【現代短歌クラシックス】星の林と遊び種
星という字は、夜空に散らばった光を表す晶に、生命の誕生を意味する生が合わさったもの。
林という字は、生はやすの名詞形「生やし」から来ています。
中国最古の字書「説文解字」を見ると、林は、平地に群がった木であり、名詞的な意味の漢字です。
「新装版 漢字学 「説文解字」の世界」阿辻哲次(著)
ものごとや仲間が集まっているところを指しているそうです。
万葉集に詠まれた林は、変化に富んでいます。
「万葉集の基礎知識」(角川選書)上野誠/鉄野昌弘/村田右富実(編)
「竹の林」もあれば、「橘たちばな(ミカンの古名)の林」もあり、つむじ風が吹き荒れる「冬の林」も出てきます。
さらに、柿本人麻呂はこんな歌も詠んでいます。
「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
(広大な天の海に波立つ雲。その上を月の船が渡って星の林に隠れてゆく)
(空の海に雲の波が立ち、月の舟が空を進んで、星の林の中に入っていくのが見える)
雲を波に。
月を船に。
そして、群がる星々を、壮大なスケールで、林に見立てた感性には、驚くばかりです。
万葉集には、こんなSFファンタジーのような歌もあり、星月夜の下で、夜空を眺める人麻呂の様子が、目に浮かんできて、星空の眺めを楽しませてくれます。
星空には、星の林だけではなくて。
糠のように細かく散らばった糠星。
美しく輝く煌星。
神話の神々や動物、器などに見立てたいくつもの星座。
そんな星星や星座も数多く見られます。
藤原定家(「拾遺愚草」)の星の歌に出てくる「星の宿り」は、雲の上人(皇族)を星にたとえているのですが、
「すべらぎの あまねきみよを そらに見て 星の宿りの かげも動かず」
「くもりなき 千世のかずかず あらはれて ひかりさしそへ 星のやどりに」
星の並びや星座の意味も持っています。
ひとつとして同じかたちのものはない星々。
ひとつとして同じかたちのものはない人々。
星々が、それぞれちがった色と形と大きさで、天と海を照らし。
人々が、それぞれちがった色と形と大きさで、林となり、森となって、地上を照らす。
全てが目に見えなくても、そこはかとなく感じられるのが「幽玄」であり、幽玄(有限)の中に無限の美を見ている人々。
「詞に現れぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし。」(鴨長明「無名抄」より)
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」(藤原定家「新古今和歌集」秋上・363より)
「「世上の人々そこの山かしこの森の花が、いついつさくべきかと、あけ暮外にもとめて、かの花紅葉も我心にあることを知らず。只目に見ゆる色ばかりを楽しむなり。」(千利休「南方録」より)
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからずとなり。」(世阿弥「風姿花伝」より)
「「かなしみ」の哲学 日本精神史の源をさぐる」(NHKブックス)竹内整一(著)
そんな世界を遊ぶ。
遊びは、楽ぶと書いて、あそぶと読ませたもので、足霊(あしひ)を語源としており、人びとの助けとなる神のところに歩いて行って、祭ることに由来しています。
もともと、遊びというのは、神や魂を楽しませるものだったからですね。
楽器を使って、歌や舞を踊る神楽がそれを表しています。
そうそう、昔の人は、子供は遊ぶのが仕事と言いました。
子供たちの小さな心と体に宿った小さな種。
遊びのなかで育まれ、やがてそれぞれの花を咲かせます。
昔から日本の子どもたちの遊びは、歌と共にありました。
「茶・茶壺」、「ずいずいずっころばし」、「結んで開いて」などの手遊び。
「かごめかごめ」や「あぶくたった、にえたった」などの鬼遊び。
