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歌詞の解釈

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2024年10月の記事一覧

「電車かもしれない」から読み解く不確実性

「電車かもしれない」から読み解く不確実性

「電車かもしれない」は、2001年に発売された”たま"のマキシシングル「汽車には誰も乗ってない」に収録されている一曲で、天才「知久寿焼」の作詞作曲によるものです。知久寿焼の詩には独特なシュールさと神秘性があり、この歌詞もその典型的な例です。「体のない子供達」や「物理の成績が悪い子供達が空中を歩き回る」という描写から、現実離れした世界観が描かれています。詩を分析する際には、現実と非現実、存在と不在と

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「生きてるって言ってみろ」(友川かずき) 俺たちは死んでるも同然なのか。

「生きてるって言ってみろ」(友川かずき) 俺たちは死んでるも同然なのか。

友川かずきの「生きてるって言ってみろ」は、現代社会における自己の存在意義や生きることそのものに対する疑問と苦悩を表現しています。この詩には、虚無感や現実との対峙、不条理な社会の中で生き抜くことの難しさが色濃く反映されています。以下、この詩に込められた叫びから紐解けるいくつかのテーマを探ります。

1. 生きることへの問いと実感の欠如

「生きてるって言ってみろ」という繰り返されるフレーズは、まさに

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「トドを殺すな」(友川かずき)俺たちみんなトドだぜ!

「トドを殺すな」(友川かずき)俺たちみんなトドだぜ!

友川かずきの「トドを殺すな」は、社会に対する強い反抗と、生きることの理不尽さを嘆く叫びが込められた詩です。この詩は、動物としてのトドを直接描いているのではなく、人間社会の不条理を「トド」という象徴を通して表現しています。社会での役割や価値観、人間の冷酷さや無力感が深く描かれており、挿入歌として使用された『三年B組金八先生』のテーマとも共鳴しています。以下、この詩の奥に秘められた意味を解釈します。

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「空蝉」(さだまさし)人生の最終章に何を思う?

「空蝉」(さだまさし)人生の最終章に何を思う?

さだまさしの「空蝉」は、時間の流れとともに儚くなる人間の愛や期待、そして現実を描いた歌詞です。詩全体を通じて、過去の熱い恋や愛情が、時間とともに衰えていく一方で、それを支え合いながら生きてきた夫婦の姿が象徴的に描かれています。以下、詩の解釈を行い、さらに源氏物語の「空蝉」との関係性も探っていきます。

1. 儚い現世の道連れ

「名も知らぬ駅の待合室で 僕の前には年老いた夫婦 足元に力無く寝そべっ

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「わかれうた」(中島みゆき)そのまんま解釈

「わかれうた」(中島みゆき)そのまんま解釈

中島みゆきの「わかれうた」は、恋愛における別れの痛み、孤独、喪失感を描いた詩です。歌詞全体を通じて、別れが避けられないものでありながら、そのたびに深い傷を負い、独りで生きていくことの寂しさが語られています。以下に、歌詞全体の解釈を順を追って解説します。

1. 別れの深い痛み

「途に倒れて だれかの名を 呼び続けたことが ありますか」

冒頭部分で、主人公は深い喪失感を抱えた経験を問いかけていま

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「わかれうた」(中島みゆき)裏読み解釈

「わかれうた」(中島みゆき)裏読み解釈

「わかれうた」の裏読み解釈を行うと、表面的には別れに対する嘆きや孤独を歌っているように見えるこの詩が、実はそれ以上に深い人間関係の機微や、自己肯定、または自己欺瞞が隠されていることが浮かび上がってきます。裏読みの視点では、主人公が語る別れの悲しみが、実は彼女の深層心理である「別れへの恐れ」や「別れを迎えることで自分を守っている」といった意図が見えてくる可能性があります。

1. 別れに執着している

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「キツネ狩りの歌」(中島みゆき)ある日、突然、犯罪者扱いされる者たち。

「キツネ狩りの歌」(中島みゆき)ある日、突然、犯罪者扱いされる者たち。

中島みゆきの「キツネ狩りの歌」は、表面上は「キツネ狩り」という一見伝統的なイベントのように描かれていますが、その裏には深い寓意が隠されています。この詩には、人間社会における集団心理、仲間内の裏切り、自己欺瞞、そして社会的な不安や恐怖に対する鋭いメッセージが込められています。例えば權力、そしてマスク警察に代表される同調圧力もその例でしょう。以下に、この詩に込められた秘密やメッセージを解釈していきます

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「鳥辺野」(さだまさし)は、愛の終焉を告げるのか。

「鳥辺野」(さだまさし)は、愛の終焉を告げるのか。

さだまさしの「鳥辺野」は、愛、別れ、移ろいやすい心を、自然の風景と巧みに重ね合わせて描いた歌詞です。この詩全体を解釈し、各部分の意味を探っていきます。

1. 鳥辺野の象徴と別れ

「寂しいからとそれだけで来るはずもない 鳥辺野」

鳥辺野は、京都の火葬場のある場所で、死や別れを象徴する場所です。ここでは、主人公は「寂しさ」だけではなく、もっと深い意味で鳥辺野に足を運んでいます。鳥辺野は、愛や人生

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「風の篝火」(さだまさし)は、愛を照らすのか、はたまた燃やし尽くすのか。

「風の篝火」(さだまさし)は、愛を照らすのか、はたまた燃やし尽くすのか。

さだまさしの「風の篝火」は、儚い別れと心のすれ違い、そして風景に溶け込んでいく愛の終焉を繊細に描いた詩です。自然や風景が愛や感情を象徴的に表現しており、移ろいやすい心と別れの瞬間が重ねられています。以下、この詩の部分ごとの解釈を行います。

1. 儚い命の象徴:蜉蝣と細い腕

「水彩画の蜉蝣の様な 君の細い腕がふわりと 僕の替わりに宙を抱く 蛍祭りの夕間暮れ」

「蜉蝣(かげろう)」は、短命で儚い

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「防人の歌」(さだまさし作詞)は私たちに何を問うているのか。

「防人の歌」(さだまさし作詞)は私たちに何を問うているのか。

「防人の詩」は、さだまさしが作詞・作曲した、深い哲学的問いかけを持つ作品で、映画『二百三高地』の主題歌でもあります。この詩は、命の儚さや人生の無常、愛や故郷といった大切なものの消滅についての深い考察が込められています。以下、歌詞の解釈を掘り下げて説明します。

1. 生命の有限性と自然の無常

「この世に生きとし生けるものの すべての生命に限りがあるのならば」

この冒頭部分で歌われているのは、す

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