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付記に俺流解析綴じ込み・ショートショート『えん嗟』本文3399字

ゴルツィウス・ゲルドルプ「食事前の猶予と言う家族の肖像画」1602

 食事前の猶予と言う家族の肖像画…… 声にだすことなく、僕はタイトルを黙読した。幾度も幾度も声にはださず目視で字面を追う。長いタイトルである。「食事前の猶予と言う家族の肖像画…… 」僕は何度もタイトルを反芻する。声に出してしまうと、オールドマスターの作品に冠したタイトルの"本質"が煮崩れしだし、溶けだした馬鈴薯か何かのようになってしまいそうで怖かった。それだけは避けたかった。画を愛でる者として。
 掴めそうで掴めず、実態はあるもののヌメヌメとした質感を纏った鰻のようでもあり、何処か掴みどころのない「食事前の猶予と言う家族の肖像画」というタイトル________。
【この作品は、サスペンスかミステリー… いや寧ろ、ホラーかもしれない】   
 62歳の誕生日を三日後に控えた今日この頃。ついに幾許かの混濁を感じはじめた記憶の中、トラウマが主張しはじめる。
【ほらほら、やっと思い出してくれたかい ? 覚えているだろう~ ? ほら、あれだよ。大っ嫌いだったじゃないか ?】
 あわよくば、跡形もなく煮崩れしてほしかった記憶。後に家族という言葉が呪詛にも思えたあの日の記憶がヌメヌメとした肌感をともない、僕の記憶に纏わりつく。

 僕はインターネット上の美術系サイトのネットサーフィンを楽しんでいた。足掛け2年に渡る膵炎による痛みを市販薬で抑えながら、好きな絵画を探してネット上を彷徨い渡る。
 一枚の画でクリックの手が止まった。いや、正確には画ではなかった。文字列_______タイトルを眺めたところで手が止まった。
「なんだ…… このタイトルは…… 」
 僕にとっては手を止めるには十分すぎるタイトルだった。躓くには十分すぎる文字列。
 一瞬にして「猶予」という言葉の持つ奥行きと、およそブワブワとした時刻(とき)の顕しを感じようと五感が鬩ぎを見せはじめる。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、そして僕の大好きな超感覚(第六感)。
 絵画を愛でるのに五感というのは分らない~ というお人もおられるか。
そういう手合いは学者向きなのだ。感動を好物とする者は五感を磨くことに余念がない。
味わい尽くすのだ。


【1602年の作品、 ということはタイトルは概ね後付け。画家自らが名付けたタイトルとは考えにくい】
 僕の眼は、画を追うことなくタイトルを追い続けていた。

 17世紀以前の著名な画家たちの作品群をオールドマスターと呼ぶのだが、この時代の画家たちは、自らの作品にタイトルをつける習慣は無かったというのが定説となっている。その後、オールドマスターの作品にタイトルがつけられるようになったのは、18世紀に入ってからであり、絵画が一般大衆の娯楽文化として認知される機会となった、オークションが賑やかとなりだしてからでもあった。
【画を売るに、説明するにもタイトルがあった方が色々都合が良かったのだろう________ それにしても…… タイトルをつけた者は何故こんなにも長いタイトルをつけたのだろう。そして何故、猶予という言葉をつける必要があったのだろう】僕は"猶予"という言葉に云いようのない不可解な躓きを感じていた。
【画の中に"猶予"に通じるヒントがあるというのだろうか…… 】

 主張をはじめたトラウマに見て見ぬふりを決め込みながら、無理やり僕は意識を"猶予"という言葉の意味に向ける。結局はトラウマに通じてくることも知らぬままに。いや…… 寧ろ、牛蒡の根っこのようにキリ際限なく地中深くまで掘り進めることへの予感から遠ざかろうとでもするように。
 無駄な足掻きという文字列が灯っては消え、灯っては消えを繰り返す。


