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なぜわざわざ波間に?

徳冨蘆花「不如帰」

 逗子海岸のはずれ、砂浜の尽きた先。海に面した崖から小さな滝が落ちていて、小さな不動堂がある。その前の海を防波堤越しに覗くと、ポツンと碑が立っている。「不如帰(ほととぎす)」と大書された石碑は、潮が満ちれば沖合に。遠くから眺めるしかないという、かなり異色の文学碑。
 訪ねたのがたまたま干潮の時間だったので、碑のそばまで歩くことができた。近くで見るとずいぶん磨耗していて、背面の文字はほとんど読めない。荒天にはザブザブ波をかぶるのだろう。なぜここに?と言いたくなるロケーションだ。
 小説家、徳冨蘆花(1868〜1927年)が明治の終わりに刊行してベストセラーとなった『不如帰』は、悲しいラブストーリー。逗子に一時期住んでいた蘆花が、知り合った婦人に聞いた話を題材にして書いたという。名セリフの舞台になったのが、石碑の立つこの場所。
 主人公は、海軍少尉の川島武男とその妻で肺病を患っている浪子。二人は青々と凪いだ逗子の海を眺めながら語り合う。浪子は涙目で吐露する。

 あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう!生きたいわ!千年も万年も生きたいわ!死ぬなら二人で!

武男は、妻の髪をなでつつ〈ねェ浪さん、二人で長生きして、金婚式をしようじゃないか〉と励ますのだが、二人の結婚生活は早々に破綻する。航海で留守にしている夫が知らないあいだに、浪子は病気を理由に川島家から離縁されてしまうのだ。
 半年後、失意の浪子は一人で浜を歩く。〈不動祠の下まで行きて、浪子は岩を払うて坐しぬ。この春良人と共に坐したるもこの岩なりき〉。しかし、眼前に広がるのは、あの日とは対照的に、雲が垂れ込めた暗い海だった…。
 仲を引き裂かれたまま、病を悪化させた浪子は永眠する。愛しい人への最後の手紙は〈身は土と朽ち果て候うとも魂は永く御側に付き添い−−〉。さすが名作、いま読んでも、ヒロインのけなげさ、慕情の切なさが胸を打つ。
 今年は海水浴場もオープンできず、夏の海岸は賑わいとは無縁。石碑の向こうには寂しげな海が広がっていた。             2020/8/3 夕刊フジ

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