◾️NLPで過去の嫌な体験や生きづらさを癒した方法【第1回】
こんにちは!
おおばみなこです。
2024年4月から、クノタチホさんの元でNLP(神経言語プログラミング)を学んでいます。
わたしは自分を俯瞰して見るのがしんどくて、SNSはできないと思っていました。
自分の写真や投稿を見るのがどうにも辛い。
自分をさらけ出すのが、とてつもなく怖かったんですね。
だけど、ネット上でビジネスを始めて、相手の方に安心感を与えて、信頼してもらえる存在になるには、その体裁を整えて、発信していく必要があります。
デザインや見た目から、与える印象をできるだけ良くし、まずは出さないといけない。…
そうじゃなければ、届いて欲しい思いも届かないと思い頑張ってサムネを作ったりしています。
同時にそんな自分への癒しのために、セルフカウンセリングし心をゆるめています。
SNSが辛い・しんどい・それが幼少期からの生きづらさと関連していると感じていたわたしは、NLPを使って自己開示・自己解放への努力を続けています。
そのやり方や癒しによる心の変化・気付き(アウェアネス)についてレポートして行きます。
NLPとは?
NLPとは、人の思考や行動に直接影響を与えることのできる、脳科学や心理学の要素を取り入れた、問題解決のための手法の事を言います。
様々な手順で自分や相手に働きかけをすることにより、その問題の原因を探ったり、目標を達成するための手段にしたりします。
わたしがNLPを知ったのは、ある日、本を読んで衝撃を受けたから。
そこにはわたしが長年、家族の悩みを解決するためにやっていた事が、そのまま書いてありました。
「凄い、わたし、自然とNLPを使っていたんだ」と気付いた瞬間ですね。
それからは、もっと上手にできるようになりたい!、自分のサービスに生かして役立てたい!と本格的にNLPを学び始めました。
先生であるクノタチホさんは、可愛い見た目とは裏腹に、その一見難しいNLPの技術を、自分らしい言葉で、とても分かりやすく、とても論理的に解説してくれる大変優れたコーチです。
生徒たちはこのスキルを使ったレポートをシェアし、学びを深めるとともに、めきめきとその技術を上げて行きます。
今回そのグループで上げていたアウェアネスレポートを公開して行きますね。(全5回)
まだまだ未熟すぎて、具体的なやり方や、ワークについて書き足りないところもありますが、
今まで誰にも言えなかった、
言っても仕方ないと諦めていたことに、向き合っています。
このレポートを書けただけでも、自分にとって人生が変わるほどの大きな意味がありました。
NLPって何をするの?と関心や疑問を持った方に、知ってもらう一つのきっかけになれば幸いです。
ー以下レポートに続くー
使ったスキルやワーク
・メタモデル(物事の深堀り)
・リインプリント(過去の書き換え)
・リフレーミング(視点を変えて見る)
・ビリーフチェンジ(思い込みや思い癖の解消)
わたしは自分の存在自体にコンプレックスを持っている。
今まで外見だけかと思っていたけど、
そうじゃなくて、自分の「存在」にコンプレックスを持っていることに気が付いた。
母子家庭で生まれて、夜仕事に行く母を引き留めて、何度も困らせた。
母はしつけに厳しくて、
箸の上げ下ろしや物の食べ方、
見るテレビも全部毎日新聞に〇をつけて「これを見るように」と制限していた。
2歳下の弟と、
ふたりぼっちで過ごす夜は、
凄く寂しくて心細くて、
昼間母が着ていた服を抱いて寝ていた。
わたしは母の事が大好きで、
母は凄く綺麗でお洒落で手先が器用で、
いまでも生涯憧れの人だ。
母は二十歳(ハタチ)の時、家庭のある人を好きになって、
わたしを産んで、
2年後に弟を産んだ。
父と一緒になることはできなかったから、
物心ついた時にはもう、夜スナックで働いていて、
生活にはだいぶ苦労したと思う。
そんな母が31歳、わたしが10歳の時に、
悪性リンパ腫に罹った。
癌細胞は血管を通じて全身にまわり、
半年の間に、脾臓、子宮、卵巣を取って、
それでも間に合わなくて、
最後に命まで落としてしまった。
当時わたしが思い出す母は、
わたしを叱る怖い顔か、
髪の毛が抜けて、病気で苦しそうな顔ばかりで、
母は笑った事があったのか…
写真の中でしか私は知らない。
勉強頑張ってね、
最後にそう言われたので、
勉強を物凄く頑張った。
母は自分が死んだら、
自分の母(わたしの祖母)に子供を引き取って欲しいと
頼んでいた。
なので仕方なく、と言う形で、
私たち二人の姉弟は祖父母に引き取られた。
一緒に住むことになった祖父は祖母の再婚相手で、
