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すったもんだで終わった誕生日の振り返りと、「学校教育は無駄」発言について考える

こんにちは、水無瀬あずさです。いきなり寒くて、今日はちょっと暑くて、季節感がバグっています。扇風機が行き場を失くして寂しそうです。

10月が気づけば1/3を終えまして、晴れてわたくしアラフィフになりました。カレンダーを見たら2024年が残り少なくて、ああそろそろ喪中はがきを用意しなければいけないのでは?という時期になったことにちょっと愕然としています。年末に美味しいものを食べれるように、そろそろふるさと納税も考え始めないとだわね・・・。

ということで今回は、私めの誕生日についてちょっと触れるとともに、受験勉強にいそしむ長男くん(中3)が最近になって「学校なんて無駄、行きたくない」とか言っていることに対していろいろと思うところがあったので、思考を整理するべくまとめてみます(念のため言っておくと、我が子は不登校とかではないです)。子どもの教育や学校の在り方、学校教育の意義については、あくまでも私の個人的な意見であり、反対意見の方に異を唱えるものではないことをご承知おきください。


お誕生日を迎えて45歳になりました。

10/8に、おかげさまで何とか誕生日を乗り越え、めでたくアラフィフの仲間入りをしました。ウェーイ!30歳になる歳に長男くんを出産したので、私の年齢は長男くんの年齢プラス30歳。今年長男くんが15歳なので、私は45歳なのです!自分の年齢を忘れても、子どもの年齢から逆算できるから便利!

LINEにお祝いしてもろた!

Xを見ていたら、すっごいたまたまなんですが、水無瀬さんというVtuberの方も誕生日が同じであることを知り、謎の親近感を覚えました。わあ、こんな偶然ってあるのか。45年間生きてきて、同じ誕生日の人って出会ったことないわと思って調べてみたら、意外と有名人にも多くてワロタ。

まあ誕生日当日は、ご存じの方はご存じのとおり、次男くんが発熱からの学校欠席という流れになり、朝からどこで掛けようかなwktkだった私はガックリだったわけですがね。これが日ごろの行いってやつですネ・・・やるせない気持ちになってnoteに愚痴ったら、何名かから嬉しいおめでとうコメントをいただき、なんか泣きそうになりました。ホントありがとうございました。

とはいえ次男くんは割と元気だったので、午後から一人でショッピングに出かけました。いそいそとランチを食べ、お買い物に行こうとGUに行き、服を3着ほど買ったらなんか満足してしまい、その後は本屋へ行き、ビジネス書と次男くんが欲しがっていた国語と数学の問題集を買い、そういえばと思い出してDAISOへ行ってデスク周りの収納用のアイテムを買って荷物がもりもりになったところでふと、「あれ!?なんか普段と変わらない行動してんな私?」と気が付きました。誕生日ぐらい特別なことをしようと思っていたのに、私ときたら・・・!最後にKALDIに行くつもりでしたが、あまりにもいつもと行動パターンが一緒過ぎたので止めて帰りました。特別感(ちがう)。

夫からは何だか珍しくピアスをプレゼントしてもらいました。アクセサリーをプレゼントしてもらうとか、女子っぽい・・・!(この発想がもう)ちょうど普段使いのシンプルなピアスが欲しかったので嬉しい。

何故メッセージが全部ひらがななのかは永遠の謎

誕生日に際してつくづく思うのは、最近本当に明らかにおなかの肉は落ちにくくなったし、肌は全体的に重力に逆らえなくなってきたし、髪の毛のハリもコシも無くなってきたなってこと。あと老眼のせいか視力もがくんと下がり、握力も体力も確実に落ちました。体感ですが、この手の老化は40歳前後からいきなりやってきます。そう、本当にいきなりね。35歳を過ぎて「いや全然まだまだイケるやんwww」とナメくさっていたら、本当に一気にまとめてドバっと老化が来た感じでした。時間は不可逆であるという残酷な現実を突きつけられるのですよ・・・。

