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忘れた唄を思い出した創作の地

西條八十詩集

 〈唄を忘れた金糸雀(かなりや)は、後の山に棄てましょか〉で始まって、藪に埋めるとか、ムチでぶつとか。一応「いえ、いえ、それは…」と制止してくれはするものの、童謡なのにけっこう残酷。映画ならPG12指定ぐらいされそうだ。
 「かなりや」は、詩人で作詞家の西條八十(1892〜1970年)が、童話と童謡の雑誌「赤い鳥」に頼まれて発表した作品。成田為三が曲をつけて、1919年に童謡として発表されると人気を集め、八十の代表作となった。
 散々ひどいことを言われている金糸雀は、八十自身だという。創作の背景が、詩集の解説文で明かされていた。八十は、上野・不忍池のほとりにあった日本初のアパート「上野倶楽部」の一室に住んでいた。ある日、生後半年に満たない長女を抱いて東照宮の境内を歩いていると、幼い頃の記憶が蘇ったのだという。聖夜の教会で、華やかに灯された電灯の中でただ一つだけがぽつんと消えている場面だった。

 多くの鳥たちが楽しげに歌っているのに、一羽だけ歌を忘れた小鳥。当時の八十は、生活のために詩作から離れがちで、大学での文学研究も中断していたのだとか。そんな自分の姿を、消えた電灯と歌うことを忘れた鳥に投影したらしい。
 だが、ご存知の通り、この歌はハッピーエンドだ。

唄を忘れた金糸雀は、象牙の船に、銀の櫂、月夜の海に浮べれば、忘れた唄をおもひだす

 冷淡なセリフが繰り返される三節までとは一転して、最終節の言葉は優しさと希望にあふれている。ドラマチックな転換に、心を揺さぶられる。
 創作の地となった不忍池のほとりに、この一節を刻んだ歌碑が立っている。上野公園の清水観音堂から池に下りてきて、弁天堂へ渡る手前の左奥。大きな長方形の石で、署名以外はひらがなで刻まれている。好んでこの一節を揮毫したという八十の自筆。
 唄を思い出した詩人は、次々に詩集をヒットさせ、作詞家としても「東京音頭」「青い山脈」「王将」など数々の名曲を世に出した。その活躍ぶりを知って眺めると、最後の一行は決意表明にも感じられる。      2020/10/5 夕刊フジ

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