拒食症の苦しみ
20年の摂食生活、圧倒的に過食期です。
拒食だったのは中学の2年から。
高校に入る頃にはだいぶ見た目も普通に戻りかけていたので
拒食だったのはだいぶ前のことです。
その短い間に起きたことを覚えてる限りポツポツと書きます。
食べられないのは辛くない
まず、拒食を経験した方なら当たり前だと思うかもしれませんが
食べられなかったとき、食べられないことは辛くないです
食べられないのに「食べろ」と言われること。
痩せすぎて行動を制限されること。
自分の言ってることが聞いてもらえないという感覚。
それらが辛かった。
ある程度時代の特性もあるかもしれません
「食べないことが理解できない人」がとても多かったと思う
摂食障害への理解なんて浸透していなかったのかもしれない。
病院は大きい病院に回されまくる始末。
大人たちが必死に私を改善しようとしているのがわかる。
でも私は病気なんかじゃないと思っている。
学校に行かなきゃ。部活に戻らなきゃ。勉強しなきゃ。
そっちにベクトルは向いている。
つまりお互い向いている方向が違うからなかなか分かり合えないし反発した。
表面的な症状(全然食べない、という実態)だけ見てしまうと分かり合えない。
親は「生命の危機だ、無理矢理にでも栄養を。このままだとやばい!(娘が死ぬかも!)」
私は「なんで私の言ってることを聞いてくれないのか。何キロになったら学校に行けるんだ。このままだとやばい!(勉強も運動も置いてかれる!)」
この通り、今ならわかる。
私の言ってることはめちゃくちゃ。
27kgになってガリガリでも勉強や運動をしなきゃと思ってる。
でも分かんないんだよね、
自分の身体が栄養が足りてない事なんて。
そしていまの状況がどれだけ危ないかなんて。
アドレナリンめちゃくちゃ出てるから元気だったんです。
時々ぼーっとすることがあるけど、ほぼいつもハイな感じでした。
少し成長して高校や大学になってから
摂食障害に関するいろんな本を読みました。
それでなんとなく客観的に自分を、過去を、捉えられるようになってからわかる。
「なぜ摂食障害になったのか。」が。
ここら辺はまた今度書きます。
自分でも摂食障害になってしまったばかりの時点では根本的な原因は全く分かっていなかったです。
「あの子、ガリガリ」
ひとつ、拒食症の頃の思い出話を、、
拒食症を発症したけどまだドクターストップがかかる前、
大会に向けて駅伝の練習は佳境だった。
私が痩せてしまって、そんな長距離走れるのかと。
危ない状況かもしれない。
そんな状況のやつをメンバーに入れるのか?
コーチも親も悩んだと思う。
ただ私、速いから選ばれてて、私が出なかったら私よりタイムが遅い子が、代わりに走ることになる。だから私が抜けたら総合力が下がる。
私もそれがわかってたし、今まで大会にでて襷をつなぐために練習してきた。
だから、出るつもりだと言った。
わがままで、最後に出させてもらった。
それが終わったら病院にもちゃんと行くからと。
いつ倒れるかもわからないから、親も心配していた。
大会当日。
痩せすぎていくらアップしても身体が十分に温まらない。
ベンチコートを脱いだら一瞬で冷える。
ユニフォームの下に、長袖とアームウォーマーと手袋して、襷を繋いでた。
順調に走ったけど、多分体力は限界だった。
意外に沿道の歓声の声は聞こえるもので、
「がんばれー!、、、え、あの子ガリガリじゃん」
「やばーあんなんで走れるのかな」
「痩せすぎ」
そんな声をちらほら聞きながら、次の選手に襷を渡した。
足は引っ張らなかったけど、もっとちゃんと体力と筋肉つけたら
もっといいタイムが出せたのだろうといまは思う。
母も褒めてくれた。嬉しかった。
昔から母は、長距離を走るのをよく応援にきてくれた。
みんながすごいねって褒めてくれるこの子、わたしの娘なの!
応援いくからね!頑張って!
そんな感じのめちゃくちゃ人間らしくて、よく笑いよく泣いてよく怒る(笑)母です。
そんな母は、その時もよくやったと、そんな体でよく走り切ったと、褒めてくれた。
実は私はそれが嬉しくて、長距離をやっていたのもある。
長距離をやれば母が喜んでくれると思った。
やらされてるわけじゃないの。
昔から母が褒めてくれることを、もっと頑張って続けて、いい結果をひたすら追い求めていくタイプだった。
その一つが、たまたま陸上、長距離だった。
思い出話が長くなってしまった。
拒食の辛かったことを書こうと思ったけど、そこに関しては内容が薄くなってしまったので
また少しずつ書きます
読んでくれてありがとうございます。
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過食嘔吐真っ只中で、お金もなく、死にたい奴がいますので注意です
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