「大波小波」や「お嬢さん、おはいんなさい」等のなわとび唄。
他にも、まりつき唄やジャンケン遊び歌等々。
子供のわらべうたにならい、大人も楽しく遊んで、眠ったままの種を起せば、美しい花が咲くかもしれない。
慌ただしい毎日、お疲れさまです(ペコリ)( ͜☕ ・ω・) ͜☕コーヒーどうぞ🎵
偶には、自宅で過ごすカフェ時間にでも、うたでもうたいながら、咲ってみては如何でしょうか(^^)
【現代短歌クラシックス】
「林檎貫通式」(現代短歌クラシックス01)飯田有子(著)
【収録歌より】
あれみんな空っぽじゃない? うたがいぶかい奴は卵屋にはなれません
カナリアの風切り羽ひとつおきに抜くミセスO.J.シンプソン忌よ
かんごふさんのかごめかごめの(sigh)(sigh)(かわいそうなちからを)(もっているのね)
すべてを選択します別名で保存します膝で立ってKの頭を抱えました
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔
にせものかもしれないわたし放尿はするどく長く陶器叩けり
のしかかる腕がつぎつぎ現れて永遠に馬跳びの馬でいる夢
ゆいごーん 春一番に飛ばすジェリーフィッシュアレルジイ証明書
夏空はたやすく曇ってしまうからくすぐりまくって起こすおとうと
球体にうずまる川面いやでしょう流れっぱなしよいやでしょう
金色のジャムをとことん塗ってみる焦げたトーストかがやくまでに
菜の花にからし和えればしみじみと本音を聞きたい飛雄馬の姉さん
女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて
清らかにカンガルーポケットに指かけてああ服の下には体があるね
生ごみくさい朝のすずらん通りですわれわれは双子ではありませんのです
足首をつかんできみをはわせつつおしえてあげる星のほろびかた
婦人用トイレ表示がきらいきらいあたしはケンカ強い強い
「砂の降る教室」(現代短歌クラシックス02)石川美南(著)
【収録歌より】
〈いちめんのなのはな〉といふ他なきを悔しみ菜の花の中にゐる
「怒つた時カレーを頼むやうな奴」と評されてまたふくれてゐたり
いづれ来る悲しみのため胸のまへに暗き画板を抱へていたり
カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋
くすくすくすくすの木ゆれて青空を隠すくす楠の木ひとりきり
しゆんしゆんと南の風の迫る午後 柳の芽など見て泣くもんか
スプライトで冷やす首筋 好きな子はゐないゐないと言ひ張りながら
とつておきの死体隠してあるやうなサークル棟の暗き階段
とてつもなく寂しき夜は聞こえくる もぐらたたきのもぐらのいびき
なにがあつたかわからないけど樅茸(もみたけ)がいぢけて傘をつぼめてゐたよ
にこにこと笑ふばかりの兄上はにまめにまいめお別れにがて
はらからがはらはら泣きて駆け戻るゆめよりさめて歯の奥いたむ
みるくみるくはやく大きくなりたくて銀河の隅で口を開けをり
わたしたち全速力で遊ばなきや 微かに鳴つてゐる砂時計
わたしだつたか 天より細く垂れきたる紐を最後に引つぱつたのは
噂話は日陰に溜まりひやひやと「花屋は百合の匂ひが嫌ひ」
花びらの残骸積もる路地ありて真昼ちひさき古書店に入る
始業ベル背中に浴びて走りにき高野豆腐の湿る廊下を
枝豆の豆飛び出して夏休み今日は日陰を選ばずにゆく
助走なしで翔びたちてゆく一枚の洗濯物のやうに 告げたし
想はれず想はずそばにゐる午後のやうに静かな鍵盤楽器
窓がみなこんなに暗くなつたのにエミールはまだ庭にゐるのよ
茸(きのこ)たちの月見の宴に招かれぬほのかに毒を持つものとして
誰のこともさして恋はずに作りたる恋歌に似て真夏のうがい
文法書をこりこり齧る音のする教授の部屋の扉を叩く
迷ひたる賢治に道を教へきと大法螺吹きの万年茸は