「猶予」という言葉の意味を探るため、画に見入る。
云わんコッチャナイ。無駄なあがきであったことを痛感する。トラウマが既視感を伴い脳裏に去来する。

 昭和42年、僕がまだ幼稚園児だったころ。僕は北海道の港町、小樽に住んでいた。幼稚園は当時小樽でも名門と云われた小樽幼稚園に通っていた。
 小樽は母が育った町であり、母の実家は当時の小樽では名家として名高かった。家業は「歯科医」であり、七人兄妹の長男は、北海道大学を出た北海道でも名を馳せた超がつくほど有名な外科医(後に隻足の外科医)として成功していた家系だった。男兄弟4人は全員、名門小樽潮陵高等学校から国立大学、北大、横浜国大と頭良しばかり。女三姉妹はこれまた当時の女学校の名門、小樽双葉出身。
 
 僕の自宅は小樽幼稚園の学区からは随分遠かった。バスで乗り継いでゆこうとすると1時間はかかる距離。行きは毎日父が幼稚園まで送ってくれた。帰りは自宅には帰らず、爺ちゃんと婆ちゃん家(ち)まで帰っていた。後年聞いたところによると、小樽幼稚園にごり押し入園させたのは婆ちゃんだったらしい。
 この婆ちゃんがクセモノだった。いや、今、この歳にして考えるのなら婆ちゃんの抱えた懸念や疑念は大いに理解はできるのだが、残念ながら、僕は婆ちゃんや爺ちゃんからの慈愛や寵愛を受けることは無かった。
 それは、僕が一番孫だったからなのだ。それも、祝うに値する結婚によって出来た孫ではなかったのだ。

 北海道歯科医師会の重鎮、小樽の I 家の長女の結婚相手が、明日をもしれぬドラム叩きのバンドマン。結婚式も挙げられず、挙句の果てが亭主は再婚。出自を聞けば、自らは妾の子供という非嫡出子であり、挙句が出来ちゃった結婚。そりゃぁ婆ちゃんにとっては憎んでも憎み切れないゴクツブシとなっていたことは想像に容易い。
 奇しくも、この婆ちゃんの懸念や疑念は程なく的中することになるのだが。僕のトラウマからは話がズレるので先を急ごうか。

 婆ちゃん家(ち)に幼稚園から帰ると、実家に住んでいたお袋の妹たち(叔母)や、兄弟たちからは随分可愛がられた。特に、二女と三男は(叔母叔父)は僕を色々なところへと連れて歩きたがった。行きつけの百貨店に行けば、告げもせぬのに外商が顔を見せ、I 家の坊ちゃんですか ? と甘ったるい声をだし、お菓子売り場のキャンディーコーナーに連れていかれて袋一杯の飴を持たされる。寿司屋に行けばネタ箱には無いマグロが出てくる。
 子供ながらに家名の力。特別感を感じる日々だった。


 ただ、たった一つの「猶予」を除いてなのだが。
僕には、当時三日の猶予が与えられていた。
三日に一度、婆ちゃんにツメの検査をされるのである。
三日に一度、両手両足のツメの検査を婆ちゃんから受けるのである。
そして_____ 切られる。爪を切られる。
三日に一度、まだ伸び切っていない爪を深爪される。
それも、爪切りではない。裁縫用の糸切ばさみで切られるのである。
刃先が指先に刺さる。血が滲んだ。それでも婆ちゃんの鋏を動かす指先からは容赦を感じることは無かった。

 いつしか僕は「婆ちゃんは僕が嫌いなんだ」と思うようになった。漠然と。僕が嫌いだから痛いと云っても爪を切るんだと思うようになった。母にも泣きついた。婆ちゃんの爪切りが嫌だ。痛いと。深爪された小さな手の指先は、化膿して赤く腫れていた。それでも三日後には婆ちゃんの検査と爪切りが待っていた。

 婆ちゃんの当時の想いが朧気に理解できるようになったのは、僕が18歳になった頃だろうか。そして、成る程なとしっかりとした肚落ちを見るようになったのは、僕の母が鬼籍に入ってからのこと。叔母たちから、母と婆ちゃんの関係についての思い出話を聞くようになってからだった。

