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#お水取り
中勘助 なか・かんすけ (1885年 [明治18年] -1965年 [昭和40年]) の誕生日 (5月22日) 小説家・詩人 / 東大寺南大門と長屋王鎮魂説
中勘助 なか・かんすけ (1885年 [明治18年] 5月22日-1965年 [昭和40年] 5月3日) 小説家・詩人・随筆家。
🔍 青空文庫 中勘助の作品
🔍 青空文庫 和辻哲郎「古寺巡礼」(1946年改訂版 [初版は1919年])
七章、二十一章に出てくる、奈良帝室博物館 (現・奈良国立博物館) にほぼ毎朝行き、東大寺に宿泊し、當麻寺の塔の風鐸をどう思います、と聞くN君が
「長屋王の変」 729年3月16日 (神亀6年2月12日) ・ 関連記事 (虚言が圧倒的多数となるネット等の論評の奇妙さ、など)
「長屋王の変」 と 「お水取り」東大寺修二会 (通称 お水取り) の時期が
旧暦では2月1日からだったそうなので (修二会が15日間ならば、)
続日本紀に旧暦2月10日から12日とある
「長屋王の変」の時期と日時的に重なっていたことになりますね。
🔍参考 東大寺公式ページ
「長屋王の変」に関して、 虚言が圧倒的多数となるネット等の論評の奇妙さ🍁
政務に当たる太政官の最高位の左大臣とし
「お水取り」で「青衣の女人」はやはり大きい存在だった (リライト増補版)
東大寺二月堂で3月1日から毎年行われる「修二会」( しゅにえ。通称「お水取り」)。
5日と12日 (※1) に東大寺に縁のある人々の名を記した「過去帳」を読み上げ、その中の「青衣の女人」( しょうえのにょにん ) が謎の存在として、マスコミやネットなどでよく話題になります。
「神名帳」の読み上げの後、数分ほど間を置いて午後10時頃から「過去帳」の読み上げが始まりました。
と言っても、「これか
東大寺修二会 (お水取り) 試別火始まる (2月20日)
東大寺修二会 (お水取り) の前行、試別火 (ころべっか) が東大寺戒壇院の別火坊 (べっかぼう) で始まる (2月20日)。
🔍 森本公穣さん (東大寺僧侶) のTweet.
マイフォトギャラリー / パソコンに写真を吸い取られた経緯 /
( IDを21年7月5日に変更しました。本ブログへのリンクをURL表示でお貼りの方は、お手数ですが、貼り改めをお願い致します。
💡 この記事は「プロフィール」欄にも入れてあります。)
毎日分あとからでもお出ししている「誕生日・記念日記事」を作っていると、
これまでnoteへ機能面の理由で載せられなかった私の一眼レフの写真が (見出し部分に貼ってみると) 載せれる状態になっていたので、
法華寺ー宇奈多理神社ー阿弥陀浄土院跡
法華寺に始まる旅の記録も発表していきます。
🔶 法華寺ー宇奈多理神社ー阿弥陀浄土院跡
実は、長屋王邸の前に法華寺に行き、本尊の国宝十一面観音と、
同じく国宝の阿弥陀三尊画像を久々に拝観しました。
📷 法華寺南東の門 (参詣口)
📷 法華寺南門から見た本堂
本尊の十一面観音は、見るアングルによって、体躯をひねったポーズがはっきりわかるのが関心を引きます。
閉じられていた向かって右
「お水取り」で「青衣の女人」はやはり大きい存在だった
東大寺二月堂で1日から行われている「修二会」( しゅにえ。通称「お水取り」) の5日目から今帰って来ました。
殆ど偶然に乗り継げて最後に乗れた電車が終電でした。
修二会の5日と12日 (※1) に東大寺に縁のある人々の名を記した「過去帳」を読み上げ、その中の「青衣の女人」( しょうえのにょにん ) が謎の存在として、マスコミやネットなどでよく話題になります。
「神名帳」の読み上げの後、数分ほど
東大寺修二会 (お水取り) 小観音後入 (生駒山への向き変え・扉無き厨子)
📖 なぜ「小観音」は、一旦内陣から出されるのか?
🍁
東大寺二月堂修二会(通称 お水取り) の
7日 (8日未明) 「小観音後入」を参観してきました。
実は、その前段階の7日午後6時15分頃からの「小観音出御」を観るために6時頃に二月堂の前に着いたのですが、
既に7日は午後5時から二月堂へ登る石段が、午後7時からの「お松明」のため通行規制され、
「小観音出御」の際に演奏されている笙や太鼓
法隆寺西円堂修二会 (2月1日〜2月3日) / 法隆寺・薬師寺・東大寺修二会の「松明」と「鬼」の関係
法隆寺西円堂 (さいえんどう) 修二会 (しゅにえ 2月1日〜2月3日)
結願日の3日は西円堂 (国宝) で追儺式 (ついなしき。鬼追い式 [おにおいしき]) が行われ、
3人の鬼が西円堂の外側を時計回りに歩きながら、火のついた松明を投げます。
19年に参観し、写真も撮ってきました。
〔📷 ↑ 法隆寺西円堂修二会追儺式。画面右端から二人目のオレンジ色の衣装が毘沙門天役。法隆寺のこの毘沙門天