夕立が世界を襲ふ午後に備へて店先に置く百本の傘
梨花一枝春ノ雨帯ビ ゆふはりと忘れゆきたる人の名ありき
隣の柿はよく客食ふと耳にしてぞろぞろと見にゆくなりみんな
恋人を連れて歩けるひとを見しみしみしと染みてくる空のいろ
六着のコートを連れてクリーニング店へ繰り出す 春となるべし
「四月の魚」(現代短歌クラシックス03)正岡豊(著)
【収録歌より】
いつかきた夢の坂道 よそよそしいふりをしてゐるきみの家まで
いとおしく思いますから歯並びの美しいことなどなど全部
きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある
クリーニング屋の上に火星は燃ゆるなり彼方に母の眠りがみえし
さかなへんの字にしたしんだ休日の次の日街できみをみかけた
どうしても抜けぬ最後のディフェンスは塩の色した夏だとおもえ
ながれてゆく風景の色 ぼくはただあなたのゆめをみてゐるだけだ
ネル・フィルターひたされている水にわが朝日がうつるP・K・ディック忌
ぼんやりとしうちを待っているような僕らの日々をはくらかす音楽(おと)
みずいろのつばさのうらをみせていたむしりとられるとはおもわずに
もうじっとしていられないミミズクはあれはさよならを言いにゆくのよ
わたくしは当て所無く祈りをし わたくしは走る ひとりの朝に
魚編の字に親しんだ休日の次の日街で君を見かけた
甲虫にこのかなしみをひきずらせほほえむのみの夏のあけぼの
生きてなすことの水辺におしよせてざわめきやまぬ海螢の群れ
天像は冷えゆく秋の枯草の虚空に浮かぶわが月球儀
風に問わば風がこたえる約束をまもれはるかなライト兄弟
夢のすべてが南へかえりおえたころまばたきをする冬の翼よ
無限遠点交わる線と線そこにひっそりときみのまばたきがある
薔薇とその季節を生きてもろともにほろぶ時間の水際に立てり
「世界が海におおわれるまで」(現代短歌クラシックス04)佐藤弓生(著)
【収録歌より】
「夢といううつつがある」と梟の声する ほるへ るいす ぼるへす
ガスタンクこわごわみればみどりなすともだちのこえ だあ、るま、さん、が、
コーヒーの湯気を狼煙に星びとの西荻窪は荻窪の西
とうめいなかかとのかたち天空も公孫樹の黄(きい)を踏んでみたくて
宇宙塵うっすらふりつもるけはいレポート用紙の緑の罫に
革装の書物のように犀は来て「人間らしくいなさい」と言う
秋の日のミルクスタンドに空瓶のひかりを立てて父みな帰る
十月の孟宗竹よそうですか空はそんなに冷えていますか
白の椅子プールサイドに残されて真冬すがしい骨となりゆく
風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで
「木曜日」(現代短歌クラシックス05)盛田志保子(著)
【収録歌より】
「夏苦しい」たった一言そう書かれたアルバム評を手に走り出す
ある朝は網にかかった電車ごとみんなで海に帰りたいです
いつか死ぬ点で気が合う二人なりバームクウヘン持って山へ行く
かなしみは一人に一つかきごおり食べ切るころに鳴る稲光
きみが身に纏いしものはなにもかもこの世のものなり 北風の勝ち
しみこんでくる夕闇の明るさよ田舎とは透明ということ
はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月
ひらがなはたぐいまれなる 空中にぽっかり浮いて静止する言語
ヘリコプタア海にキスする瞬間のめくるめく操縦士われは
われわれは箸が転んでもというか箸の時点で可笑しいけどね
雨だから迎えに来てって言ったのに傘も差さず裸足で来やがって
見ぬ夏を記憶の犬の名で呼べば小さき尾ふりてきらきら鳴きぬ
口に投げ込めばほどけるすばらしきお菓子のような疑問がのこる
秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨
春の日のななめ懸垂ここからはひとりでいけと顔に降る花
笑いあう夏の記憶に音声はなくて小さな魚が跳ねる
障子戸がひらきむかしのいとこたちずさあっとすべりこんでくる夜
誰ひとり年を取らないギャグ漫画夕日に塩を撒いて笑うんだ
桃の枝ペットボトルに活けながらはやく人間になりたあいとおもう
廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節
夕暮れの車道に空から落ちてきてその鳥の名をだれもいえない
藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜
「微熱体」(現代短歌クラシックス06)千葉聡(著)
【収録歌より】
くやしいけどリュウのシュートはいい 空に光を送り返す約束
だぶだぶの闇をたたんでゆく波の音が二人に染みこんで、朝
よく揺れるピアノの譜面台に棲(す)む傷も光もぬるい液体
顔あげて飲むスプライト 太陽とペットボトルと君は一列
休憩用ホテルはつぶれ僕たちの基地もヒーローたちも消された
星の出るころにはボール抱いたまま熟れゆく空を見てふざけたね
明日(あす)消えてゆく詩のように抱き合った非常階段から夏になる
「O脚の膝」(現代短歌クラシックス07)今橋愛(著)
【収録歌より】
「水菜買いにきた」/三時間高速を飛ばしてこのへやに/みずな/かいに。
あらすじがみえないころのあなたとのせっくすきっとたからものです
うしろてに/てすりさがしても/きたみちは砂です/思いだせない本です
うすむらさきずっとみていたらそのようなおんなのひとになれるかもしれない
おでこからわたしだけのひかりでてると思わなきゃここでやっていけない
お花見にいきましょうね/日曜の昼間ふたりでね/もうしんどいね
きゅうかくが/ばかになるまえに/記憶には/パセリのしおりをはさみこむこと
この口は夏の蝉よりくりかえすどんなにあなたにみにくいだろう
そこにいるときすこしさみしそうなとき/めをつむる。あまい。そこにいたとき
たくさんのおんなのひとがいるなかで わたしをみつけてくれてありがとう
たばこ、ひるね、おふろ、カステラ、闇、じっとしていられない、たばこ、たばこ
としとってぼくがおほねになったとき/しゃらしゃらいわせる/ひとは いる か な
ねむれずにひやあせかいているときの/小鳥けんきょでもろい/かわいい
ぼくは流すやさしいオンガク空のほう人生のリセットボタンをおすとき
もうちがうひとにならなくてよくなった/とたんこんなに耳がしずか。
もうちがうものになってる?/太陽が。/あのひあんなにまぶしかったのに
ゆれているうすむらさきがこんなにもすべてのことをゆるしてくれる
わかるとこに/かぎおいといて/ゆめですか/わたしはわたし/あなたのものだ
わたしたち/わたしたち/わたしたち/わたしたち/わたしたち/わたしたち /わたし
胃からりんご。/りんごの形のままでそう。/肩はずれそう/この目。とれそう
慣れすぎてやさしかった。あのへやに/いつものようにあんなボサノヴァ
手でぴゃっぴゃっ/たましいに水かけてやって/「すずしい」とこえ出させてやりたい
手をふっても/またねといっても/次にかおをみないと/かおをみたいのです
濃い。これはなんなんアボガド?/しらないものこわいといつもいつもいうのに
*改行を/で示す
「寒気氾濫」(現代短歌クラシックス08)渡辺松男(著)
【収録歌より】
キャベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする
つくづくとメタフィジカルな寒卵閻浮提(えんぶだい)容れ卓上に澄む
橋として身をなげだしているものへ秋分の日の雲の影過ぐ
樹は内に一千年後の樹を感じくすぐったくてならない春ぞ
赤ん坊花びらのような声を呑みはじめての重き月を見にけり
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
