旧居跡の猫オブジェ 名前は……
夏目漱石「吾輩は猫である」
吾輩は猫である。名前はまだない。
で始まる夏目漱石(1867〜1916年)のデビュー作。文豪と呼ばれる漱石だが、明治38年に発表された本作は高尚な作品ではない。なにしろ猫を飼ってる教師の名前が「珍野苦沙弥=ちんのくしゃみ」だもの。ボケツッコミやギャグがこれでもかと繰り出される。斜に構えているのも社会批評というより、きっと笑いを取りにきている。エンタメ度満点の小説である。
ご存じの通り、猫の視点から、とりとめもない日々の出来事が語られる。例えば「大事件」として何ページも費やされるのが、近所の学校からボールが飛び込んでくるのに主人が腹を立てる話である。
臥竜窟主人の苦沙弥先生と落雲館裏八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えてもしかるべきものだ。
ほんとにどうでもいいんだけど、どうでもいいことをぐいぐい読み進めさせてくれるユーモラスな文体は、さすがである。
物語のあちこちから、教師だった作者自身の生活ぶりを感じ取れる。執筆当時に暮らしていたのが東京・千駄木。苦沙弥先生は〈根津、上野、池の端、神田へんを散歩〉したり、夜中に上野動物園で虎が鳴くのを聞きにいったりするが、いま「谷根千」と呼ばれているエリアとぴったり重なる。レトロムードや下町風情が楽しめる、お散歩に格好の場所だ。
東京メトロの千駄木駅から坂道を登り、案内板を頼りに、戸建て住宅の並ぶ街区へ。静かな夕べには、表を通る駒下駄の音や、隣町の下宿で笛を吹く音が聞こえてくる、漱石の描いたそんな町を、現代的な住宅街と重ね合わせながら歩く。
夏目漱石旧居跡(猫の家)は石碑が目印。旧居そのものは、愛知県の博物館明治村に移築されている。どんな家だったか知りたくて検索したら、漱石が借りる前に森鴎外(1862〜1922年)も住んだことがあったそうだ。漱石は知ってて借りたんだろうか。
石碑も大きくて堂々としているが、背後の壁にちょこんと乗せられた猫のオブジェがおしゃれ。誰がみても「吾輩」を連想するはずだけど、特に説明はない。やはり〈名前はまだない〉のであった。漱石が実際に飼っていた猫も名無しだったそうだ。作中には、近所のボス猫である車屋の黒とか、二弦琴の師匠のところの三毛とかが登場して、猫同士のやりとりも描かれていたりする。
せっかくなので、街猫を探して「谷根千」を歩いてみた。谷中あたりは「猫のまち」と呼ばれていたりもする。けれど、酷暑の真昼間ではさすがに猫の子一匹みつからず。虎の声も聞こえてはこなかった。
2019.9.2 夕刊フジ