血のつながりはなく、
福島の炭鉱で幼少期から働いて家計を支えて、
自分も苦労したから、
全ての事に厳しく、
凄く口が悪い人だった。
殴られたりもしたけど、
「おまえは器量も悪いし愛想もないし何もできない」
「バカブス無能」
と言われて育てられた。
家にいる間はずっと監視されているように見られていて、
他にも言いたくない嫌なこともいっぱい。
弟はある日学校に行ったまま、
家に帰って来なくなってしまった。
10歳から15年間、結婚して家を出るまで、
そんな環境に当たり前のように身を置いてしまった。
家を出ようとは思わなかった。
バカでブスで無能だから、
一人では何もできないと思っていた。
当時から、「可愛いね」と言われても、
毎回鳥肌が立つような何とも言えない気持ちになった。
「そんな事ないですよー」と言ってその場をしのいでいた。
でもわたしには分かっている。
自分を「可愛いね」なんて言う人は、
自分の何かが欲しくて、
自分の何かを奪おうとして、
下心があるからそう言うに違いない。
いつもそう思って警戒していた。
・
夫は中学の同級生で、
いつも相談にのってくれる話し相手だった。
高校も同じでいつも一緒にいたから、
卒業する時には自然と付き合い始めた。
毎日顔を合わせて、8年間。
それは結婚するまで続いた。
いわゆる「育て直し」のような事を、
彼がしてくれたのだと思う。
・
それなのに、
わたしは50歳も過ぎて、
ハタチの子もいると言うのに、
未だ自分のことで、
こんなにぐずぐず、
めそめそしていて、
何って情けないんだと思う。
母がわたし達に厳しかったのも、
母が施設ではなく、
祖母にわたし達の事を頼んだのも。
愛情ゆえだったことはわかっている。
祖父が血の繋がりもない、
幼い姉弟を育てなくてはいけなくなったことも、
わたし達に向けストレスを発散させていたのも。
仕方なかった事だし、
育ててもらった祖父母の、
恩を顧みず、言う事を聞かない、
私たちが悪かったのだと思う。
愛そうよく笑ったり、
毎日家事を手伝ったり、
自分がしなくてはいけなかった事を、
しなかった罰だと思っている。
全部わかっているのに、
自分を満足にしてあげられない、
「自分には何かが足りていない」と言う不足感。
自分が10歳くらいのことを思い出すと、
部屋が暗くて、
次に何が起こるのか、怖くて怖くて、
思わず目をつぶり、身体がすくんでしまう。
肩と首のこわばり、
のどと胸が詰まって、自然と涙がこみ上げる。
そこにいる自分に問いかけると、
お母さんに会いたい、
お母さんに会いたい、と泣いている。
どんどんと遡ると、5歳くらいで、
布団の中で柔らかくて良い香りのする
母の服を抱いて眠っている自分に辿り着いた。
「寂しいね」
そう声を掛けると、
大丈夫、と言うから、
ずっと一緒にいてあげるね。
と言って一緒の布団で眠った。
「大丈夫」ってずっと頑張って来たね。
偉いね、って声を掛けたけど、
何かが違うと思って、
「もう大丈夫だよ」と言い替えた。
・
それも違うと思って、
「良いんだよ」と言ってあげた。
・
「それで良いんだよ」
「それで良いんだよ」と何回も言ってあげると、
目の前が明るくなって、
視界が開けたような気持ちになった。
涙はとめどなく溢れるし、
喉や胸のつまりは取れないけど、
部屋の明るさや暖かさを凄く感じられるようになった。
今までそこを、
あまり体感として上手く感じる事ができなかったから、
とても感動した。
あの場所は暖かかった。
みんなが自分の事で精一杯だったけど、
そんな愛でいっぱいだった。
「ありがとう」と自然に思えた。
分かりやすくNLPを教えてくれるチホちゃんに出会うことができたことも、
とても感謝しています。
ありがとうございます。
このレポートについて、
とフィードバックを頂きました。
もっと丁寧に自分の身体感覚を掘り下げて行こうと思いました。
自分がどう感じて、その時何が見えて、何が聞こえて、実際に身体の中がどうなったのか、
自分でしか感じられない感覚やパターンを理解してあげること、
それが結果的に自分を大事に、大切にすることに、繋がって行くんですよね。
チホちゃんは、自分を大切にすると、自然と周りが自分を大切にしてくれる、
自分に優しくすると周りの世界が優しくなるよ、と講義の中で教えてくれました。
いわゆる「鏡の法則」や「引き寄せの法則」と言われている事も、全て一緒だと思いますが、
前提として自分の身体感覚とまずは繋がることが、一番大切だと言うこと、
全ての経験は、自分や周囲を幸せにするための手段でしかないこと、全てその過程であると、この時も学びました。