直立の腰から下を地のなかに永久(とわ)に湿らせ樹と育つなり
背を丸め茂吉いずこを行くならん乳房(にゅうぼう)雲(うん)はくろぐろとくる
平原にぽつんぽつんとあることの泣きたいような男の乳首
木は開き木のなかの蝶見するなりつぎつぎと木がひらく木の胸
「あの日の海」(現代短歌クラシックス09)染野太朗(著)
【収録歌より】
カーテンに春のひかりの添う朝(あした)はじめて見たり君の歯みがき
さびしさを押しつけたから君はもう静かな海をぼくに見せない
ずぶ濡れの鳥を飼うらし「社会」という語をくりかえす友の饒舌
たろうさんたろうさんとぼくを呼ぶ義父母に鬱を告げ得ず二年
パキシルに統べられぼくの脳(なずき)にもセロトニン舞うゆあーんゆよーん
一月の昼休み終えて教室に生徒のような貝が微動す
一斉にマロン関連商品の出回りてひとの死にやすき秋
解答をあきらめた順に生徒らは机に伏して航海に出る
含み笑いをしながら視線逸らしたる生徒をぼくの若さは叱る
今日もまた聞こえなかった 生徒らの私語にまぎれた海月の声は
掌(て)の中に燃ゆるさびしさ 点さんと花火さがせどさがせども闇
生徒らの脳に蛍があふれいて進学試験の教室ぬくし
祖語をたぐるようだ 生徒と話すとき何を恥ずかしがるか知りたい
肺胞に届けばやがて雪よりもしろい根を張るチョークの粉か
白き陽を反(かえ)しきれない海のような教室で怒鳴る体育のあとは
「窓、その他」(現代短歌クラシックス 10)内山晶太(著)
【収録歌より】
「疲れた」で検索をするGoogleの画面がかえす白きひかりに
あはれなるシールのごとき目をもてるオカメインコにゆうべ餌やる
いつか泣く日々ちらばりて見ゆるなり木の間隠れの街の明かりが
うすくらき通路の壁にリネン室げにしずかなり布の眠りは
うつくしく、醜く老いてゆくことも光の当たる角度と思う
オランダにかなしみのある不可思議を雨の彼方の観覧車まわる
くびすじに触るる夜風を人としてすずしき肉をふかく憐れむ
コラールを聴く夜おのずとひらきゆく指よりコラールはあふれたり
さみしさも寒さも指にあつまれば菊をほぐして椿をほぐす
ただよえる花ひとつずつ享け止めつしめやかにして水を病む河
たんぽぽの河原を胸にうつしとりしずかなる夜の自室をひらく
つぼみひらきて裏返るまでひらけるを夜の玄関の百合は筋肉
とうふ油あげこんにゃくしらたき漂える夏の夜の夢のなかのデパート
ドーナツの穴の向こうに見えているモルタルの壁はなみだあふれつ
なにということもなき昼の自室にて鏡のごとくなりてわが居り
にんげんのプーさんとなる日はちかく火の近く手を伸べてぼんやり
にんげんの顔のゆがみを忠実にヨセフ描かるヨセフ物語に
のびやかな影を曳きつつ老い人は午後の日差しに出逢いつづけぬ
ひよこ鑑定士という選択肢ひらめきて夜の国道を考えあるく
ぶらんこの鎖つめたくはりつめて冬の核心なり金属は
みずからを遠ざかりたし 夜のふちを常磐線の窓の清冽
やわらかき粘土のような海の色を見つめつづけていれば眩暈す
よみがえるこころ、車窓を信号機のうつくしく過りゆく転瞬を
わが胸に残りていたる幼稚園ながれいでたりろうそくの香に
一年を振り返りやがて口腔にひろがる路地を眺めていたり
影絵より影をはずししうつしみはひかり籠れる紙に向きあう
貝の剥き身のようなこころはありながら傘さしての行方不明うつくし
観音を背に彫らしめて 少女期の悲はやすらかに身の丈を超ゆ
観覧車、風に解体されてゆく好きとか嫌いとか春の草
帰宅とは昏き背中を晒すこと群なしてゆく他者の背中は
逆光にくろきわが手をことのほか蔑みながら昼の砂浜
金曜の夜となればほくそ笑むやがて輪郭が溶けてゆくような眠り
口内炎は夜はなひらきはつあきの鏡のなかのくちびるめくる
降る雨の夜の路面にうつりたる信号の赤を踏みたくて踏む
高みへと吹き上げらるるはなびらへ手を振りながらなお生は冷ゆ