でもまあ、じゃあ過去に戻りたいかって言われたら全然そんなわけない私なので、退化していく身体を労わりながら、これからもガハハと笑って生きていこうと思います。45年間共に歩んできた身体ですもの、お疲れ様、ありがとうこれからもよろしくねって、大切に付き合っていきたいものですね。

長男くん「学校教育なんて時間の無駄」発言の波紋

我が家の長男くんは現在中学3年生、受験生真っ盛りのお年頃(?)。学校の勉強で内申を稼ぎつつ、家では宿題と受験勉強、休日は模試と、本当に忙しく過ごしています。塾には通っていませんが、普段はスタディサプリと市販の教科書などで勉強し、長期休みだけ夏期講習に行ったりもしました。

我が子たちはもともと小学校から「ゲームのために勉強」が習慣化しており、勉強嫌いではありません。特に長男くんは私に似てのめり込むタイプなせいか、勉強して新しい学びを得ることに楽しさを感じているようで、受験勉強ながらも何だか毎日楽しそうに過ごしています。自分もあんな感じだったのかなあ。

模試の結果もそこそこで、まだ気は抜けないものの順調に学力を伸ばしている長男くんですが、最近になってよく「学校の授業なんて無駄、学校休んで家で勉強したほうが効率がいい」と言うようになりました。スタサプで先取り学習も済ませている彼、受験勉強一直線なので、もはや授業で新しく学ぶことはあまりないということのようです。まあ分からんでもない。

挙句の果てには「義務教育なんて時間の無駄、教育委員会なにやってんだ」などと言い出す始末でして。うーん、これはどう考えても私たち大人が話している内容を完全に真に受けているなあと思いました。

我が家は夫婦仲が良く、子どもたちがいてもいなくても、家でも出先でも、夫婦で色々な話題で議論をします。新聞やニュース、本で得た知識から学校の話題まで、かなり幅広いジャンルを網羅していると自負しています。時には子どもたちも議論に巻き込んだりして、意外な方向に話がそれたりするのも楽しいし、それで子どもたちの知見が広がればいいなと思っています。

ただ。ただですよ。私が社会問題にとても興味があるということで、よく教育分野、学校教育なんかの話もする中で、「学校のここが良くない」「もっと〇〇の制度を変えてくれないといかん」「〇〇が無能!」みたいな話をしているせいか、長男くんも「学校=無駄」「義務教育=無駄」みたいな思考になってしまったようなんです。ニュースの話題ってそんなにポジティブなことが多くないので、どうしてもネガ寄りになっちゃうのは仕方ないとして、子どもたちの前で話す内容はもう少し精査すべきだったなあと反省するとともに、家族の風通しが良すぎるのも考え物だなと感じました。

私自身は、国の教育施策や学校教育現場に様々な問題や課題があるのは理解しつつ、学校という場所には大きな意味と意義があると思っていて。っていうかさ、たかだか中学生の長男くんが「授業が無駄!」と言い放っている現実に愕然とするんですよね。だって15年やそこらで、これが無駄でこれは無駄じゃないとかどうやって判断できるのよと思うわけです。「無駄だと判断するためにはそれなりの経験が居る。だから、無駄かどうかも含めて、その経験を積んでいるのが今なんだよ」と長男くんには伝えました。まあ発言の大元はおそらく私が原因なので、そこは大いに反省すべきなんですけどね・・・。

だいたい長男くん、「受験勉強する時間がない!学校教育は無駄ァ!」とか言いながら、一方でスマホで動画を見たりSwitchでゲームをやったりしていて、受験生ずいぶん余裕だなあと思うわけです。なので、「学校教育が無駄と言う前に、もっと削れる無駄な時間があると思うけど?」と言ったら、それに対しては「まあ・・・」とかずいぶん歯切れが悪かったですけどね!

果たして学校教育って「無駄」なのか?

