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ロジックの魔が燃える -ヒラリー・ウォーの警察推理小説の面白さ
【水曜日は文学の日】
推理小説の面白さは、意外な犯人を当てる楽しみの他に、その推理する過程、ロジックによって真相に迫る部分の面白さがある、というのは、推理小説が好きな多くの人が同意してくださると思います。
アメリカの推理小説家、ヒラリー・ウォーの作品は、警察による捜査と古典的な謎解きを凝縮した、推理小説の楽しみに満ちた作品です。
ヒラリー・ウォーは、1920年アメリカのコネチカット州生まれ。イエール大学で美術を専攻し、第二次大戦中に海軍にいる時に、暇つぶしで小説を書くことに。
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終戦後は、教師や新聞の漫画家を経て、何冊か小説の出版にこぎつけますが、凡庸な探偵小説だったと本人も後に認めています。
しかし1949年、偶然手にとった一冊の本が、彼の運命を変えます。それは、チャールズ・ボズウェル著『彼女たちはみな、若くして死んだ』というノンフィクション。
若い無名の女性が殺された、場所も時代も違う10件の実際の殺人事件の捜査過程とその顛末を淡々と記したこのルポ(邦訳も出ています)に、自分が書いていた探偵小説には到底見出せない、事件が解決に向かう詳細の面白さ、現実の細部の生気等を感じ取ったウォーは、これと同じことをフィクションで出来ないかと考えます。
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邦訳版表紙
そして色々と調べるうちに、女子大生が失踪して未解決になっている現実の事件を知り、当時調査していた記者や探偵にも取材して、推理小説として膨らませていきます。
そして1952年『失踪当時の服装は』を発表。一人の女子大生の失踪事件を追う警察本部の捜査を詳細に描いたこの作品は、高く評価され、「警察小説」というジャンルをこの一冊で確立します。
その後もウォーは、「フェローズ署長」シリーズ等の警察小説を手掛け、ノンシリーズでハードボイルドものも書いたりして、推理小説家として活躍しました。2008年に88歳で亡くなっています。
ウォーの警察小説の特徴は、何と言っても、その詳細な捜査によって謎が解けていく過程の面白さでしょう。
殺人事件や失踪事件を受けて、関係者に尋問し、手がかりを見つけて捜査していく、の繰り返し。それだけなのに、面白くて目を離せないのは、
手がかりの検証→ロジックの構築
→行動による手がかりの発見→手がかりの検証→
というサイクルが緻密に積みあがって、ロジックがどんどんと膨らんでいく熱がこちらに伝わってくるからでしょう。
囲碁や将棋のように、ロジックの連鎖によって一歩一歩真実に向かうことで脳が興奮し、そして『失踪当時の服装は』のラストのあの一言のように、全ての謎が解けた時の、殆どエクスタシーのような快感へと繋がる。
そして、その興奮は、かなり古典的な探偵小説要素に基づいています。
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邦訳版表紙
『シャーロック・ホームズ』シリーズのように、推理小説には、警察には解決できない難事件を、天才的な探偵が解決する形式が元になった、という歴史があります。
その魔法のような探偵の推理は、先に挙げたような、ロジックの検証サイクルに基づくものであり、一見従来の探偵小説のアンチテーゼのようなウォーの警察小説は、一人の天才探偵が行っていたロジック・サイクルを警察に導入しています。
探究を、多くの捜査員とそれをまとめる天才ではない努力型の警察署長に割り振ることで、寧ろクラシカルな探偵小説の面白さに満ちています。
捜査する警察の人間と、被害者遺族や犯人との交流による人情譚はなく、ウォーに影響を受けた「刑事マルティン・ベック」シリーズのような社会派的な視点も、そこまで濃くない。
推理小説として、事件以外はそぎ落とされており、私生活を掘り下げることもなく、ひたすら捜査機械に徹する警察署員達だからこそ、かえって彼らのキャラが立ち、リアルな「仕事小説」にもなっています。
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邦訳版表紙
そして、ロジックの中から、どろっとした危険なものがはみ出してくるのが、ウォーの小説の魅力でしょう。それは端的に言うと「性欲」です。
『失踪当時の服装は』の、エクスタシーのような結末だけでなく、遺作の『この町の誰かが』での、あの長大な「告白」。『愚か者の祈り』の全てがひっくり返る瞬間。
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邦訳版表紙
『事件当夜は雨』では、犯人は分かるのに、その後に犯人を巡るとんでもない展開で、真実が完全に揺らいでしまいます。そして、これらの奇妙な感触には全て「性欲」が絡んでいます。
まるで、ロジックを積み重ねていった先に、ロジックで割り切れない、人間の理不尽で根源的な性欲という、恐ろしい存在にぶつかってしまったような感触です。
その最たるものは、傑作『生まれながらの犠牲者』でしょう。
12歳の美少女が失踪した事件を、例によってフェローズ署長が追う小説。途中までの捜査過程の面白さは、他作品と変わりません。
また、この作品の犯人自体は、多分推理小説を読みなれている人なら、比較的簡単にあてることができると思います(私は真相の直前まで分かりませんでしたが。。。)。
しかし、この本の帯にもあるように、作品のラストに位置する、あの長大な部分は凄まじい。
今までのロジックが漏らしていたもの、いや、見ていたはずなのに、実は何も「見て」いなかったものが、滔々と流れて出て止まらなくなり、「本当にやばい」何かに触れてしまったような感覚を覚えます。
それは今までのロジックの積み重ねを完全否定するものではない。ロジックの背後の、人間の業のようなものです。業が導く異界の扉に触れ、その冷たさに慄くような体験を味わえます。
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邦訳版表紙
ウォーは、エラリー・クイーンのように、ロジックを突き詰めて、その矛盾でファンタジーに近い世界を導き出したり、アガサ・クリスティのように読者をあっと言わせて騙すために情念を導入したりしない。
殺人という人間にとって理不尽な行為を解き明かすために、捜査する過程を丁寧に描いて突き詰めることで、期せずして魔に近い何かに到達した感があります。
ジョン・フォードの西部劇のように、誠実で丁寧に創られた職人の娯楽作品には、最上の芸術に劣らない、人間の剥き出しの姿に触れるようなところがあります。ウォーの警察小説もまた、そんな作品の一つであり、ストーリーの面白さと共に是非味わっていただければと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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