した鮫島さんたちに、当時の政治部長が「権力としっかり付き合え」と訓示する。鮫島さんが「権力って、誰ですか?」と反問すると、「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そして、アメリカと中国だよ」との言葉が返る。当時の日本の権力構造を端的に現す言葉で、とても示唆に富む。
経世会(現 平成研究会)は田中角栄元首相の流れ、宏池会は池田勇人元首相の流れを汲む自民党の派閥である。20年以上前は、この2大派閥と、大蔵省(現 財務省・金融庁)、外務省、アメリカと中国が、日本のあらゆる部分に手を伸ばし、互いに牽制し合い、協力し合いながら、日本を支配していたのである。
本書は、そこから岸田政権(宏池会)誕生までの流れを、実に分かりやすく教えてくれる。自民党には経世会と宏池会に並ぶ大派閥がもう一つある。福田赳夫元首相の流れを汲む清話会(清和政策研究会)だ。しかし先ほどの政治部長の言葉には出てこない。1970年代に経世会との権力闘争に敗れて以来、ずっと権力の中枢から排除され、冷や飯を食わされ続けていた。
経世会と宏池会などによる旧権力構造を、最初に打ち破ったのが小泉純一郎さんである。本書は、小泉政権が誕生した2001年以降、安倍政権が終了する2021年10月までを、「清和会による報復の 20年間」と解説する(前任の森喜朗さんも清和会だが神輿のような存在だったため除外)。確かにそうだろう。この間、清和会政権は、旧権力に報復しつづけた。
清和会政権下で、旧経世会は冴えない第三派閥になった。宏池会の本流は岸田文雄さんが首相になるまでずっと冷遇を受けた。大蔵省は財務省と金融庁に解体させられ、ライバルの通産省(現 経済産業省)ばかりが重用された。外務省は田中眞紀子さんとのバトルで大きく力を削がれた。中国も、小泉元首相の靖国神社公式訪問以来の対立で、日本での影響力を削がれ続けている。この流れを読めば、久しぶりの宏池会政権である岸田総理誕生の意味が分かるだろう。
今、「権力って、誰か」と問われたとき、どんな言葉が思い浮かぶか考えてみるのもおもしろい。誰だろうか。アメリカは確実である。むしろ、ほぼアメリカ一色となった。だから挙げるとすれば、アメリカ、清和会、宏池会、公明党……。あといくつか思い浮かぶが、リスクがあるので止めておこう。権力の移り変わり、その時々のターニングポイントについて知ることは、日本の今後を読むためにも、あるいは自分に置き換えて、例えば社内政治の動向を探り、権力闘争のなかで生き抜くためにも、とても役に立つ知識である。
4.朝日新聞の凋落を通じてジャーナリズムのあるべき姿が分かる
本書の最大の目玉は、「朝日新聞がなぜダメになったのか」を内側の目で教えてくれることである。鮫島さんが特別報道部のデスクとして新聞協会賞を受賞しあと、すぐに「吉田調書」報道で失脚し、昨年に退社するまでの歩みや社の内実を記した後半部分を読めば、朝日の体質や構造的な欠陥が分かるだろう。
朝日は、特別な新聞だった。二十年以上前の私の学生時代、「知識人なら朝日をとる」のが当然の前提だった。朝日を基本として、英字紙や日経、思想的立場によっては赤旗を加えるというパターンである。そんな前提のもと、マスコミの求人は朝日にしか載らなかった。
新聞自体が凋落しているが、なかでも朝日の衰退はここ二十年で著しい。2021年度こそ、連結決算で95億円の黒字になったが、2020年度は創業以来の大赤字 458億円(純損益)を叩き出し、連結決算でも 70億円の赤字となった。部数減も止まらず、1999年には 829万部あった部数が、2021年には 448万部となってしまった。
部数の低下についても他紙も同様の傾向だが、朝日の場合は、ブランド、つまり権威の失墜が大きい。この原因の一つは、タカ派傾向の強い清和会政権の報復である。前述の政治部長の言葉にはなかったが、朝日は紛れもなく、報復対象となる旧権力の一つだった。強烈な朝日バッシングが始まった時期と、清和会政権が誕生した時期は、ほぼ一致する。朝日と同様、権力の一つだったNHKへの政府介入が進んだのも、この時期である。