ぶっちゃけ、学校が勉強だけするところであれば、別に必要ないと思うし、無駄だと言えるかもしれない。でも学校における教育って、当然ながら勉強だけじゃないですよね。友達との付き合いかたとか距離感、クラスで協力することとか、そういうのも全部ひっくるめて学校教育だと思います。

コロナ禍で全国一斉休校になったとき、我が家の子どもたちは普通に自宅学習にいそしんだので、勉強という観点からすると全く問題はありませんでした。でもそれだけじゃダメだったですよね、当時。友達に会いたい、学校に行きたいってうちの子どもたちも言っていました。学校って勉強するだけの場所じゃないんだって、あのとき痛いほど感じたのを昨日のことのように思い出します。

それは私たち大人もそうで。在宅ワークは楽だけど、やっぱ対面で話したいよね、オンラインだけじゃダメだよねって思いましたよね。人間同士が顔を突き合わせてコミュニケーションするからこそ、オンラインもいいよね、会わなくてもいいよねってなるわけで。人との対面の触れ合いは、人間らしく生きるための原点だと思います。そういう意味で、学校という場所は非常に意義深いと考えるのです。

私は、教育って2種類あると思っているんですよね。即効性のあるものと、そうでないもの。例えば子どもの習い事や大人のスクールみたいに、お金を払って受ける教育って、即効性を求めて受けるものです。なるべく早く結果を出したいもの。賞を取りたい、受験で必要だから、仕事に生かしたいから。どれも、時間をなるべくかけずに効率的に学びたいっていうニーズがあると思います。

一方、即効性がない教育の代表的なものが学校教育。すぐに使える知識を学ぶわけじゃないけど、人間が人間らしく豊かに生きていくために必要な、幅広いことを学ぶ場所。大人になって「思考」するためのベースとして、絶対的に必要な知識、それが学校教育、とりわけ義務教育で得られるものだと思います。

即効性がないから、一見すると学校教育って無駄に見えるかもしれない。でもそれって人間に眠る記憶の引き出しに着々と蓄積されていって、いつかふとした拍子に思い出したりするかもしれないものです。予想外のところで、意外なところで役立つかもしれない。だから学ぶ。いろんなことを学ぶ。それでいいと思うんですよね。何が無駄かなんて、人によって違うんだから。

私は気が向いたときにいろいろな本を読んだりしますけど、それも即効性を求めているというより、知識として蓄積しておけばいつか何かの役に立つかもと思うからです。無駄だろうと雑学だろうと、知識は知識。記憶の引き出しの奥底にごっそり無駄っぽいものが詰め込まれている人の人生は、きっと誰よりも豊かだと思います。私もそうありたい。

だから私は子どもたちに、義務教育のうちに無駄をたくさん詰め込めよ、貯め込めよと言っています。きっといつか、意外なところでキミたちの役に立つ日が来るから、その日を楽しみに待っていればいい。

ってかさ。最近タイパだのコスパだのやたら言う時代ですけど、学校教育ってそもそも効率化するものじゃないと思うんですよね。自分の人生を振り返ってみると、無駄かどうかなんて考えずにたくさん試行錯誤して、回り道したからこそ身に付くこともたくさんあったわけで、若者たちにも学生時代こそいっぱい失敗して回り道しろよって本当に思います。大人になったら、回り道すら許されなくなっちゃうんだからさ。

学校教育の「意義」って何だろう

もちろん学校教育のメインは勉強ですが、それ以外でも、さまざまなことを学べるという意味で大きな意義があると考えます。ここでは、勉強以外という視点で学校教育の意義について考えてみます。

あくまで私個人の考えであって、色々な理由から学校に行けないお子さんに「学校に行け」と言っているわけではないことをお含みおきください。

多人数とのコミュニケーション

学校教育における最大の意義は、コミュニケーションだと思います。小人数ではなくて、大人数の中にいる「自分」という立ち位置を知ること。ヒエラルキーの中で自分がどの場所にいて、クラスや部活の人たちとどんな距離感で付き合うか、自分の現在位置をしっかり見極めることって実はとても大事。現在位置が分かるからこそ、「こうなりたい」という姿を目指せるのです。

30人も40人もクラスのメンバーがいれば、当然ながら気が合う友達、嫌な奴もいます。気が合う友達と楽しく過ごすのはいいとしても、「嫌な奴がいるから学校に行きたくない」ではなくて、嫌な奴がいるけどそれをどう回避するか、どうやり過ごすか、どう立ち回れば鉢合わせずに済むか、そういった処世術を学ぶ場でもあると私は思います。

