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人生の核に触れる映画 -『センチメンタル・アドベンチャー』の魅力 【エッセイ#51】

私は、「いつ体験してもほっとなるような映画や小説」というのが、多くの人の中に存在すると思っています。自分の思う傑作、だとか、泣ける作品、とかとは少し違う。ただ、自分の原風景、あるいはこうありたかった自分も含めた、自分の生き方の核に触れるような作品です。
 
私にもそんな作品がいくつかあります。以前ロードムービーについて書きましたが、それらの傑作とはまた違う、自分の琴線に触れて、心の緊張を解く一本のロードムービーについて、今日は書きたいと思います。


それは、クリント=イーストウッド監督『センチメンタル・アドベンチャー』です。

ロードムービーでも、行くあてのない感じでなく、とにかく物語の良さで引っ張るのがこのイーストウッドの1982年の名作。興行的には苦戦したものの、イーストウッド本人も、好きな自作として、度々挙げています。


貧しい農家の少年の家に、しがない流しのカントリー歌手の叔父がやってきます。砂嵐によって農地がだめになって、一家がカリフォルニアに移住することを決めた中、少年は、叔父さんの車の運転手として、ナッシュヴィルに向かうことを決意します。
 
カントリー音楽のメッカであるナッシュヴィルに、叔父の起死回生のオーディションのため、そして、人生の最後を故郷で過ごすために帰るというお祖父さんも途中まで一緒に、少年たちの旅が始まることになります。


 
どうして、この作品が好きなのか。それは、一人の少年の世界が広がっていくさまが、ヴィヴィッドに捉えられているからです。
 
父のように苦労した人生を送りたくない、もっと広い世界を見てみたい、という少年の欲望。それを叶えるのは、女にはだらしなく、金もない、あてどない放浪者だけど、どこかジェントルで、決して少年を子ども扱いしない、大人の男です。

この二人の間のお互いを尊重する優しさが、この作品の、生きることへのまっすぐな喜びに繋がっているように思えます。

カントリー歌手の叔父さんを演じるのは
監督イーストウッド本人(右)
少年を演じるのは彼の実子で
後にジャズミュージシャンになった
カイル=イーストウッド(左)

 
そして、少年が体験する旅の魅力的なこと。荒れ果てた荒野を前に、お祖父さんが、かつての「土地獲得競争」を少年に語るシーンの美しさ。

金なんて問題じゃなかった。そこにはただ、夢があったんだ。そう語るお祖父さんの、今人生の階段から降りようとしている微笑みと、その傍らで荒野を見つめる少年。ここには、世代を超えて受け継がれていく、人間の夢の確かな感触があります。
 
また、叔父さんに連れられて、娼館に行く場面も素晴らしい。別に悪徳の道に誘おうとしているわけではない。ただ、一人の人間として、世の中に様々な人がいることを経験することなのだと思います。
 
その娼館が夜の淫靡な雰囲気ではなく、真昼の、南部の森の中にあるのもいい。生活感のある娼婦や女衒の姿からも、ここが背徳の場所ではなく、人々が色々ありつつも、ただ本当に生活している世界だというのが、よく伝わってきます。それが、少年がこの世界を信じるに足るものと考える要因の一つになっていると思います。

『センチメンタル・アドベンチャー』酒場にて

 
そして、少年の旅を追うと同時に、叔父の深い孤独もまた分かってくるのも、この作品の素晴らしいところです。裏家業の連中とも丁丁発止で渡り合いつつ、徐々に肺を冒されながら、歌うことを止めない叔父。
 
そんな彼が、昔の自分の恋愛を悔恨交じりに少年に話す、夜のドライブ場面の、暗闇の深さ。それは、叔父が見てきた人生の暗い影を見事に表しています。
 
少年は、眼に見える新しい風景を全て楽しく新鮮に受け取るだけではありません。人生の闇に触れ、叶わないものがありながらも、生き続けていく人間の姿にも触れることで、少年は、生きることの複雑さを学んでいきます。それが、この作品自体の、陰影が混じった豊かな世界に繋がっています。

『センチメンタル・アドベンチャー』
不思議な邦題だが、原題は
『Honkytonk man』(酒場の流しの歌手)

 
この作品の中で、少年が「なぜ叔父さんは歌い続けるのか」とある人物に尋ね、その人物はこう答えます。

To be someone. To be something.

何者でもない「No one」ではない「誰か」、何も持たずにこの世から消えるのではない「何か」になるために。これは、生きる意味の一つの答えと言えるでしょう。名声というのとも、ほんの少し違う。自分が生きた証、というのが近いかもしれません。
 
Someoneになろうともがき続ける叔父、そして、その姿を見て、自分がこれから生きることの意味を受け止め、歩いていく少年。

そこには、確かにこの世界で人間が生きることの目的と、決して平坦ではないその場所を、それでも歩き続けることの喜びが広がっています。
 
それゆえに、この映画は、私にとって自分の生きることの中心にある作品の一つであり、生きている理由の一つであるとも言えます。未視聴の方は、是非ご覧になっていただければ。そして、この作品に限らず、自身の核となる大切な作品を考える契機になっていただければ、幸いです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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