四階の窓のむこうに老人の気配の綿毛ひかりつつ浮く
自販機のひかりのなかにうつくしく煙草がならぶこのうえもなく
手紙いちまいポストに落とし歩きだすまだかろうじて明るい帰路を
終電に目瞑りながら立つことをハイビスカスの髪飾り幻(み)ゆ
舟ゆきてゆりあがりたる池の面は眠れる人の顔にあらずや
春の日のベンチにすわるわがめぐり首のちからで鳩は歩くを
小龍包は紙よりも破けやすくしてはださむき夜の夢に出でたり
少しひらきてポテトチップを食べている手の甲にやがて塩は乗りたり
床に落としし桃のぬめりににんげんの毛髪つきて昼は過ぎたり
信じればやがて喪ういちにちのさむい光のなかに白梅
人界に人らそよげるやさしさをうすき泪の膜ごしに見き
人生はひとつらの虚辞ふる雪の降り沈みゆくまでを見守れば
濁ることのふかさといえど雑居ビル四階のミサにこころ涵すも
昼といえどうすぐらき部屋のひとところ泉に出遭うごとき窓あり
通過電車の窓のはやさに人格のながれ溶けあうながき窓見ゆ
鉄道のなかに白夜があるという子どもの声すわれの咽喉より
冬のひかりに覆われてゆく陸橋よだれかのてのひらへ帰りたし
湯船ふかくに身をしずめおりこのからだハバロフスクにゆくこともなし
藤の花に和菓子の匂いあることを肺胞ふかく知らしめてゆく
曇天の日の路地にしてままごとのなごりであろう椿置かれつ
馬と屋根ひとつながらに回りゆくそのからくりは胸に満ちたり
薄紙がみずに吸いつくときのまを何処の死者か肉を離るる
晩秋や シャワー浴びれば転がってゆく鉛筆の幻聴すずし
晩年のまなざしをもて風うすきプラットホームに鳩ながめおり
彼岸花あかく此岸に咲きゆくを風とは日々のほそき橋梁
布のごとき仕事にしがみつきしがみつき手を離すときの恍惚をいう
福音のひびき及ばぬわが部屋を光にしみて朝のパンあり
閉ざしたる窓、閉ざしたるまぶたよりなみだ零れつ手品のごとく
舗装路に雨ふりそそぎひったりと鳥の骸のごとく手袋
木香薔薇の花殻は枝にもりあがり触れたくて他者の柵にちかづく
目を閉じて河原まできて目をあけて菜の花の点滴に触れたり
夜のみずながれてあれは鼠なりなめらかにありし二秒の鼠
遊園地にひかりはじけて胸の酸なつかしくながれ出でてわれあり
夕闇のおさなき闇よ、かすみ草さわだつごとく人は群るるを
夕闇の気配ひろがる午後五時の澄明、ひろき窓を隔てて
陸橋のうえ乾きたるいちまいの反吐ありしろき日々に添う白
列車より見ゆる民家の窓、他者の食卓はいたく澄みとおりたり
「緑の祠」(現代短歌クラシックス 11)五島諭(著)
【収録歌より】
くもりびのすべてがここにあつまってくる 鍋つかみ両手に嵌めて待つ
ゴンドラが緑の谷の上をゆく うれしさと不安の起源はおなじ
セロテープで補修したノートのことを覚えていなくてはならない、と
デニーズでよい小説を読んだあと一人薄暮の橋渡りきる
どこか遠くで洗濯機が回っていて雲雀を見たことがない悲しさ
はじめから美しいのだこの手からこぼれていったポップコーンも
はつなつは目に映るすべてのものに視線を返すことにしている
ヒロインを言葉のなかに探そうとラジオを修理している兵士
ミュージックビデオに広い草原が出てきてそこに行きたくなった
やがては溶けるかき氷にも向けているひと差し指の先の銃口
雨の日にジンジャーエールを飲んでいるきみは雨そのもののようだね
遠巻きに雲は流れるひとびとの爪を不思議な色に光らせ
夏の盛りに遊びに来てよ、今日植えたゴーヤが生ってたらチャンプルー
海に来れば海の向こうに恋人がいるようにみな海をみている
寄せてくる春の気配に文鳥の真っ白い風切羽間引く
久々に銀だこのたこ焼きを買う雨の大井で大穴が出る
空港の管制塔のなつかしいひかりの下でまどろむ兵士
市役所の回転扉を出ていくとどてら姿の米兵がいた
死のときを毎秒察知するようにホースの中を水が走るよ
若いうちの苦労は買ってでも、でしょう? 磯の匂いがしてくるでしょう?
