#2020年秋の美術・芸術!コンテスト- 旅する視点
#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト- ご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、ご紹介とコメントとしての評を入れさせていただき掲載させて頂きます。多数のご応募ありがとうございます。
・旅する視点
nanokiyoさま 応募ありがとうございます。
(評)瀬戸内国際芸術祭(せとげい)を、アートに対する多くの知識と理念をお持ちになる、筆者の視点で毎回、ご覧になり、現代アートについての、筆者の視点(極)がうまく、まとめられている。そして、現代アートで著名なクリストや、グローバルなミュージアムでの展示、また、現代アートのイベントと相対して、毎回いらした、瀬戸内国際芸術祭の視点(極)の異なりを指摘なさっている。
一般論だが、作者の視点(極)と、観る側の視点(極)でアートは構成され成立される。
その際、観る側の視点の多様性もあるだろう。いずれにしても、筆者のインテリジェンスと理念に感銘を受けながら拝読した、読ませる文脈だ。
(註)瀬戸内国際芸術祭(せとうちこくさいげいじゅつさい/Setouchi Triennale)
・筆者さまの流れから、概要を記しますが、オリジナルを是非お読みくださいませ。
瀬戸内国際芸術祭(せとげい)は、岡山県と香川県、その間の瀬戸内の島々を舞台に3年に一度トリエンナーレ方式で開催される。
2010年の第1回から昨年の第4回までの「瀬戸内国際芸術祭」への旅を振り返りながら、美術鑑賞における【旅する視点】がまとめられている。(詳細は、筆者の文面で)
1)2010年:選択すること
奥様と2人旅で、中心となる直島を外され、小豆島と豊島(てしま)にフォーカスされている。
ピックアップされたアートは、
・「土と生命の図書館」栗田宏一氏(1962- /現代アーティスト)
「瀬戸内海の沿岸や島で採取された土が、その「色」に注目されて、廃校になった小学校の図書館に並べられている・・・」
・「小豆島の家」王文志氏(ワン・ウェンチー,1959- /台湾-アーティスト-竹での作品が著名だ)
奥様と「天空を覆う隙間をぼぉっと眺めました。秋の柔らかな木漏れ日と手作業の集積である竹のスクリーンを通り抜ける風を共通体験」
・「母型」内藤礼氏(ないとう れい,1961-/彫刻家)と、西沢立衛にしざわ りゅうえ,1966 - /建築家)
「生命とは、営みであり繰り返しであり、境界は作用する関係のバランスでしかないことを直感的に理解します。美術鑑賞では、作品を言葉に置き換えないと理解できないものも少なくありませんが、『母型』では、理解という実感が先行し、長い時間をかけて言葉を探すことになります。」
2)2013年:語らうこと
この2回目は、御子息さまと二泊三日で直島から豊島へ。
・「遠い記憶」塩田千春(しおた ちはる,1972- /現代アート作家):「公民館だった建物に、使われなくなった建物の窓や扉を集めて、過去の風景につながる道が造られています」
「作品の感想を語りあいながらの民泊の旅でした。」何よりの語らいの時と存じます。
そして「豊島では、宿のご主人と夕食を共にし、豊島での作品制作に取り組む作家の様子や、島の暮らしの中での作品への感想、芸術祭に訪れる多くの観光客への戸惑い、そして、豊島(てしま)の環境汚染(廃棄物投棄)との闘いの歴史を聴きました。」
「島の歴史には、多くの苦悩が刻まれており、そこに暮らす人々の視点を抜きにして、その地の祭りは成立しません。」
「せとげい」には、スタンプラリーにある「選ばれた展示」と、そこには掲載されていない自主的に展示している「選ばれたわけではない展示」があります。丁寧に後者も鑑賞していくと、豊島の歴史や環境、住民たちに向き合った作品にいくつも出会うことができます」
地域をとらわれた表象の作品が併存し、混沌とした併存状態こそが、芸術祭の構成・・・
そこが、私も、そこが「瀬戸内国際芸術祭」たるところだろう、と感じております。
誰かが、選ぶ作品、そして、その選者も誰かが選ぶ、それは、展示会の本来像ではないだろう、と私も常に感じる、そして、表象を広義で考えたいと存じております・・
3)2016年:新しい展開
そして、3回目は、ご家族4人、現代美術の本流の「直島」でのコレクションをご覧になられた。
ご家族で、何よりの旅と存じます。
「6年間で3回目の豊島美術館。行くたびにそれまで見えていなかったものが見えてきます。今回は、視点の「クラインの壺」的展開がありました。娘が見上げていたので気付いたのですが、作品中央の天頂から、目を凝らさないと見えない細さの糸が、ちょうど人の高さに下ろされています。床面の水滴や天井に大きくうがたれた穴から見える空の青さや緑の木々に気を取られて、見逃していました。」
4)2019年:旅する視点
この4回目は、お1人旅です。
高松市美術館で開催されていた『宮永愛子:漕法』を鑑賞して、男木島に渡り、翌日開館前に「男木島図書館」にお邪魔してインタビュー。昼の船で女木島に戻って、『ヘアサロン壽』で髪を切ってもらいました。
『ヘアサロン壽』は、女木島の『島の中の小さなお店』プロジェクトのひとつ。宮永愛子氏が、島をめぐる中で出会った美容師の玉木ひろ子さんとコラボレーションした美容院。人口が減って美容院がなくなった島に出向いて髪を切っていた玉木さんの「海が見える美容院」という夢を実現した空間。窓の外を「せとげい」の鑑賞者が通り過ぎ、それが作品だと気づいた観客?に何枚も写真を撮られました。
「この作品は、どこからどこまでが「作品」なのでしょうか。コンセプトのみを抽出して「作品」と言えるかもしれませんが、玉木さんの思いや、髪を切ってもらう(切られた髪が伸びた時間への)鑑賞者の思いも作品に取り込まれて、気配として「その時間」に集積されていきます。」
(註)宮永愛子氏(みやなが あいこ,1974 - /現代アート作家-立体・インスタレーション等)
・そして、最後に筆者は、
「美術館やコレクターに収蔵され、リアルな場所や時間から切り離されて保存される作品がある一方で、作品を生存させるために膨大な労力をかけ続けられる作品や、暮らしの中にあって、その営みと相互干渉しながら、人々の記憶と歴史に痕跡を刻んでいく作品があります。」
「過去4回の「せとげい」への旅。選択することから始まり、語らいを経て、新しい展開へ。周辺から時には中央へ、そして、暮らしへの浸透。これらは、瀬戸内への【旅する視点】であると共に、自分の10年の歳月を【旅する視点】のノートでもあります。」
「子規のような壮絶な人生ではなく自由に移動できることを幸いに、これからも【旅する視点】を大切に、美術鑑賞の旅を楽しみたいと思います。」とまとめる視点のアートエッセイだ。
(コメント)
この「瀬戸内国際芸術祭」から、筆者のアートの本来像を極める姿に感銘致した次第です。
表象に於ける、ヒトや社会、自然を考える時、観る側の視点(極)も様々であり、その本来像も感じます。
この文章から、筆者のインテリジェンスと深いアートへの知識、そして、アートの本来像を求める理念も伝わって参ります。
この度は、ご応募ありがとうござました。
(お知らせ)コンテストについて
締切日時は、2020年11/14(土曜日)24:00(終了しました)
結果発表は、2020年11/15(日曜日)18:00 です。
締切間際に応募された作品は、当然審査の対象内ですが、
作品評が、結果発表後になることもご了解ください。
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