見出し画像

【読書】忘れられた日本人 by 宮本 常一


あらすじ

柳田国男・渋沢敬三の指導下に,生涯旅する人として,日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が,文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し,「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす.「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作. (解説 網野善彦)

岩波書店Webサイト

1. 文化人類学と民俗学の違い

この本を、文化人類学の本だと思って読み進めていたが、読了後にインターネット検索で背景知識や分からなかったことを調べてみると、著者は「民俗学者」で、この本は民俗学の本であることがわかった。しかし、文化人類学と民俗学の違いがわからない。調べると以下のような記載を見つけた。

民俗学は儀礼・信仰・社会・経済などの伝承資料から日常の暮らしと文化を探求し、文化人類学は異文化の営みと我々自身の営みをシンメトリックに研究する学問です。いずれもフィールドワークに基づいて、価値観を異にする人々の行動様式を生活文化の中で理解します。(略)
民俗学では対象の歴史的な深みを考察するため日本史学と連携した科目を組んでいます。文化人類学では古典的な理論から最新の科学技術論に至るまで幅広く批判的に学びます。(略)

筑波大学 人文・文化学群人文学類民俗学・文化人類学コース

日本でしばしば混同される文化人類学 (cultural anthropology)、民族学(ethnology)、民俗学 (folklore studiesまたはfolkloristics)の3者を以下のように区別する。まず、文化人類学と民族学は両者とも(研究者から見て)国外の異民族を研究する分野であるものの、アメリカ合衆国発祥の前者に強い理論志向が見られる一方で、ヨーロッパ大陸から始まった後者は各民族の実情を重視し、より細かな事実に関心を払う傾向があるとする。加えて、異民族に注目する民族学と自民族を研究対象とする民俗学が明確に弁別される世界的な傾向とは対照的に、西洋に比して近代化が遅れ、西洋と非西洋の要素が混交した文化的多元性を残した日本では、欧米の研究者が国外の「未開社会」に求めざるを得なかった特徴的な習慣や出来事を「自国の片田舎に発見することがあった」とされている。この点で日本における民族学と民俗学の差はさほど大きく開いておらず、「二つのミンゾクガク」として両分野の研究者から親しまれたという(pp.5-7)。

酒井貴広による、桑山敬己・島村恭則・鈴木慎一郎著 『文化人類学と現代民俗学』の書評

本来、世界に境目はほとんど存在せず、あくまでグラデーションの問題なのだが、分類とは常に人間の都合で決まるものである。

ひとまず、研究者を「主体」としたとき、以下のように理解して良いだろう。
文化人類学とは、研究者にとって外国・異民族の文化を研究し、自文化(多くの場合、西洋近代文化)との比較や科学的な考察を行い、「理論」として構築することを目指す学問。
民俗学とは、研究者にとって自国・自民族の文化を研究し、習慣や出来事、儀礼・信仰・社会・経済などの伝承をなるべくそのままの形で記述し残すことを目指す学問。

この基準だと、「忘れられた日本人」は、まごうことなき民俗学者による民俗学の著作である。

2. 日本流デモクラシーの「型」ー対馬にてー

昨今しばしば、欧米と日本の会議スタイルについて、
「欧米では結論を出すことを目的に会議を行い、本当に権限のある人、発言する人のみが会議に参加し、会議は目的を達すれば素早く終わる。一方日本では、関係者全員が参加するものの雑談も多く、間延びして時間通りに終わらないことも多く無駄である。」
といった趣旨の論評が見られる。

本書の「対馬にて」を読むと、日本型全員参加の長時間会議の典型例を見ることができるが、それが無駄、不合理とは言えないことがわかる。村の寄りあい衆(基本は現役世代の男)全員が集まり、問題解決や結論を出すべき事柄について話し合う。その特徴は以下の通り。

①話し合うトピックに関連する、過去のエピソードや長老から聞いた伝承などを出し合い、全員で共有する。
②エピソード・伝承が出尽くした段階で、議長が結論の案を提案し、それで良いかと全員に問う。異論が出なければ、結論が村の寄りあいの総意として承認される。

①は、情報、知識、知恵の若手への共有の場として機能する。
私も日本型会議に出席することは多々あるが、若手として、年長者が過去のエピソードや裏話を共有してくれることは大変ありがたかった。ものすごく話が長い人がいたり、組織に入って数年すると「その話聞くの何度目だろう…」と思うこともあるが、その時にはメンバーも変わっているので、新しいメンバーに伝承するためにも、この過程を否定する感情は起きなかった。
このように、話し合うトピックに関連する、過去のエピソードや長老から聞いた伝承などを出し合い、全員で共有することに、若手育成の意味でも一定の価値があるように思う。

