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夏目漱石「吾輩は猫である」 吾輩は猫である。名前はまだない。 で始まる夏目漱石(1867〜1916年)のデビュー作。文豪と呼ばれる漱石だが、明治38年に発表された本作は高尚な作品ではない。なにしろ猫を飼ってる教師の名前が「珍野苦沙弥=ちんのくしゃみ」だもの。ボケツッコミやギャグがこれでもかと繰り出される。斜に構えているのも社会批評というより、きっと笑いを取りにきている。エンタメ度満点の小説である。 ご存じの通り、猫の視点から、とりとめもない日々の出来事が語られる。
深田久弥「日本百名山」 百名山。山登りに縁がなくても聞いたことぐらいはあるはず。文筆家で登山家の深田久弥(1903〜71年)が著したエッセー集『日本百名山』に登場する山々を指す。深田は自らの登山体験に基づき、品格、歴史、個性を基準として、全国の山から百座を選出。道北の利尻岳から屋久島の宮ノ浦岳まで、それぞれの登山体験を綴っている。 濃緑の樹林と、鮮やかな緑の笹原と、茶褐色の泥流の押出しと−−そういう色が混りあって美しいモザイクをなしている。(焼岳) 眺望を称え、故
西條八十詩集 〈唄を忘れた金糸雀(かなりや)は、後の山に棄てましょか〉で始まって、藪に埋めるとか、ムチでぶつとか。一応「いえ、いえ、それは…」と制止してくれはするものの、童謡なのにけっこう残酷。映画ならPG12指定ぐらいされそうだ。 「かなりや」は、詩人で作詞家の西條八十(1892〜1970年)が、童話と童謡の雑誌「赤い鳥」に頼まれて発表した作品。成田為三が曲をつけて、1919年に童謡として発表されると人気を集め、八十の代表作となった。 散々ひどいことを言われている金
池波正太郎「真田太平記」 亡き太閤殿下の御恩忘れがたく、この上は当上田の城に立てこもり、いさぎよく戦って討死をいたし、わが名を後代にとどめたく存ずる。西上のおついでに、ま、一攻め攻めてごらんあれ。 『真田太平記』は時代小説の大御所、池波正太郎(1923〜90年)による不朽の名作。文庫本で全12冊に達する超長編は、武田氏滅亡から犬伏の別れ、大坂の陣を経て松代移封まで、真田家40年のドラマを活写する。どこを読んでも面白いが、前半から中盤の見せ場といえば知将・真田昌幸が徳川
徳冨蘆花「不如帰」 逗子海岸のはずれ、砂浜の尽きた先。海に面した崖から小さな滝が落ちていて、小さな不動堂がある。その前の海を防波堤越しに覗くと、ポツンと碑が立っている。「不如帰(ほととぎす)」と大書された石碑は、潮が満ちれば沖合に。遠くから眺めるしかないという、かなり異色の文学碑。 訪ねたのがたまたま干潮の時間だったので、碑のそばまで歩くことができた。近くで見るとずいぶん磨耗していて、背面の文字はほとんど読めない。荒天にはザブザブ波をかぶるのだろう。なぜここに?と言いた
曲亭馬琴「南総里見八犬伝」 仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌。50代以上なら、即メロディーが思い浮かぶのでは。いざとなったら玉を出せ。1970年代に放送していたNHKの人形劇「新八犬伝」の挿入歌だ。 原作は、江戸時代後期の作家、曲亭馬琴(1767〜1848年)の『南総里見八犬伝』。房総半島の南部、安房国を拠点にしていた里見氏の歴史を題材にした伝奇小説である。刊行開始から完結まで28年かかったという106冊のギガ長編。長すぎてとても原文全部は読めないが、さまざまな訳本や抄本
樋口一葉「たけくらべ」 都営三田線の春日駅で降りて白山通りを北へ歩くと、通りに面したビルの植え込みに「一葉樋口夏子碑」と刻まれた石碑がある。五千円札でおなじみの作家、樋口一葉(1872〜96年)の終焉の地だ。 碑文は日記からの引用で「家賃は月三円也 たかけれどもこゝとさだむ」「わづらハしく心うき事多ければ」などと、ぼやいていたりする。 一葉は、いまでいう貧困女子だった。幼い頃は裕福だったが、17歳で父を亡くして生活苦に陥り、小説のほかにいろいろな仕事をしながらやっと食
城山三郎「辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件」 外出自粛が続く。印象に残っていた場所のことを描いた本を、巣ごもりの機会に読んでみた。「本と歩く」じゃなくて「歩いてから本」だが、時節柄ご理解を。 2019年の晩秋、取材で茨城県古河市を訪ねて、渡良瀬遊水地を巡った。広々とした水辺の風景に癒された。地元の男性に、いい場所ですねえ、と何気なく話したら「なかなか複雑でね」と困ったような表情になった。「私ら、子供のころに田中正造さんのことを教えられているので…」。そうだった。ここには村が