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【創作】歌う大聖堂 第2話


※前回はこちら




夜の大聖堂の中から、歌が聞こえてくる。

モース氏は恐怖を抑えられないように少し裏返った声で早口で喋りました。その眼は、異様にぎらぎら輝いていて、私は背中にぞっとしたものが走るのを感じました。しかし、カストルプ氏はその返答が来るのを分かっていたように、落ち着いて尋ねました。
 
「それはどのような歌ですか」
 
「何と言えばいいか。あんな歌は、聞いたことがない。地の底から響いてくる唸り声のような。恐ろしい、レクイエムのような何かです。いや、違う、説明できません。でも、私は確かに聞いたんです」
 
「それが、スコーヴァさんが失踪する前から続いていたと。1週間くらいですかね。何時頃ですか」
 
「1週間、毎晩11時です。私が見回りに行く時間です」
 
「場所は大聖堂の本堂ですか」
 
「はい、そうです。本堂を見ている時に、どこからか響いてくるのです。時には本堂を出て西棟に向かう廊下でも響いてきました」
 
「誰か他の方は聞かれていないのですか」
 
「分かりません。同僚の間で話題になったことはないです」
 
「失踪した後は?」
 
「すみません、分からないんです。この三日間、体調を崩して、家にいたもので」
 
「分かりました。情報をありがとうございます」
 
それから、報酬の話になりましたが、カストルプ氏は、これは自分の趣味だからいらないと断り、モース氏は少しほっとしたようでした。



彼は、ホテルの部屋を出る前に、急に私たちに振り返ると、怯えた目で私たちを何度も、おずおずと見ては言いました。
 
「あの、私は大変心配しているんです。彼女の行方を。こんなことは私の人生で初めてなんです。きっと、あの絵を見つけることが、彼女の居場所を見つけることになると思っているんです。私はおかしいでしょうか」
 
「モースさん、私は探偵ではない、ただの美術愛好家です。なくなったと思われた絵を探し当てたことが、何度かあるだけでね。

今回も絵は探してみます。ですが、同僚の方については、貴方も先程仰った通り、警察の方にお任せするのが良い、と思っています。あまり気を揉まないことです」




 
部屋に私たち3人だけになると、カストルプ氏は、白いあごひげをさすっては、紅茶を啜って、考えごとをしていました。私とマルガレーテが黙って見ていると、カストルプ氏は、不意にその視線に気づいて、顔をあげました。そして、微笑んで尋ねました。
 
「さて、どう思うかね」
 
マルガレーテは、すかさず口を開きました。
 
「あのモースさんという方が、旦那様に依頼した理由が不思議ですね」
 
「同僚の方が失踪されているのに、絵の行方が気になるというのは、不自然に思えます」
 
私も、マルガレーテに続けます。カストルプ氏は、静かに頷きました。
 
「実際、あのモースという人は非常に興味深い。私に電話してきたときは、低い声だったのだよ。それが、今ではすっかり甲高い声になっていたね。まるで、前は声を作っていたかのようだ。

それにここに来たときは、まるで自分の表情を悟られないように、窓の光が当たらない場所に椅子を引き寄せて座っていた。興味深いものだから、もっと知りたくなったよ」
 
カストルプ氏は、立ち上がると、壁にかけていたチョッキを羽織りました。
 
「マルガレーテ、あの人の情報を集めてくれないかね。ミチキ君、君は私と一緒にハンブルク警察と大聖堂に行って、建物内を探す許可と、ついでに捜査の進展を聞いてみよう」



  
許可についてはスムーズに進みました。改めて、カストルプ氏の、初対面の人を惹きつける力は絶大でした。聖堂全体を管理している院長も、警察も、建物内の事物を傷つけないことと、何かを動かすときは、関係者や警察の立ち合いの下に行うことを、条件に許可してくれました。




聖堂で、院長にモース氏のことを聞いてみたところ、勤続二十五年で、この聖堂のことも、知り尽くしている、大変真面目な人とのことでした。
 
「教会の経費削減のために、見回りとか、清掃とかそういったことも率先して行ってくれるのです。維持費だけでも大変なのですから、有難いことです。この聖堂を愛してくださる。美術顧問という立場ですが、もう私たちの家族のような方です」
 