朝日バッシングの大きな発端は、慰安婦の「強制連行」報道だったと記憶する。1990年代に真偽不明の「吉田証言」を引用した記事を盛んに掲載し、その後の1997年に「吉田証言の真偽は確認できない」としながらも、朝日は記事の訂正を行わず、多くの批判にさらされた。2014年には自己検証を行って「吉田証言」を扱った16本の記事を取り消したにもかかわらず、謝罪を行わなかったため、批判はますます高まった。きわめつけは池上彰さんが連載コラム(「池上彰の新聞ななめ読み」)で謝罪がないことを批判しようとしたところ、コラム掲載自体を拒否するという愚挙に出て、立場の違いをこえた多くの人々の怒りを買った。
鮫島さんが「捏造記者」とのレッテルを貼られ、報道の中枢から追われることになった「吉田調書」をめぐる報道も、朝日新聞を攻撃する大きな材料になった。「吉田調書」とは、2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故で陣頭指揮にあたった吉田昌郎所長を政府の事故調査・検証委員会が聴取した際に作成された記録である。
吉田所長の意向で非公開になっていたのだが、鮫島さんのチームが吉田所長死後の2014年に非公式に入手し、「震災4日後に第一原発の所員の 9割が吉田所長の待機命令に違反し、第二原発に撤退していた事実を東京電力は隠蔽していた」と報じた。これが誤報とされ、朝日攻撃の一材料となり(全く別物の「吉田証言」と混同されることも多かった)、鮫島さんによれば経営陣のある意向により、鮫島さんたちが切り捨てられることになるのだが、その経緯については本書を読んでほしい。
慰安婦報道を巡る一連の問題、池上コラム掲載拒否問題、吉田調書報道はいずれも、マスコミ界を大きく揺るがした事件だった。事の是非を論じる資格はないし、その力量もない。ただ本書を読むと、いずれも上層部の判断の誤りや危機対応の失敗が大きな原因となっており、それが朝日新聞の体質に関わる根深い問題ということがよく分かる。鮫島さんの見方がすべてでもないだろう。上に挙げた古賀さんの言葉ではないが、様々な情報に接して自分なりの「本当」を見つけるのが、情報への正しい接し方である。
本書の序章に、こんな部分がある。上層部の処分を待つ鮫島さんが奥さんと横浜中華街のレストランに行き、二胡の演奏を聴いていて、思わず今の自分の境遇に思いを馳せて、涙する。「なぜ、泣いてるの?」と奥さんに問われ、「すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」と答えると、奥さんはしばらく黙ってから、「それ、ウソ」と言い、鮫島さんに辛辣な言葉を投げる。
「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張ってた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」
朝日の記者は、プライドが高い。今でこそ自信を失ってしまっているが、ベテランの記者にはエリート意識が染みついている。にもかかわらず、このエピソードを本書の冒頭に持ってきた鮫島さんが書く文章は、しっかりと「相手の目を見て」読むべきものと思う。そして、この奥さんの辛辣な言葉は、おそらく朝日そのものに当てはまるだろう。
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本書を読了して、個人的には小沢一郎さんなど、もっとたくさんの政治家とのエピソードや評価を書いて欲しいと思ったし、朝日新聞の権威を大きく損ねた慰安婦報道についても、もう少し詳しく触れて欲しかったとも思った。また、後半は朝日新聞の内部の話が中心であり、自身を追い詰めた吉田調書報道の経緯と当時の上層部の批判に紙幅が割かれ過ぎていて、読むのに少々根気がいった。
しかし、それらを差し引いても、本書は間違いなく面白い。新聞や報道の仕組みやあり方だけでなく、政治やジャーナリズムの在り方、人の生き方なども学べる、一級のノンフィクションである。発行1か月足らずですでに 4万部。今後、部数はますます伸びるだろう。ニュースや社会に関心のある人なら、今年必読の一冊と思う。
※こんなところで、こんな真面目に書いちゃいました🤣