②は、誰もが納得するまで話し合い、「総意」として決定することで、村一丸となって決定したことを実行することが確保されるという長所がある。
多数決だと、少数派だった故に意見を却下された側が、決定に対してどれだけ責任を負うかということが問題になるが、「総意」であればその問題が出てこない。例えば、高校の文化祭でクラスの出し物をお化け屋敷にするか喫茶店にするかで多数決を取り、お化け屋敷に決まったとする。もちろんクラス一丸となってお化け屋敷の成功に全力で努力できれば理想的だが、喫茶店に票を入れた生徒の中には、「お化け屋敷に票を入れた人に責任があるのだから、彼らがより努力すべきだ」と考える人も出てくるかもしれない。
このように、話が出尽くすまで議論し、結論が村の寄りあいの総意として承認されることで、実行の段階での分裂や問題が起きにくいという良い点がある。

3. 世話焼きばっばのいない現代のしんどさー村の寄りあいー

村の中で難しい、こんがらがった問題が出てくると、解決の糸口をくれる老人の存在があった。

例えば、農地解放という、利権が複雑に絡み合った状況では、農民の農地への愛着は強く、各々が自分の利権を主張して譲らない膠着状態に陥ることがあった。農地解放の指導をしていた著者の知人は手を焼いていたが、村の老人に金言をもらい、解決の糸口が見つかったのだ。

60歳をすぎた老人が、知人に「人間1人1人をとって見れば、正しい事ばかりはしておらん。人間3代の間には必ずわるい事をしているものです。お互にゆずりあうところがなくてはいけぬ」と話してくれた。それには訳のあることであった。その村では60歳になると、年より仲間にはいる。年より仲間は時々あつまり、その席で、村の中にあるいろいろのかくされている問題が話しあわれる。かくされている問題によいものはない。それぞれの家の恥になるようなことばかりである。そういうことのみが話される。しかしそれは年より仲間以外にはしゃべらない。年よりがそういう話をしあっていることさえ誰も知らぬ。知人も40歳をすぎるまで年より仲間にそうした話しあいのあることを知らなかった。老人から話の内容については一言もきかされなかったが、解放に行きなやんでいるとき「正しいことは勇気をもってやりなさい」といわれて、なるほどと思った。
そこで今度は、農地解放の話し合いの席でみんなが勝手に自己主張をしているとき、「皆さん、とにかく誰もいないところでたった一人闇夜に胸に手を置いて、私は少しも悪いことはしておらん、私の親も正しかった、祖父も正しかった。私の家の土地は少しの不正もなしに手にいれたものだとはっきり言い切れる人がありましたら、申し出てください」といった。すると、今まで強く自己主張をしていた人たちがみんな口をつぐんでしまった。それから話が行き詰まると、「闇夜胸に手をおいて…」と切り出すと、大抵話の糸口が見出されたというのである。

本文

現代でも、国連の安全保障理事会とかで各々が勝手に自己主張をして紛糾しているときなどに応用したいものである。

上記は農地解放という利権に絡む話であるが、村人の生活に関しては、「世話焼きばっば」が緩衝材、絡み合った問題をほどく役を担ったという。

他人の非をあばくことは容易だが、あばいた後、村の中の人間関係は非を持つ人が悔悟するだけでは解決しきれない問題が含まれている。したがってそれをどう処理するかはなかなかむずかしいことで、女たちは女たち同士で解決の方法を講じたのである。そして年とった物わかりのいい女の考え方や見方が、若い女たちの生きる指標になり支えになった。何も彼も知りぬいていて何にも知らぬ顔をしていることが、村の中にあるもろもろのひずみをため直すのに重要な意味を持っていた
小さな村は、共同生活をする場所としては狭すぎたし、自ずから家々の中にあることの全てが知れ渡っていく。それでいて、なお世間に知られては悪いようなことも多かった。とにかく、隣が何をしているかということがわかりすぎることは、お互いの生活を息苦しくさせるものであり、都会で生活するような気楽さは得られない。

本文

このような、権力ではなく、権威を持つ賢老の存在が日本社会からなくなってしまったことは、社会にとって大きな損失であると思った。

この記事が参加している募集