「夜の聖堂の見回りは今どなたが行っていますか」
 
「シスター・マリアです。呼びましょうか」
 
シスター・マリアは、若く活発そうな修道女でした。カストルプ氏が尋ねます。
 
「この数日、見回りをしていて、何か変わったことはありましたか」
 
「いいえ、何も。いつもと同じです」
 
「失踪されたスコーヴァさんを、ご存じですか」
 
「勿論です。ああ、本当に心配です。モースさんのお弟子さんで、すごくいい人なんですよ。どこだったか凄い大学を出て物知りなのに、私たちにもいつも優しくしてくれて」
 
「少しおかしな質問なのですが、彼女は歌について何か言っていたことはありますか」
 
「歌?」
 
シスター・マリアはきょとんとしていましたが、不意に目を大きく開きました。
 
「・・・そういえば、思い出しました。一週間くらい前かしら。朝、一緒に修道院棟の廊下を掃除していたら、急に私に話しかけて来たんです。
 
『ねえ、シスター・マリア、知っている? この大聖堂は歌うのよ

って」




 
私は思わずカストルプ氏の顔を観ました。カストルプ氏は、こちらに目配せすると、落ち着いた声でシスターに尋ねました。
 
「それはどういう意味でしょう」
 
「私も聞いてみたんですよ。でも、笑って『そのままの意味よ。この建物は歌うの』って答えるだけで。意味が分からなかったんですが、忙しいから、それきりになって。
 
私、その意味を聞くのをずっと忘れていました。ほら最近、ハンブルクでは、エキスポでしたっけ、博覧会でしたっけ、招致の準備があるんですよ。この聖堂も雑務が増えました。私、警察に彼女のことを聞かれても、すっかり忘れていて。今思い出しましたよ」





警察では、聖堂を探す許可は簡単に得られたものの、女性の失踪捜査についての情報は、流石に何も教えてくれませんでした。カストルプ氏は意に介することなく、署を出ると、

「少し寄るところがあるから、君はカフェでゆっくりしていてくれ」

と言ってすたすたと歩いていきました。





30分後、カフェで合流すると、私たちはハンブルクの夕暮れの街並みの中を歩き、大聖堂の周囲を散歩しました。

大聖堂は、ミサや説教を行う本堂から左右に建物が伸びて、東側が修道院、西側が、小ホールになっており、そこではよくコンサートも行われているとのことです。
 
鄙びた外観ですが、尖った塔と建物のバランスが美しく、ステンドグラスも慎ましやかに教会を彩っています。カストルプ氏はぶらつきながら私に解説してくれました。
 
「これは、13世紀のゴシック建築の傑作だね。この聖堂を建てたサン・バチスト=リッピという男は、非常に音楽好きで、自分で聖歌隊も作り、ヴァイオリンも嗜んでいた。それで、西棟を教会以外にも使えるホールにしたと。モース氏がくれたパンフレットに書いてあった。
 
そうそう、もう一つ。リッピは奥さんとうまくいかなかったらしく、後年奥さんを殺害したという噂があったそうな。奥さんは美しい声の歌い手だった。もしかすると、モース氏が聞いた歌声は、リッピの奥さんの亡霊の歌声かもしれんな。
 
スコーヴァは、ファン・エイクの絵画を見つけると同時に、亡霊の居場所を暴いてしまったのかもしれない。それが、彼女の言う『歌う大聖堂』なのかも」
 
「まさか、本当にそう思っているのですか」
 
「どうだかな」
 
カストルプ氏は、ニヤっと笑って、含みを持たせた声で言いました。


ケルン大聖堂
ゴシック様式の代表的建築


  
私たちがホテルに帰ると、マルガレーテはもう戻っていました。彼女は手元のメモ帳を基に報告しました。
 
「モース氏の近所に聞き込みしました。彼は奥さんとの二人暮らしで、子供たちはもう独立しています。最近お金遣いが荒くなり、家計が逼迫しているようです。そのことで、奥さんとの喧嘩が毎日絶えないとの証言があります」
 