書き終わらないレポートはそれだけで空についての考察である
触れることのできるあたりに喋らない鸚鵡と水泳少年がいる
信じることの中にわずかに含まれる信じないこと 蛍光ペンを摑む
新しい人になりたい 空調の音が非常に落ち着いている
青春の終わりを告げられる人の胸の明かりをぼくは集める
昔見たすばらしい猫、草むらで古いグラブをなめていた猫
息で指あたためながらやがてくるポリバケツの一際青い夕暮れに憧れる
大いなる今をゆっくり両肺に引き戻しつつのぼる坂道
地声から裏声に切り換えるときこんなにも間近な地平線
朝焼けのジープに備え付けてあるタイヤが外したくてふるえる
泥のしみこんだ軍手を手にもって立っている次に見る夢にも
白い蛾がたくさん窓にきてとまる 誕生会に呼ばれた兵士
美しくサイレンは鳴り人類の祖先を断ち切るような夕立
物干し竿長い長いと振りながら笑う すべてはいっときの恋
歩道橋の上で西日を受けながら 自分yeah 自分yeah 自分yeah 自分yeah
頬から順に透きとおりつつ八月の水平線を君が歩くよ
目玉焼きを食べられないでいる間にも印刷されてゆく世界地図
柚子、柚子と柚子を見つけて騒いでは柚子投げ上げて柚子受け止めて
夕映えは夕映えとして 同世代相手に大勝ちのモノポリー
夕方は出口がとてもよく見えて自分のからだが嫌いな兵士
履歴書の学歴欄を埋めていく春の出来事ばかり重ねて
「乱反射」(現代短歌クラシックス 12)小島なお(著)
【収録歌より】
かたつむりとつぶやくときのやさしさは腋下にかすか汗滲(し)むごとし
こころとは脳の内部にあるという倫理の先生の目の奥の空
シーラカンスの標本がある物理室いつも小さく耳鳴りがする
なにもないこともないけどなにもない或る水彩画のような一日
パイナップル食べ終えた後のまぶしさよまあるい皿に五月のひかり
ひとりみた夕焼けきれいすぎたから今日はメールを見ないで眠る
まだ知らぬ世界があってただ今のわれのからだに夏満ち満ちる
もうあまり会わなくなったきみの傘も濡らしてますか今日の夕立
もう二度とこんなに多くのダンボールを切ることはない最後の文化祭
雨すぎて黒く濡れたる電柱は魚族のひかり帯びて立ちおり
下じきをくにゃりくにゃりと鳴らしつつ前世の記憶よみがえる夜
過去のなき空間のごとく光りおり八月の朝のコンビニの中
教科書にのってるようなオリオン座みつけたらそれは冬のうらがわ
講堂で賛美歌うたう友達のピアスの穴を後ろから見る
水菜食みさらさらとわれは昇りゆく美しすぎる寒の銀河へ
猫の眼にかすかな水の気配して冷蔵庫には梨二つある
風見鶏日照雨に濡れてまわりおり少年の耳燃えている夏
噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし
平泳ぎのようにすべてがゆっくりと流れゆくのみ秋の浮力に
【参考サイト】