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【人生ノートMagazine】おおそうだ、愛は無限だ

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人生ノートの中から特に教育、愛情や好意など誰かへの情について、夫婦の結婚や恋人同士など男女の関係などについてのところをまとめています。
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#マインドフルネス

【人生ノート 182ページ】 ただ単に、そうしたいから為す、というのでなくして、ある思いをこめてする行為は、いずれにしても、汚れている。

他人を通しての自己愛タバコのきらいな人の前で、やたらに煙をふきかけるのは確かに無礼だ。しかし、タバコを好む人の顔に煙を少々ふきかけたところで無礼ではない。 裸体はいやしいと思い込んでいる人のまえで裸になるのは無礼だ。しかし、最奥天国ではほとんど裸だ。 礼儀にかなっているとか、無礼だとかいうのも、要するに、好意そのものにあるのではない。そう思うからそうなのである。 ○ ある目的のために人に尽力するのは、要するに、その人を通して自己を愛するのである。何ら目的なしに、愛する

【人生ノート 183ページ】 神の宝座は各自の心中にある。鬼も仏も心からだ。

 理想を急激に実現せんとしてはいけない。とにかく、少しずつでよいから、着手して改善していって、漸次に、実地にあたってそお呼吸をさとり、一歩一歩、向上をはからねばならぬ。 つぎにまた、何事でも一事に執着し固着してはいけない。一切は流動性において活きているのであるから、つぎつぎに目先を変え、内容を変えてゆかねばならぬ。 ○ 理屈は大抵知っているが、実行ができないだけだ。 ○ すべて画一的にキチンと計画することはおろかなことだ。 ○ 想念の世界であるから、相互によりよ

【人生ノート 184ページ】 相応の理によって、善言は善意を喚び起こし、悪言は悪意を呼び起こすことになる。

善言は善意を喚ぶ 利己観念の強い人ほど、物ごとを正当に公平に価値づけることはできぬ。彼等はつねに自己ちょうものを、その中へ取り入れている。 卑怯な者は、一面、また非常に残酷なところがある。彼等はつねに自己の安危をのみ土台に、物ごとを観ているのだ。 世間のせまい者ほど自己を知らない。それはつねに、ある意味において、鳥なき里のコウモリであるからである。 ○ ほめられて怒る者はなく、けなされて喜ぶものはない。 暴言悪語ほど人を後悔せしむるものはない。 たとえ大悪人にした

【人生ノート 212ページ】 苦労すればするほど可愛さがましてくるものである。

手数をかけるほど愛は生ずるものである。親が子を育てるにしても、なかなか一通りや二通りの苦労ではないが、苦労すればするほど可愛さがましてくるものである。 すべて、面倒や手数をいとうていては、何ひとつ真に自分のものにすることは出来るものではない。 ある団体のためとか、ある会のためとかいう場合でも、自分が身を入れる度が大なれば大なるほどそれらに対してより強い愛が生じてくる。 要するに、身を入れただけ、面倒をみてやっただけしか自分が拡がらぬものである。  『信仰覚書』第七巻、

心の奥に常に好意を

外的の行動は別として、その根本において、一切のものに対して好意をもって接することが大切である。 心の奥底に好意をもっていない人は、いかにその言葉や態度がいんぎん丁寧をきわめていても、どこやらに冷たいところがあり、寄りつき難いところがある。 言葉や態度に、一時の冷静さや峻厳さがあっても、その心の底に好意がひそんでいる際には、なんとはなしに一種の感銘をうけるものである。よしや、一時は恨んでも、あとになって有難くなつかしく思うものである。 要するに、根本において、相互に好意を

常に好感をもって

言葉の使いよう、ちょとした態度によって、相手に非常なショックをあたえる場合が往々ある。相手を怒らすのも和めるのも嬉しがらせるのも、ホンのちょっとの呼吸である。何も別に阿諛する必要はないが、とにかく、相手につねに好感をもって接する心がけが肝心である。 人間というものは、案外気の小さいものであるから、よほど注意せねばならぬ。 ○ お互いに己惚(うぬぼれ)というものを平らげたいものだ。そして、人をそねみ、ねたむということをなくしたいものだ。 他人の欠点は直ぐに目につくが、さ

人格を重んじ合え

大抵のことなら、他人のしていることを、とやかく言うものではない。 自分は自分だけのことをしていたらよいのだ。 ○ とげとげしい気分が一番いやだ。あたたかい円みのある人が一番好きだ。 人間はどこまでも共同生活をしてゆかねばならぬものであるから、あくまでも互いに打ち解けて、仲よく面白く暮らさねばならぬ。 最初から人を疑ってかかったり、人の心を試すような気持でいたりしてはならぬ。お互いに信用し合って、人格を重んじ合わねばならぬ。 世の中で、何が愉快だといって、気心の知れ