 望むべくして祝える孫ではない男孫が一番孫になった口惜しさ。その種付けが非嫡出子のゴロツキクズレというバンドマン。
親として、さぞ悔しかっただろう。
出来ることなら家族とすら呼びたくはなかっただろう。血縁者とは考えたくもなかっただろう。
 僕のトラウマのひとつは、この二年の間によりあからさまな形を伴い居場所を整えた。

 年端もゆかぬ子供たちが合わせる手は何を祈るのだろう。食事前の祈りが猶予を顕すものなのだろうか。食事後に繰り広げられる行儀悪さに向けられた婆ちゃんからの叱責迄の猶予なのだろうか。
子供たちの小さく合わせた手をみると______ 、
小樽の海で泣きながら遊んだ幼稚園児の時分を想い出し、思わずブルっと震えるのである。
 一人の老女の眼だけがうつろなことに、猶予の先の憂いをみた思いがし、何かホットしている僕に気がつく絵画鑑賞だった。


■俺流解析

ここだけということにしておいて欲しい。人前で口にすると恥をかく恐れも無きにしもあらずである。

画、向かって右側2番目の立った姿の女性だが、これは、マリアさまの存在をシンボリックに投影した姿ではないのか~ と、わたしは考える。
対極にはキリストの磔刑画が飾られ、そしてこの女性。目はうつろであり焦点は結ばず、憂いを湛えており、手は前に座る婆様の肩へと置かれている。
「食事前の猶予と言う家族の肖像画」というタイトルの猶予と云う言葉にフォーカスしてみるなら、食事の開始を起点として繰り広げられる、何某かの葛藤、鬩ぎにむけられた言葉として読み取ることに合理性を見る。
 これは、どのような解釈を試みた場合も普遍性が担保されるだろう。
 が、もしもこの2番目の女性にマリア様の役割を与えたとするなら、猶予と云う言葉の持つ意味は、宗教的な存在感をみせることになると考えるのである。
 頭のてっぺんから垂らしたレースの帯は、寧ろ宗教画に見られる光輪をシンボリックに描いたものであり、宗教画から風俗画への移行期をにおわせる意味深長なる作品と感じられなくもない。この他にも宗教画をにおわせる切り口は少なくないのだが。

タイトルをつけた者は、ひょっとするとそういう寓意性(アレゴリー)を見出していたのかもしれない。
 素人のわたしの画の読み方である。あてにはならないwww

 寧ろ、単純に読むなら、「食事前の猶予と言う家族の肖像画」というタイトルは、ある意味シニカルな切り口を際立たせており、猶予と云う言葉はそのシーンをより際立たせるうえにおいて役立っていると考えられなくもない。 
 子供の多さから云って…… 食事の風景は、戦争さながらかもしれぬのだから。そういう意味での「猶予」と読めば、純粋な風俗画としても感じられるわけですな~
 楽しみ方はあなたにお任せ♬

2024/11/27  21:15
追記 "謝辞"
■感謝

ショートショート「えん嗟」。有難いことに一部の読者からは評価を頂けているようだ。中でも、画と作中のメタファの使い方に、親和性、調和性というわたしのクセを見抜いているご仁がいたことは作品を書いていて冥利に尽き、願ったりかなったりの喜び。本宅(ここ)のアクセス見たらちゃんと教えてくれた。感謝。

 一つには画のタイトル。次に画のモティーフ、これらと親和性のあるメタファを選択したつもりでいる。食事前の猶予と言う家族の肖像画の「食事風景」、ダイニングテーブル上の数々の料理と食材、メタファに散りばめた、馬鈴薯、鰻、牛蒡とくれば自ずと目は画のテーブルの上へと注がれる。

 そこから先は、スキに読んで頂ければ良いだろう。わたしのような素人ずれが、画の感じ方にまで口をはさみ過ぎると厭らしくも不遜極まりない。

 久しぶりに、書けた感を感じられる作品となった。
まぁ、リハビリだけどね。まだまだ暫くリハビリしなきゃ。
それにしても、読める人の眼って流石だわ。
興奮しちゃうもんね♬
ありがとう。。。
世一 拝


そして、オモシロガッテ読んでくれた"あなた"
有り難うございます。また遊びに来てね。

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