【創作】歌う大聖堂 第1話
(※前シリーズはこちらから)
私がカストルプ氏と一緒に、旅をして回るようになったのは、『カサノヴァの夜』の絵画を探して一か月後に呼び戻されてからでした。私はそれを心の底で望んでいたに違いありません。彼からチケットが贈られて、飛行機でミュンヘンに渡る際も、何の疑いもなかったわけですから。
私が居間で待って居ると、カストルプ氏と、一人のメイドがやってきました。そのメイドは、あの『カサノヴァの夜』があった小屋の村にいたマルガレーテ=インゼルでした。彼女は、あの後、カストルプ氏の屋敷で働くようになったのでした。
驚きを隠せない私に、カストルプ氏は尋ねました。
「新しい作品の情報を手に入れたのだ。興味はないかね?」
「新しい情報?」
「そう、今度はハンブルクに面白いものがあるという」
「すみません、私は話が呑み込めていないのですが」
「一緒に行こうではないか。君がいなくては退屈だよ」
カストルプ氏は、微笑んで私に促しました。隣でマルガレーテもにこにこ笑っています。
私は、確かにこんな言葉を待っていたのだ、とその時思いました。
一か月前の『カサノヴァの夜』を探す旅は、私の心に大きな印象を残していました。まだ見ない芸術作品を味わうだけでない。きっと、もっと、楽しい旅ができる。そう思うと、私は、心からの気持ちで頷いて返事をしました。
「はい、行きたいです」
カストルプ氏とマルガレーテは顔を見合わせて笑い、カストルプ氏は親指を立てて言いました。
「そうこなくてはな。では支度をしてくれ」
ハンブルクに向かう列車の中で、カストルプ氏は私たちは個室で今回の話について、詳細をきくことになりました。
「ハンブルクの大聖堂に、ヤン=ファン・エイクの新発見の祭壇画があるらしい」
「それは、なかなかの発見ですね。大きなニュースになりそうで」
「しかし、私に話を持ち掛けた人間はな、これをまだ公表しないで欲しいというのだ」
「何か裏がありそうですね」
「ああ、しかも、私がシュミット=クラウスの絵画を『発見』したことを見込んでと、電話で言ってきた。事情があるのだろう」
「そういえば、あの小屋はどうなったのですか」
私は、マルガレーテに尋ねました。メイド服から着替えて、活動的なブラウスとスカート姿になっています。彼女は嬉しそうに笑いました。
「公開は限定で、なんでも、ツアーを行うようになったそうです。結構申し込みがあったそうで。テレビ番組でも取り上げられて、今度記念の本も出版されるそうです」
「それはよかった。シュミット=クラウスも浮かばれますね」
ヤン=ファン・エイクは15世紀に活躍した、フランドル派と呼ばれる北ヨーロッパの重要な画家です。当時には珍しい写実的な画風で、現在の油彩画の技法の礎を築いたとも言われています。そんな大物の未発見の絵画とは、私は胸が高鳴りました。
ハンブルクに着くと、私たちは、ホテルで、一人の老人と会いました。彼は、モース氏といって、どこか怯えたような、ずっと困った表情をしています。
彼はここにあるハンブルク大聖堂の美術顧問をしているといいます。ドレスデン美術館の知り合いから、カストルプ氏のことを聞いて、今回依頼したということでした。
「あなたが、シュミット=クラウスの絵画を発見したことと、同じことをここでしてほしいのです」
「ファン・エイクの絵画は、あるのではないのですか」
「あるはずなのです。が、どこにあるのかが皆目見当がつかないのです」
私たちは、顔を見合わせて、モース氏の話を聞くことにしました。
「私はハンブルク大聖堂の美術品の保存を行っています。助手のスコーヴァという女性と一緒に、日々、管理を行い、ツアーに来た観光客相手に説明したりしています。
この前の日曜のことです。いつものように、仕事を終えて、夜、大聖堂の事務室で一息ついていると、スコーヴァが、興奮した顔でやってきたのです」
「モース先生、大発見がありますよ」
「どうしたんだね」
「これは、世紀の発見です。いいですか、ファン=エイクの絵画です! 祭壇画ですよ!」
「ファン=エイクだって! どこにそんなものが?」
「この教会の中にあるんです。私、見つけてしまったんですよ!」
「私が今すぐ見たいと言うと、スコーヴァは、今日は遅いから、明日になったら見せる、と言います。私は疲れていましたし、その時は何も思わずに、承諾して、家に帰ることにしました。
ところが、次の朝、スコーヴァの家に連絡すると、彼女は帰っていないというのです。警察に捜索願を出しましたが、彼女は未だに見つかっていないのです」
カストルプ氏は、口を開きました。
「それで、私にファン・エイクの絵画を探してほしい、というのは?」
「スコーヴァについては、警察はプロですから、任せておきたいと思います。しかし絵画については、専門家にお任せしたいのです。
変な直感なのですが、彼女はその場所を知っているからこそ、何か危険に巻き込まれてしまった気がする。その絵画のある場所を見つければ、彼女が失踪した理由も分かるのではないかと」
「彼女の死体もそこに見つかるかもしれない。ということですか」
カストルプ氏は、冷たい声で言います。モース氏はぎょっとなって首を横に振りました。
「いえ、いえ、そんなことは思っていません。ただ、私は彼女の行方を知るために、どんな手がかりでも欲しいのです」
「警察も、大聖堂内を探しているのですね」
「はい、今くまなく捜索しています」
カストルプ氏は、黙って腕を組んでいましたが、やがて顔をあげて言いました。
「よろしいです、お引き受けします」
モース氏はほっとした表情になって、感謝の言葉を述べました。
それからカストルプ氏は、モース氏が持ってきた大聖堂のパンフレットに目を通していました。すると、急に顔をあげて尋ねました。
「ところで、ここ数週間、聖堂で何か変な物音を聞いたことはありませんでしたか? 何か大きな音」
モース氏は、驚いて目を見張りました。
「音? どうして・・・実は・・・これは、警察からは笑われたのですが」
彼はぎらぎらとした目で、私たちを見つめます。
「彼女がいなくなる前の数日間、私は、誰もいないはずの夜の聖堂で、誰かの歌声を聞いた気がするのです」
(続)
次回連載
※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。
こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。
楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?