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水底に沈んだ村

城山三郎「辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件」

 外出自粛が続く。印象に残っていた場所のことを描いた本を、巣ごもりの機会に読んでみた。「本と歩く」じゃなくて「歩いてから本」だが、時節柄ご理解を。
 2019年の晩秋、取材で茨城県古河市を訪ねて、渡良瀬遊水地を巡った。広々とした水辺の風景に癒された。地元の男性に、いい場所ですねえ、と何気なく話したら「なかなか複雑でね」と困ったような表情になった。「私ら、子供のころに田中正造さんのことを教えられているので…」。そうだった。ここには村が沈んでいる。
 明治時代、足尾銅山の鉱毒で周辺の町村が深刻な汚染に見舞われた。日本初の公害問題の救済に奔走したのが衆議院議員だった田中正造。「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」という名言で知られる。遊水地を見渡す渡良瀬川の土手に立つ「田中正造翁遺徳之賛碑」には、正造が明治天皇に直訴状を掲げるシーンが彫られている。
 経済小説の泰斗・城山三郎(1927〜2007年)が著した本作品には、直訴の場面はない。遊水地建設のために強制破壊された谷中村に居を構え、残った村人を救おうと活動した正造の最晩年の姿が描かれる。

 辛うじて、その毒をまぬがれた十九戸が、いま仮小屋に夜露をしのぎ、未曾有の侮辱虐待に耐えている。しかも、先刻御承知の通り、この瀕死の重病人を県や国家は寄ってたかって水底に沈めようとしている。

 鉱毒被害を糊塗するために村を消すような暴挙が許されるのか、と憤る正造の叫びは、どこにも届かない。行政も司法も味方してくれず、近隣の住民からも嫌がらせが。近代化のしわ寄せを受けた人々と、彼らに寄り添う正造は、まさに辛酸をなめる。陰惨な日々のなかで死の床についた彼のもとに、大勢の人々が見舞いに訪れる。城山は、孤高の運動家にこんなセリフを語らせる。

 うれしくも何ともない。みんな正造に同情するだけだ。正造の事業に同情して来ている人は一人もいない。

 遊水地内にあるハート型の貯水池の通称は、谷中湖。沈んだ村の名だ。再訪を期する。                        2020/5/11 夕刊フジ

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