我が家も子ども2人いて、今までにお友達とのトラブルっていうのもまあまあありました。先生に相談しに行ったり、スクールカウンセラーの先生と話をしたこともあります。幸い、担任の先生が非常に頼りになる方だったので大きな問題にはなりませんでしたが、「世の中どうしても合わない友達って絶対に居るものなので、それを踏まえて自分がどう振舞うべきかを考える、それもまた大切な勉強だよ」って話を当時子どもたちにもしました。これは本当に、家で一人で勉強していても学べない最たることだと思いますね。

己を知る

無駄かもしれない、役に立たないようないろいろな勉強を通じて、自分が本当に好きなこと、嫌いなこと、あるいは得意なこと、苦手なことを知るきっかけになります。

私のいつも見ている科学チャンネルで言っていたのですが、「好きなことと得意なことは違う」んですよね。何が好きで、何が得意か、自分で自分のことを深く知るきっかけになるのが学校教育のいいところです。

確かに私、文章を書くのは得意だけど、国語の授業は嫌いだったな。数学の授業は好きだったけど、得意ではなかったな。そういや意外とたまにでかけた街頭募金のボランティアは楽しかったし好きだったな、とかね。自分の認識している自分と実際の自分は、もしかしたら違うかもしれない。学校教育は、そういう「己と向き合える」最高の環境だと思います。

また、苦手だから「やりたくない!」ではなくて、なんとかテストを乗り切って進学するためにどうしなければいけないかを考えるのも、学校教育の大きな意義です。嫌だからやーめた、では何も身に付きません。学校教育で忍耐、我慢することを教えるというのも大事だと思います。

社会の仕組みを知る

学校は社会の縮図です。公立学校ほどその意味合いは強いかな。さまざまな家庭環境の人が居て、いろんな考え方の人間がいて、その人たちが同じ空間で過ごすとき、摩擦や軋轢が生まれたりもする。争いが起きて修復不可能になることだってある。だけど協力し合って、助け合って、ビックリするくらいのチームワークを発揮することもある。だから人間って面白い、そんなことを学べるのが学校教育なのです。

テストや苦手なこと、嫌な奴に立ち向かうとき、場合によっては死に物狂いで頑張らなきゃいけないシーンもありますよね。そういう「頑張りどころ」を乗り越えるためにひたむきに努力すること、そういうのを学べるのも学校教育の意義だと思います。努力して報われることもあれば報われないこともある。でも逃げずに立ち向かうことが大事ですね。

あとは競争ですね。社会に出ると、誰かと比較されることばっかりです。最近の学校は運動会でも順位を付けないとかやっていますが、大人になったら何かの順位によって人の価値さえ決められてしまうところだってあります(ちなみに私たち氷河期世代は、社会人として「価値なし」とレッテルを張られ続けた世代ですね)。だからこそ学校教育においても、多少なりとも他者と競うことをもう少し取り入れて欲しいと願います。だって受験なんてまさにそれじゃん。学校教育では熾烈な競争である必要はなくて、でも「勝って嬉しい」「負けて悔しい」という感覚は、何にも負けない記憶として残るものなので、それをどうか大切にしてほしいですね。

結び|人と触れ合うことを恐れない大人になってほしい

長男くん、「学校教育は無駄」とか言いながらも、仲のいい友達もできて、中学生活をそれなりに謳歌できているようでホッとしています。実は彼、中1~中2は友達関係でだいぶいろいろめんどくさかったんですよ。3年になってようやく落ち着いてくれて、私としては心底ホッとしています(いつかそれもnoteに書きたい)。と思ったら、今度は次男くん(中1)がちょうど今メンドクサイ感じになっていて、まさかの2周目!!と肩を落とす今日この頃です。っていう感じで、まあとにかく長男くん受験頑張れよって話でした(そんな話だっけ)。

明日から3連休ですが、中日にインフルエンザ+コロナワクチンを打つ予定なので(受験生がいるので念のためね・・・)、おそらく後半は体調が悪いことでしょう。何事もなく微熱程度で過ぎますように・・・。

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