いまもひるがえる「六文銭」
池波正太郎「真田太平記」
亡き太閤殿下の御恩忘れがたく、この上は当上田の城に立てこもり、いさぎよく戦って討死をいたし、わが名を後代にとどめたく存ずる。西上のおついでに、ま、一攻め攻めてごらんあれ。
『真田太平記』は時代小説の大御所、池波正太郎(1923〜90年)による不朽の名作。文庫本で全12冊に達する超長編は、武田氏滅亡から犬伏の別れ、大坂の陣を経て松代移封まで、真田家40年のドラマを活写する。どこを読んでも面白いが、前半から中盤の見せ場といえば知将・真田昌幸が徳川軍を二度にわたって退ける上田城攻防戦だろう。
ご承知の通り、昌幸と次男の幸村は、結局は敗軍の将となる。しかしその戦いぶりは痛快そのもの。巧妙極まる駆け引きや鬼神のごとき奮戦とともに、熱い心意気や強固な信頼関係によって、惚れ惚れとする人間像が浮かび上がる。
昌幸も幸村も、「運命に逆らいぬいた……」男たちであった。
上田城には小さな櫓しか残っていないが、崖上にあるから北陸新幹線からも眺められる。周囲の市街地は再開発されている。それでも古地図と照らし合わせると、山を背にして、千曲川の分流などを天然の堀とした難攻不落の城の様子を思い浮かべることができる。
上田駅前から北国街道へ伸びる大通りの、緩やかな坂道を登っていくと、池波正太郎真田太平記館がある。取材ノートや関連作品の年表、連載時の挿絵などを展示。直木賞受賞作の『錯乱』など「真田もの」を多数執筆した池波は、その集大成として『真田太平記』を書き上げた。取材で何度もこの地を訪れた池波は「上田の町を思うことは、私の幸福なのである」とエッセイに記したそうだ。
上田盆地という〈信濃の国の中でも屈指の実りゆたかな土地〉に城を構え、街を広げて、商工業を発展させる。そう構想した昌幸は、ただの戦上手ではなく、傑出したリーダーシップを持つ人物として描かれる。池波作品の人物像、歴史観は多くの支持を集め、400年後の今も、街のあちこちに真田の旗印「六文銭」がひるがえっている。 2020/9/7 夕刊フジ