「金遣いが荒くなった理由は?」
 
「こちらも調査しました。どうやら、悪所に高級娼婦の馴染みが出来て、お金をそちらに使い込んでいるようです。宝石店やブランド店での購入、高級レストラン利用の、裏も取れています」
 
「よく分かった。ご苦労」
 
私は驚きました。殆ど探偵の仕事です。私が指摘すると、カストルプ氏は、笑って言いました。
 
「彼女には色々と勉強してもらったのでね。大変有能だ。秘書でもあり、諸々私の手足となって動いてもらっているのだよ。私の本業の方でもね」
 
「しかし、あのお屋敷でのメイド服は?」
 
「あれは私の趣味です」
 
マルガレーテはいたずらっぽく笑いました。
 
「まあ、あの服装だと、相手は油断するというのもあるのでな」
 
カストルプ氏は、そう言うと、鋭い目つきに変わりました。
 
「それにしても、あんな巨大な聖堂を経営するのに難儀しているくらいだから、モース氏の給与が、宝石の購入に耐えられると思わない。いずれにせよ歌声を調べる必要がある」
 
「歌声? ということは・・・」
 
「勿論、今夜11時に聖堂に行く」


ゴシック式教会の中

 
 
夜の聖堂内は、しんと静まり返っていました。私たちに、シスター・マリアを加えた4人は、懐中電灯を持ちながら、祭壇の前の方に固まって、信者たち用の席に座ります。

十字架像の後ろに、ものものしく鎮座している巨大なパイプオルガンが、ステンドグラスから差し込む月光に照らされて、冷たく光っています。
 
「11時になりましたね」
 
「何も聞こえません」
 
私たちがひそひそ囁くと、カストルプ氏は腕元を見て、私たちにそっと言いました。
 
「おそらく、もう少し待つ必要がある」
 
教会内は、空気が澄みきって、まるで音の埃がないかのように、静かです。




 
それから、30分近く経ったでしょうか。不意に、誰かの囁きが聞こえた気がしました。
 
 



 
最初は空耳だと思っていました。しかし、その音は、ふわふわと漂って、確かに存在しているような気がします。闇の奥から女性の澄んだ歌声が響いて来るかのようです。
 
やがてその声はうねる様に、不思議なメロディを奏でます。異様なメロディ、ぎくしゃくした不協和音のはずなのに、どこか聖歌のように響く、この世ならざる旋律です。
 
私は、「建築家に殺された奥さんの歌声」というカストルプ氏の言葉を思い出して、背筋に戦慄が走るのを感じました。




 
歌声はどんどん大きくなります。聖堂の中をいっぱいに満たします。もう、空耳ではありません。マルガレーテも、シスター・マリアも怯えた顔で辺りを見回しました。
 
「歌です! 本当に聖堂が歌っています! これは一体?」
 
いつも冷静なマルガレーテが取り乱し、小声で囁き、きょろきょろ上下を見回します。
 
「何ですか? こんなの、聞いたことがありません。どうして?」
 
シスター・マリアは、何度も十字を切ります。私たちは恐怖で動けずに、まるで沈没船の乗客のように、席の背もたれを必死に掴んで、その場で固まってしまいました。




 
急にカストルプ氏が立ち上がり、私たちは怯えて彼の顔を見ました。
 
カストルプ氏は、急ぎ足で祭壇に向かうと、横の司祭の説教壇に駆けのぼりました。そして、教会の上の方を見回していましたが、どこか一点を見ると、納得したかのようにゆっくりと降りてきました。
 
「何かわかったのですか」
 
私が尋ねると、カストルプ氏は頷いて、腕元の時計のボタンを押しました。それは、いつもしている金無垢の高級時計とは違う、カシオ製のデジタル時計で、時計の文字盤が微かに光りました。カストルプ氏は、眼鏡をかけ直して、落ち着いた普段の声の大きさで話します。
 
「この音はもう10分もすると止むだろう。絵画の場所が分かった」
 
「本当ですか!?」
 
「ああ。それより大切なのは、スコーヴァさんの居場所だ」
 
カストルプ氏は厳しい顔で首を振りました。
 
「間に合うといいのだが」




(続)


次回連載

※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。



(※)前シリーズリンク集(全7話)




今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。


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